庄太郎(ニ)
徒浜は、山を三つ超えた先にあった。
とても小さな漁村で、本当に存在しているかどうかも定かではないような僻地ではあったが、確かにそこに存在していて、噂で聞いた通り、その村の人たちは皆、整った顔つきをしていた。
中には目が少し離れている魚顔もいたが、それであっても可愛らしいと思える顔つきをしている。
目鼻立ちがはっきりとしていて、のっぺりとした顔の醜男や酷女もいない。
だからこそ、よそ者は一目でわかる。
腰に刀を差し、暖かい海辺の村だというのに厚手の生地の衣を着て、額や鼻に汗をかいている者や、腕っぷしに自信がありそうな縦にも横にも大きい荒くれ者。
その殆どの者が、じろじろと舐め回すように村人達を見定めながら歩いている不審者だからだ。
中には女を見つけると鼻の下を伸ばし、いやらしい目つきで歩いている。
すれ違う若い女の村人たちは、その視線に不快感と、恐怖を抱いているのは明らかで、その中でも、一際、男達の目を惹いていたのが、澪だった。
黒々とした艶のある髪と黒曜石のような大きな瞳。
両目の瞼の下に小さな泣きぼくろがある以外、いっさいの汚れもくすみも見当たらないつるりとした陶器のように肌。
ここが俺の暮らしている城下町であったなら、その美しい女見たさに人だかりができていてもおかしくないほど、美しい女だった。
「やめてください……!」
「いいじゃねぇか、ちょっと話が聞きてぇだけだ。すぐに終わる」
「ちょっと! 触らないで」
他の村からやって来た見知らぬ醜男に腕を掴まれ、好きなようにされそうになっているところに偶々遭遇した俺は、さすがに放っておけなかった。
本来なら、城で俺は警護の仕事を任されている。
不審者から城を守るのが役目で、看守として牢屋の前に立つこともある。
こういう不届きな輩を見ると、つい、被害に遭っているのが翠であったらと、考えてしまうのだ。
「おい、その手を放せ」
それに、澪の歳は翠より少し上に見えたが、背格好が似ていていた。
「ああん? なんだ? てめぇには関係ねぇだろ?」
「確かに関係ない。だが、俺はお前みたいなやつが大嫌いなんだ」
翠も芳姫様の側仕えとして働きに出る前、荒くれものに手籠めにされそうになったことがあった。
それ以降、俺が働いている間、翠を一人にしておくのは不安でたまらなくて、お殿様に頼み込んで、芳姫様の側仕えとして城に入れてもらったのだ。
翠はまだどこか幼く、世間知らずなところがあったし、芳姫様の側で色々と学んでくれれば――と。
「はぁ? てめぇの好みなんか聞いてねえよ」
男は上背もあり、体格も俺の倍はある大男ではあった。
だが、動きでわかる。
この男は戦に出たこともない、戦い方を知らない、ただの荒くれ者だ。
恵まれた体格だけで、これまで生きてきたのだろう。
腰の刀を抜いてきたが、なんてことない。
ただ、適当に振り回しているだけだ。
なんの鍛錬も積んでいない男を叩きのめすのは、簡単だった。
*
「――ありがとうございます。助かりました」
「なに、これくらい大したことではない。気にするな……それより、この村の宿はどこにあるだろうか?」
「宿ですか……?」
「ああ、そろそろどこかで休みたいと思っていたんだが、そこの通りにある宿屋は満室だと言われてしまってな」
三つも山を越えて来た。
この村の、おそらく一番大きな通りに面していた所に宿屋の看板が掛けられていたが、近頃よそ者が多く来ていて、部屋がいっぱいだと断られたばかりだった。
「それでしたら……」
澪は、海が見える宿屋の娘だった。
何でも、漁師の妻である澪の母親が道楽で始めたのがその宿で、たまにしか客がやってくることはないらしい。
宿屋と言っても一階は酒屋で、酔っぱらった村人が寝泊まりすることもあるが、基本的に二階の客室はほとんど使われていなのだとか。
ところがここ数ヶ月、俺と同じように人魚の噂を聞いた輩がやって来るようになったらしい。
今はどの宿もそういう事情で満室になっているが、澪の家には空きがあった。
「今、母は妹と一緒に隣の村に行っているのです。父は漁に出ていて、しばらく帰ってきません。だから私は伯母と留守を任されていて――本当は母がいない間、新しい人を泊めてはいけない約束なのですけど……」
澪は自分の顎に右人差し指を押し当て、少し左側に頭を傾けながら、少し考えて言った。
「あなたは私を助けて下さったし、特別ですよ」
それが澪が無意識にやっていた癖であることに気づいたのは、それからずっと後のことだ。




