272 味噌と恋の重症患者たち
俺はいつまでも指を離さないフォルテに困惑していた。だが、このままでは料理はできない。どうしようか迷っていると、サラが声をかけた。
「アッくん、わ、私もその味噌を味見したいなぁ」
振り向くと、なぜか彼女は顔を真っ赤にし、もじもじとしていた。その様子は少し気になったが、急いで料理を終えたい俺は、いまだに指を咥えたままのフォルテに優しく語りかけた。
「フォルテ、悪いけど、口を離してもらえないかな? 料理も途中だし、サラにも味を見てもらいたいんだ」
その言葉にフォルテは上目遣いで俺を見ると、視線をサラに移し、味噌が入ったボウルからスプーンを突き出した。その先にはねっとりと味噌が付いていた。
その瞬間、サラとフォルテは激しく睨み合い、殺気を感じた俺の背中に冷たい汗が伝わった。
思わず、ひゅっと息を吸い込む。
理由は分からないが、天使長と魔王を内に秘めた彼女たちが鋭く視線をぶつけ合っている。
――意味が分からない。しかもフォルテは指を咥えたままだ。シュール過ぎて誰も笑っていない。もしくは殺気にあてられ、口を閉ざしているだけかもしれない。
フォルテとサラは婚約者。ミゲイルは妹で、サタナルは親友だ。何も恐れることはない――はずだ。
そう自分に言い聞かせて、震える指先でスプーンに付いた味噌をすくうと、サラの前に突き出した。
刹那、パクッとサラが指先を咥えた。食いちぎられるかと思い、つい手を引こうとしたが、必死に耐えた。
やがて殺気は霧散した。左右を見やると、満面の笑みで指を咥えたままの婚約者二人。その二人の背中には金色と漆黒の翼が広がっていた。
おそらくミゲイルとサタナルに入れ替わったのだろう。
天使長と魔王――この神話に出てくる上位の存在に指を咥えられた俺は、ただただ少しでも早く、二人が満足して指先を解放してくれることを願った。
◆
テントの片付けを終えて戻ってくると、サラとフォルテ――いや、ミゲイルとサタナルに両手の指先を噛まれたまま棒立ちになっているアークの姿が目に飛び込んできた。
そんな三人を目の前に呆然と見つめるライデンさんとガリュウがいた。状況がまったく理解できず、二人に声をかけた。
「ライデンさん、あれはなんですか? ガリュウは何か知っているのか?」
俺の問いかけに二人は視線を逸らして答えようとしなかった。彼らの様子から、アークを巡ってサラとフォルテがまた何かやらかしたと察する。
ため息をつき、三人のもとへ向かうと、アークがすぐに気づき、こちらに助けを求める。ミゲイルとサタナルは目を閉じ、アークの指先を噛んだままだ。
――本当に何をやっているんだ。
もう一度、大きく息を吐き、俺は言い放った。
「おい、三人とも、いい加減にしろ。空腹のライデンさんをいつまで待たせるつもりだ!」
その言葉にビクッと肩を揺らしたのはアークだけだ。ミゲイルとサタナルは一切動じることがなく、ただ無心で指先を噛んでいる。
――かなりの重症だ。恋の病も悪化すれば、これほど危険なのか。
背中に冷や汗が流れる。もはや俺に二人を止める術はない。そう判断した俺は、皿にある肉を見つけ、サタナルが持っているボウルを取り上げた。
「アーク、この味噌は何に使う? もしかしてこの肉のソースか? あとは俺が料理を引き継ぐから、どうすればいいか教えろ」
その瞬間、アークが悲しげな表情を浮かべた。どうやら見放されたと思ったらしい。俺は肩をすくめた。
「悪いな、アーク。しばらく二人? いや四人か。サラとミゲイル、フォルテとサタナルの相手をしておいてくれ。なんとか止めようとしたが、さっき見た通り、俺には無理だった」
「……そんなスカイ」
少し冷たいかもしれないが、これ以上朝食を遅らせるわけにはいかない。今後の予定もある。俺は素早くアークから作り方を聞くと、すぐに調理を始めた。
背中にアークの寂しげな視線が突き刺さるが、俺はそれを一切無視して料理に集中した。
――――――――――――
俺が調理を終えて料理を運んでいると、アークたちが戻ってきた。三人の表情は対照的だった。
サラとフォルテは生気に満ち溢れ、比喩ではなく肌がつやつやと潤っており、一方でアークは生命力を吸い取られたのか、少し頬がこけていた。
(……まさか、ミゲイルとサタナルが、アークの神気を奪い取ったわけじゃないよな)
少しだけ心配になり、アークをじっと見つめると、サラとフォルテが笑顔で俺から料理を奪い取った。
「もう、スカイ。折角、アッくんと料理するはずだったのに、勝手にしないでよ♪」
「本当です。楽しみにしていたのに、残念です♪」
そう言いながらも表情は明るく、ご機嫌に俺の代わりに料理を運び、簡易のテーブルに並べ始めた。
もはや何を言っても意味がない。ただ二人が満足しているなら、それでいい。今日はいよいよ未踏の七王の領域に挑むのだ。無用な争いはしたくない。
俺は黙って残りの料理を持ってくると、遠くから様子を見ていたライデンさんたちも戻ってきた。
全員が揃い、テーブルを囲むと自然とライデンさんに視線が集まった。
「……こほん、それじゃ、とりあえず朝食だ。アークたちに感謝を込めて、しっかりと味わえ」
そう告げると、かなりお腹を空かしていたのか、ライデンさんはすぐに肉が載った皿に手を伸ばした。
各々が自分のペースで美味しく朝食を取る中、サラとフォルテに挟まれたアークだけは、何も食べず、じっと遠くを見ていた。
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