翠(一)
「お腹すいた……」
何を食べても満たされない。
お腹がいっぱいになったことなんて、わたしは一度もないかもしれない。
父上も母上も死んで、四人いた兄上も三人死んで、今、わたしに家族は庄太郎兄さましかいない。
兄さまはわたしがいっぱい食べることを知っていて、いつもわたしにたくさん食べさせてくれる。
本当はもっと食べられるけれど、それしかないから、それで充分だよって嘘を吐いた。
本当は、ずっと、ずっと、お腹がすいていた。
わたしはいつも空腹で、芳姫さまの侍女として働いている今も、ずっとそう。
芳姫さまが残したご飯を貰って食べても、どこかのお殿様が使者からお土産で持ってきたお菓子も、中には毒が入っていたものもあったけれど、全部全部、わたしが食べた。
それでも足りなくて……
もっとご飯が食べたいから、わたしは一生懸命侍女として働いて、稼がなくちゃと思った。
だから、芳姫さまのお役に立とうとしただけなのに……
「――翠!! あんたって子は……なんてことを!!」
芳姫さまが大切にしていた鏡を、わたしは割ってしまった。
怒られるのは嫌。
怖い。
大きな声を出さないで欲しい。
怖い。
「その鏡は、妾の宝だと言ったではないか!!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!! べ、弁償しますから……その――」
「できるわけないでしょう!? これは世界に一つとして同じものはないのよ!?」
芳姫さまの怒りは収まらず、わたしは牢屋に入れられてしまった。
怖い。
ここは、寒くて、暗くて、怖い。
それに、暖かいご飯が出ない。
ほんの少ししか食べられないじゃない。
お腹がすいた。
お腹がすいた。
兄さま助けて。
助けて、兄さま。
* * *
「人魚の肉……?」
「そう、それを食べたら、不老長寿になれるんだって……」
わたしを助ける為、姫さまが兄さまにその人魚の肉を探しに行かせたらしい。
食事を持ってきてくれたキヨさんからその話を聞いたのは、兄さまが城を出て数日後のことだった。
兄さまが全然来てくれないから、どうしたのかと、わたしを見捨てたのかと不安になったけれど、助けようとしているんだってわかって、安心した。
そうだよね。
あの兄さまが、わたしを助けないなんて、そんなことありえないもの。
わたしたちは立った二人の血の繋がった家族だもの。
わたしには兄さましかいないように、兄さまにもわたししかいないのだから。
「芳姫さまは確かにお美しいし、同じ歳の他国の姫さまと比べてもお若いと思うんだけどねぇ……人魚の肉なんて、そんな、本当にあるかもわからないようなものを探してくるように言うなんて――庄太郎さん、大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃないと困るわ! わたしが死んじゃうじゃない!」
「もう、翠。あんたっていつもそうよねぇ……自分でやらかしておいて」
「何よ? 確かに鏡を割ったのはわたしよ。でも、わざと割ったわけじゃないし、あんなに怒らなくても」
ちょっと手が滑っただけ。
それなのに、兄さまが人魚の肉を見つけて来なければ、わたしが死んじゃうなんて、なんて理不尽な世の中なのかしら。
そりゃぁ、芳姫さまは確かに美しいわ。
いつも綺麗なお着物で、髪も艶々。
異国から取り寄せた高価な化粧品を体や顔に塗ったり、毎日湯あみをしているからどこにも汚れがついていない綺麗な肌。
気にいったものしか使わないから、一度使ってもういらないってなったら侍女であるわたしたちにも分けてくれるところは、なんてお優しい人なんだろうと思っていたけれど……
鏡を割ったくらいで、なんで命まで取られなきゃならないんだろう。
何度も逃げ出そうとしたけど、そうしたら看守に頬を打たれた。
女の顔を打つなんて、最低の男。
兄さまだったら、絶対にそんなことはしないのに。
こんなのが兄さまと一緒に働いているなんて……
「おい、長話はそれくらいにしろ」
「はいはい、すみませんね。それじゃぁ、翠。また夜に来るわね」
「うん、待ってるわ」
本当に融通が利かない。
わたしは看守を睨みつけた後、キヨさんの後ろ姿を見送った。
「はぁ……お腹すいた」
渡された握飯二つとたくあんが三枚乗った皿を見つめ、今日もこれだけかと泣きそうになる。
兄さま早くその人魚の肉ってやつを手に入れて、わたしを助けに来て……
「……人魚の肉って、美味しいのかな?」
あっという間に空っぽになったお皿に向かって、わたしはそう問いかけた。
妙薬だというのだから、きっと、苦いかもしれない。
わたしは何でも食べるけど、苦いのは嫌だなぁ。




