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人魚殺し  作者: 星来香文子
第三章 翠

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翠(五)

 それから数日後。

 いつものように侍女として城に戻って仕事をしていたわたしに、キヨさんは首を傾げながら言った。


「――ねぇ、翠。あんた、なにか変なものでも食べた?」

「え? なんで?」

「だって、あんたが順番を間違わずにこの作業を終わらせたのって初めてじゃない?」

「失礼ね。毎回やってるんだから、もうさすがに慣れたのよ」


 毎日の事なんだから、そんなことは当たり前なのに、キヨさんは不思議そうな顔のまま続ける。


「いやいや、だって、いつも姫さまが五つ言いつけたら、二つは忘れるじゃない」

「あのねぇ、キヨさん。忘れていないならいいことでしょう? わたしが忘れて、キヨさんが教えてくれる手間がなくなったのに、なにが不満なの?」

「不満というか……なんか、妙な感じがして」


 今までできなかったことが、なぜだかできるようになった。

 最初はたまたまだと思っていたけれど、キヨさんだけじゃない。

 他の人にも「最近の翠は仕事ができるようになった」とか「馬鹿でも成長するのね」なんて言われて、そこで初めて、自分が何か変わったことに気づく。


 そうだ。

 わたし、仕事中もいつもお腹がすいてしまって、話に集中できなかったのよね。

 だから、聞き逃したり、理解していないのに「わかりました」とか言っちゃって、失敗して、いつも怒られていた。

 それが、最近まったくない。


 ご飯も、お腹がすかないから、全然食べられなくなった。


「あんたが食べないなんて珍しい。もしかして、男でも出来た!?」


 キヨさんがそんなことを言い出すくらい、わたしは変わっていた。


「いやいや、そんな。ただもう必要ないだけよ。必要ないもの」

「本当に? なんだか逆に心配になっちゃうんだけど……」

「そう言われても……わたしだってどうしてなのかわからないんだもの」


 自分でもどうして突然そうなったのか、わからない。

 ただ、あの日、目が覚めてからすごく体が楽……というか、なんだかすっきりしたような感じがした。

 たくさん眠ったから、頭が冴えていたのかもしれない。


 この他にもわたしはなんだか人が変わったようだと、何度か言われたことがあったけれど、その理由をわたしはうまく説明できなくて困っていた。

 でも、そんなのは最初だけで、何か月か経てば皆、変わった私のことなんて、もう関心がない。


 わたしの話題より、姫さまの話題が多くなった。

 姫さまに縁談の話が来ているのだとか。

 それも、異国の男らしい。

 もし姫さまがこの城を出て行ったら、みんな職を失うんじゃないかと不安になっていた。


「不安になるようなことはないと思うわ。それに、みんな職を失っても大丈夫よ。わたしたちは侍女として姫さまに仕えていたんだから、何だってできるわ」

「なんだってって、例えば何を?」

「そうねぇ、宿屋なんてどうかしら?」

「宿屋……?」

「人のお世話をすることにはみんな慣れているし、料理や掃除、洗濯だって完璧。ここは徒浜より栄えているから、色々な町や村、異国から来る旅の人だっているでしょう?」

「あだはま……? 何それ。聞いたことないけど、どこかの町の名前?」

「徒浜は徒浜よ。海が綺麗で……」


 あれ?

 どうして、徒浜のことをみんな知らないの?


「え? 翠、海を見たことがあるの?」

「え? 当然でしょ? 生まれた時から家の前に……」

「嘘だぁ、去年の春に、いつかみんなで海を見てみたいねって話したじゃない。あんた、海は見たことがないって言ってたわよ?」

「え? そうだった?」


 そんなはずはない。

 わたしは徒浜を知っているし、海も見たことがある。

 白い砂浜。

 私の部屋から見える景色。

 波の音。

 海の中を泳ぐと、すごく気持ちがいい。


 小さい頃、よく妹と二人で部屋を抜け出して、夜の海を泳いで、父上に見つかって怒られた。

 子供は夜の海に入ってはいけないって、父上が……


「……あれ?」


 妹?

 わたしに、妹なんていないわ。

 何、この記憶……誰の記憶?



 * * *



 近頃、頭が割れるように痛い。

 それに自分のものなのか、他の誰かの記憶なのかわからい夢をよく見る。

 わたしにはないはずの感覚。

 経験していないはずの感覚が、わたしの中にある。


 この感情は何?

 よくわからない、得体のしれない何かが、わたしの中を侵食しているような――

 なんだか恐ろしくて、こんなんじゃ仕事にならなくて、姫さまに相談したら、しばらく休むように言われた。


 家に帰ろう。

 わたしの家に。

 私が、あの人と暮らしていた家に。


 頭が痛い。

 頭を押さえながら、転ばないように下をむいてゆっくり歩いていくと、私の家に誰か来ているのか、誰かが話している声が聞こえて、顔を上げる。


「え……?」


 家の前で、深く土下座をしている男の後ろ姿が見えて、さらに視線を上げると、その男の前で刀を振り上げている女と目が合った。

 その瞬間、この体のすべてが完全に私のものになった。


「潮……?」


 このままでは、あの人が危ない。

 私は急いで駆け寄った。


 ふざけるな。

 やっと手に入れたのに、また奪われてたまるか。



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