翠(三)
やっと溜まっていた仕事が終わって、家に帰れたのは解放されてから二月後だった。
わたしの家は町の中心から少し外れた、山の近くにある。
もっとお城から近い場所にあればいいのに――って思うけど、ここはわたしが生まれた家で、父上と母上、死んじゃった兄さまとの思い出が詰まっている場所だからって、兄上は引っ越すつもりはないらしい。
その上、本物の人魚の肉を姫さまに献上したおかげで、わたしの命が助かったのとは別に報酬をもらったのだとか。
それで、少し家を改築したって言っていた。
「お腹すいた」
帰り道、いつものようにお腹を空かせたまま、わたしは想像した。
どこをどんな風に、変えたんだろう。
わたしの部屋も、綺麗になっているのだろうか。
ああ、でも……
「そういえば、兄さま、結婚したって言っていたな……」
忙しくてすっかり忘れていたけれど、兄さまは結婚したらしい。
いや、正確にはまだ式は挙げていない。
わたしが忙しいから、落ち着いたら祝言を挙げるって言っていたし。
すでにわたしの家で二人で暮らしているらしい。
兄さまはもったいぶって、名前も、どんな人なのかも教えてくれなかった。
それに、兄さまが結婚したってこの話も、先月キヨさんから聞いた話で、城で警護の仕事をしていた兄さまに直接聞かなければ、ずっと知らされないままだったかもしれない。
ついに兄さまが結婚か。
前もそういう話が出て、少し一緒に暮らした人がいたけど、あの人は兄さまのどこが不満だったのか、出て行ってしまったのよね。
可哀想な兄さま。
そりゃぁ、兄さまのことを「顔は良いけど、真面目過ぎてつまらない」って言う人もいるけど、わたしにとってはいい兄さまよ。
わたしの為なら何でもしてくれる、優しくて、頼りがいのある兄さま。
一体どんな人と夫婦になったんだろう……
まったく想像がつかなかった。
「……ん?」
家の前についたけれど、どこが変わったのか、玄関からじゃまったくわからなくて、わたしはしばらく首を傾げた。
でも、腹の虫がぐうぐう鳴って、仕方がない。
考えるよりも、先にご飯だと思った。
お嫁さんは殆ど家にいるって言っていた。
綺麗好きな人で、毎日家の掃除を隅々までしてくれているのだとか。
わたしが帰って来ることは知っているはずだし、掃除はいいから早くご飯を作ってもらおう。
わたしも姫さまみたいに、不老長寿の体になれば、こんなにお腹がすくこともなくなるんだろうなぁ。
「ただいま帰りました」
玄関の扉を開けて、一応、そう言った。
待っている人がいる家に帰るのは、本当に久しぶりだ。
いつも兄さんと一緒に帰って来ることが多かったし、なんだか少しだけ気恥ずかしく、嬉しい気持ちにもなった。
「……あれ?」
でも、まったく返事が返ってこない。
わたしのものじゃない草履が置いてあるし、中に人がいることに間違いはないはず。
この家の一番奥にあるのは、お風呂場と台所。
そのどちらかにいる場合、玄関口で大声を出してもあまり聞こえない。
だから、きっとそのどちらかにいるのだろうと思った。
わたしは自分の部屋に荷物を置いて、お風呂場のある方へ。
「あ……」
どこを改築したのかなと思っていたら、お風呂場だとすぐにわかった。
扉の色が変わっている。
ここまでくるまでの間、他に変わったところはないように思えたし、きっとそう。
銭湯が好きだった父上が、近くの川から水を引いて、それを沸かして家族で入れるように作ったけど、古くなっていたから、今はあまり使っていなかった。
きっと、綺麗好きなお嫁さんの為に、ここを直したのだと思った。
新しくなった風呂場を見ようと、扉を開ける。
すると――
「え……?」
予想以上に風呂場は広くなっていて、普通大きさの湯舟から少し離れた場所に、別の大きな湯舟の中ができていた。
そして、その大きな湯舟の中に、人魚がいた。
大きく目を見開いて、こちらを見ている。
「どうして、人魚がここにいるの? 姫さまに食べられたんじゃ……」
「……」
驚きすぎて、声が出ないのだろうか。
それとも、言葉が分からないのかもしれない。
だって、人間じゃないから。
人魚だから。
腹から上は人間、腹から下は大きな白い魚。
わたしは人魚の腕を掴んだ。
「人魚も食べられても平気なの? 姫さまの体の傷が消えたように、食べられても元に戻るの?」
「……それは、違うわ」
鈴を転がしたような綺麗な声で、人魚がしゃべった。
そして、わたしに両手を見せながら言う。
「芳姫さまは私のこの小指を食べたのよ」
人間の手と変わらない右手は、五本指。
左手は、小指だけ欠けていた。




