潮(五)
鱗はもうすっかり乾いていて、おそらく何か月も前のものだと思う。
よく見れば、大きな浴槽の周りはまったく手入れされていないようで、普通の風呂の周囲だけが綺麗だった。
こちらは水が入っている。
人魚は水に浸からなければならない……が、全身だ。
それも人間のように暖かいお湯には入れない。
おそらく、姉さま用に大きな浴槽にはお湯ではなく水が入っていたはず。
その証拠に、どんなに周りを見渡しても、大きな浴槽の方には、お湯を沸かすかまどがついていない。
私の家は徒浜に唯一ある宿屋で、小さいが人間用の風呂がある。
母上が人間を泊めるなら必要だと設置した、釜風呂だ。
私も何度か火を起こすのを手伝ったことがあるから、知っている。
「姉さま……」
やっぱり、姉さまはこの家にいた。
いたはずだ。
それなら、今はどこにいるのだろう?
この鱗を手にした瞬間、何か、どこか嫌な予感がして仕方がなかった。
双子の感――いや、これはきっと人魚の感だ。
人魚は人間と違う感覚を持っている。
嗅覚は人間より弱いと言われているが、直感が鋭く、普通の人間の目には視えないようなものが分かったりする。
「ん……?」
風呂場から出て、次に見たのが台所だった。
かまどの前……床には真新しい茣蓙が引かれている。
普通、こんなところに敷くだろうか。
土間の上に茣蓙……?
まるで、何かを隠しているようにも思えた。
どうしてそう思ったか――なんて、自分でもわからない。
ただ、妙な気配を感じた。
だから……
「……これ……は――――」
茣蓙の下にあった大きな黒いしみ。
それが、わずかに姉さまの鱗と同じ、光をまとっている。
それを見た瞬間、私は姉さまの身に何が起きたか、一瞬で理解できた。
姉さまは、自分からこの家を出て行ったのではない。
死んだんだ。
ここで、この場所で、殺されたんだ――と。
* * *
「――見つけたぞ、庄太郎」
私は庄太郎がこの家に帰って来るのを待ち構えた。
短刀を握る手に、力が入る。
「お前……潮……か?」
絶対に殺してやる。
姉さまを返してもらう。
「姉さまを返せ!」
私がそう叫ぶと庄太郎は、腰に差していた刀を鞘ごと抜き取って私の前に放り投げた。
ガシャンと重たい金属の音が、私の足元に落ちる。
「……何のつもりだ。こんなもの――私は、姉さまを返せと言っているんだ!」
「すまない」
頭に血が上っていた私に向かい、庄太郎は両膝を着いて、深々と頭を下げた。
「それは、できない。もう、ここにはいないんだ。澪は、死んだ」
「死んだ……? 殺したの間違いだろう」
やはりこの男が、姉さまを殺したんだ。
「そうだ。俺が、澪を…………殺した」
「なんで、どうして、殺した!? 騙したのか!? 姉さまの手紙では、愛しい人と一緒になったと書かれていた。お前は、姉さまを騙したのか!?」
庄太郎は額を地面に押し当てたままだった。
姉さまを殺した男の顔など、見たくもなかったが、これでは何もわからない。
姉さまがどうして、殺されたのか。
なぜ、殺す必要があったのか。
「そうだ……俺が――――」
憎くて憎くて仕方がない。
姉さまを殺したこの男が……
私から、姉さまを奪ったこの男が……
「この、人魚殺し!!」
私は短刀を捨て、足元に転がっていた刀を手にした。
鞘から抜いて、庄太郎に刀を振り上げた瞬間、こちらに向かって歩いてくる女と目が合う。
一瞬、時が止まった。
「――潮……?」
女は真っ青な顔で、私の顔を見て確かに、そう、言ったのだ。
「誰……?」
私はこの女を知らないのに、どうして、この女は私の名前を知っているのだろう。




