きみと
「あー…、遅くなりすぎちゃったなあ」
ぽり、と頬を指で掻く。
今日は絶対に顔を出せ、なんて執事長に言われたものの、それが嫌でこっそり抜け出して屋敷の裏の何にある森に身を隠していたのだが、気付いたら寝てしまって今に至る。
どっちみち執事長に怒られるのは分かっているが、いくらなんでも寝すぎたかと軽く反省をしながら自室を目指して廊下を歩く。
ふと、窓に視線を向ければ雲一つない空でまんまるの月が美しく輝いている。
____今日は、旦那様の命日だ。
朝から屋敷の連中はバタバタとしていたから、俺としては抜け出しやすかったけれど。
己の瞳すら焼けつくしそうな程強い光を放っている満月に双眸を細め嘲笑を零す。
「命日が満月なんて、アンタも好かれてるね」
それとも、逆に嫌われてんのかな。
なんて事を考えていればふと視界の隅に何が黒い影通ったように見えた、そのままスルスルと空間を動きとある部屋に入っていく。
嗚呼、本当に面倒くさい。なんでこんな日に俺が見つけちゃうかなあ、まあ他の奴らよりも俺の方が夜目は効く方ではあるけど…ってそれどころじゃないか。仕方ない、お仕事しますかね。
はあ、と盛大な溜息を吐き出してその影を追う様にサングラスを外し足音を殺して歩き出す。
久しぶりに見つけた獲物に、自然と口角が吊り上がるのを感じだ。
ニクイ、ニクイ、ニクイ。
ホシイ、ホシイ、ホシイ、チョウダイ、ホシイ、ソレガホシイ。
ズルイ、ナンデ、オレモ、ホシイノニ、ドウシテ、ドウシテ
_____ソレヲ、ヨコセ。
「ハーイ、残念でした。」
蔦のように影を動かし、今まさに襲い掛からんとする影をガッと力強く掴み引き上げる。
驚いたのかうごうごと身を捩らせ逃げようとしている影は靄のようで実体を持っていないようだった、恐らくあの指輪の"光"に引き寄せられて近づいてきた下級の魔物だろう。色んな感情が混ざり合い生まれた哀れな生き物。そんな奴がこの屋敷に潜り込むなんて馬鹿だ、否そもそも指輪の光に惑わされてやってくるなんて虫のような生き物に考えられる知性はないのかもしれない。
頭の中で散々馬鹿にするようなことを考えていれば掴まれたまま抵抗していた生き物は、耳障りな声で叫ぶ。
"ソウシテ、ナゼ!!オマエモオレタチトオナジナノニ!!!!オマエモ!マザリモノナノニ!!!!!!!!!!!!"
その脳内に直接響くような声にクツリと喉を鳴らし口端を吊り上げる。
一緒?俺とお前らが?
嗚呼、胸糞悪い。
コイツを握る手に自然と力が入る、ギチギチと音が鳴りそうな程握りしめられた生き物は苦しいのだろう呻き声をあげながら悶え苦しんでいた。
あーあ、可哀想に。そんなに苦しんで、このまま握ってたら潰れちゃいそうだなあ。だったら、これ以上痛い思いさせるのは良くないよね。俺ってほら、やさしいから。
ぐ、と握っていた手に力を込めれば”ギッ”という短い悲鳴と共に握りしめていたものが破裂し、絶命したのが分かった。
血こそ出てはいないものの、俺の手のひらには無残な姿になったモノがまだ残っている。
気持ちが悪い感触が嫌なのに、何故かほぼ無意識に俺は口を開きそれを咥内に運ぶ。
_____久しぶりの、獲物だ。
「…アモン?」
少し高い、眠たげな声が俺の耳に届けば本能のままに動いていた体に意識が戻る。
は、と短く呼吸を吐き出して振り返ればベッドから上半身を起こし目を擦りながら此方を不思議そうに見つめている坊ちゃんの姿があった。
そうだ、此処は坊ちゃんの部屋で、俺は此処に入った黒い影を追ってきたんだった。
視線を下に下げれば先ほどまで握りしめていたモノはすっかりと消滅し、影も形もなくなっていた。
それに何処か安堵しながらも、小さく苦笑いを浮かべればベッドに近寄り傍に寄れば視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「ごめんね坊ちゃん、起こしちゃった?」
「…ううん、なんでアモンが此処にいるんだ?」
「んー?俺寝ぼけて間違えて坊ちゃんの部屋に来ちゃったみたい」
ほら、俺ってドジっ子だから?
なんてカラカラと笑えば坊ちゃんは何処がドジっ子なんだ?とでも言いたげな顔をしていたが、そんな坊ちゃんの反応を無視して再度ベッドに横になるように促す。
「ほらほら、俺も戻るから坊ちゃんももうねんねしな。明日も朝早いんだからさ」
「…子供扱いするな」
「ざんねーん、坊ちゃんはまだ子供デス。…これでよし、じゃあおやすみ坊ちゃん」
無理矢理ベッドに押し込んで布団をかけ直してやれば、文句こそ言っていたものの直ぐに再び眠気がやってきたのかウトウトとし始めた様子にゆっくりと立ち上がり邪魔をしないようにと背中を向けて立ち去ろうとするも、そんな己の服を小さな手が握りしめる。
「…アモン」
「なあに、どうしたの?」
「僕は、父様じゃない。」
どくり、と心臓が脈打つ。
「…そんなの、みんな知ってるよ」
「父様が亡くなって、急に今日からお前がこの屋敷の主人だって言われて、みんなから期待されて。我武者羅にやろうとしてもから回ってばかりで、やっぱり僕と父様は違うんだって思った。」
「だけど、」
「それでも、僕は父様の息子だから。僕が、この屋敷の主なんだ。今はまだ弱いけれど、きっとみんなが認めてくれるような主人になってみせるから」
だから、それまで見てて。僕を、みてて。
最後にはか細く消えていった声は、暫くして寝息に変わっていった。
それでもハッキリと意志を持った声は俺に届いていた、俺が何かを返す前に坊ちゃんは寝てしまったけれども服を握る手はまだ離れていなかった。そんな手をそっと離してやり、風邪をひかない様にとその手も布団の中にしまってやる。
「…ほんっとうに、馬鹿だなあ」
人間って、本当に馬鹿な生き物だ。
「ねえ、知ってる坊ちゃん。」
君のその真っ直ぐで、意思を曲げない性格とか俺を見つめる瞳は
本当にムカつくくらい、あの人そっくりなんだよ。