翠(二)
兄さまが戻って来たのは、それから三月ほど過ぎた頃だった。
姫さまは半年間も猶予を与えていたそうだけど、まさか三月で解放されるなんて……
わたしの兄さまは凄い人だと改めて思った。
「お前たちはこのまま残れ。それ以外は外へ」
「はい、姫さま」
牢屋から出されたわたしは両手を後ろ手に縛られていて、姫さまの部屋に入る前に縄は看守からキヨさんに持ち替えられた。
部屋には姫さまと、わたし、キヨさん、兄上。
そして、兄上が連れて来た謎の女の人。
芳姫さまとはまた別の綺麗な人だった。
色が白くて、黒い髪は艶々。
両目の瞼の下に小さな泣きぼくろがある以外、顔にシミの一つもない。
今にも消え入りそうな、どこか儚げな雰囲気のある人だった。
「その女が人魚だと……? どこからどう見ても、人間の女ではないか」
姫さまが問うと、その人は着物を脱いで、脚を見せた。
本当に不思議だった。
最初は人間の脚だったのに、あっという間になる。
腰から下が、大きな白い魚に変わった。
鱗と尾鰭。
太陽の光を当てたように、きらきらと輝いている。
すごく綺麗で、不思議で、本当に目の前にいる。
綺麗な人魚だった。
姫さまが、その人が人魚だと分かると、わたしの縄をキヨさんに解かせた。
わたしはその美しい人魚の姿をずっと見ていたかったけれど、キヨさんと一緒に部屋の外に出されてしまう。
「――驚いた。本当にあんなのが存在していたのね。腹から上は人間のままなのに、脚が……気味が悪いわ」
「そう……? わたしはとても綺麗だと思ったけれど……」
それに、大きくて食べ応えがありそうだった。
姫さまは、あれを食べるのだろうか?
小食の姫様が、あんな大きな肉を、どう食べるのだろう、と。
「……そんなことより、あんた牢屋にいる間、仕事が溜まっているの。さっさと手伝ってくれる?」
「え? でも、わたし、もう侍女でいられないんじゃ……?」
人魚を肉を持って来る代わりに、わたしの命は助かったけれど、侍女としてはもうやっていけないのだと思っていた。
けど、違った。
「何言ってるの。ただでさえ、人手不足なのよ? それに、姫さまだって最初はものすごく怒っていたけれど、時間が経てばどうってことない。人魚の事だって、どうせ見つけられないだろうって……ただの冗談だったのよ」
「え!? そうなの!?」
キヨさんの話によれば、人魚の肉を持ってこいという無理難題を吹っかけて、兄さんが必死になる様子が見たかっただけらしい。
ちょっとしたおふざけ。
兄さまはあまりに真面目で、優秀だって城内で有名だったから、少しからかっただけ。
人魚の肉なんて見つからなかったともう一度頭を下げてきたら、最初から許してやるつもりだったそうだ。
「逆に本当に見つけ出してきたからびっくりしていたわよ。本当、庄太郎さんは真面目で、妹思いの良いお兄さんよねぇ……羨ましいわ」
結局わたしはその日の内に侍女に復帰。
元々、ほとんど城で生活しながら働いていたから、兄さまと暮らしていた家に帰るのはひと月に一度あるかないかくらいだった。
長い間家に帰れないことは、別に苦じゃない。
むしろ、城にいた方が食べ物もたくさん食べられる。
姫さまがあの日、人魚の肉を食べて以来、なぜか食事に一切手を付けなくなったからだ。
いつもなら、少しだけ食べて、残りをわたしが……という感じだったのに、近頃は作っても、食べてくれないのだとか。
箸をつけた形跡すらない。
「姫さま、どうしてお食事をとられないのですか?」
気になって訊ねてみると、帰ってきた答えは単純だった。
「翠、妾はこの通り、不老長寿の体となった。あの人魚の肉を口にしてから、腹がまったくすかないのよ」
もう何十日も姫さまは食べ物を全然食べていない。
それなのに、やせ細ることもなく、人魚の肉を食べたあの人変わらず、綺麗なまま。
「ほら、その証拠に……」
姫さまは短刀で自分の人差し指の腹を少し切って、わたしに見せる。
「え?」
指の腹に傷はすぐに塞がって、まるで最初から傷なんてなかったように、元通りになってしまった。
指先から伝って落ちた鮮血も、いつの間にか消えている。
「妾は、本当に、朽ちない体を手に入れたんだよ」
だから、食べ物はもう必要ないのだと、姫さまは嬉しそうに微笑んだ。




