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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

青春トラジコメディー

 高校一年生。多感な時期だと言われるけど、青い春の闇は表には出ないものだ。親や教師が見ているのは、嫌でも大人にならなければいけないボクらの上澄み。中学校から引き摺ってきた、脱皮しきれなかったデリケートなストレスの多くは水面下で、少年少女の内内で処理される。


 例えば、恋と錯覚した感情を暴走させた男女の性行為。例えば、リストカット。包帯で傷を隠そうとする者もいれば、見せびらかす者もいる。そして、そういったリストカットをするのは、女子だけだと思われがちだ。誰がリストカットを女子の特権だと決めた?ボクは声を大にして、教壇に登って叫べる。



 我こそが稀少なメンヘラ男子だ!



 ボクの左手首には無数の傷跡が残っている。中学生の頃には無かった、ボクの何かを物語っている傷跡。脱げる皮は全て中学校に脱ぎ捨ててきたつもりだった。ボクの場合、ストレス源は高校という世界そのものだった。小難しい勉強、面倒な部活、新しい交友関係。だけど、必要悪の範疇であって、悪くないと思っていた。それらが悪いわけじゃないと理解していた。じゃあ、どうしてボクは手首を切る?それを考えることがボクの最大のストレスだった。


 けど、そんなボクのリスカ傷に心から理解を示そうという人間はいなかった。両親にはそもそもリストカットのことは話していなかったし、クラスメイトの女子、特にリストカットをしている女子はボクを敵視した。教師に至っては、説教、説教、説教。ボクにだけ説教すんなよ、リスカ女子なんてこのクラスに何人いるか分かったもんじゃねぇぞ。何度、そう言いかけたか。


 説教をされるくらいなら見て見ぬ振りでいい。別にボクは、孤独じゃない。そんな言葉を盾にして、ボクは高校生活というサバイバルを乗り切った。ボクの勉学、進路、就職に無関心だった両親に感謝しつつ、ボクは高校卒業と同時に校則で禁止されていた、アルバイトを始めた。他にしたいことも無かったから。自由に使えるお金が欲しかったから。でも、ボクは変わらずに手首を切り続けた。


 バイト先は何回か変えた。その理由は、バイト仲間と揉めたからとか、予想外に仕事がキツかったからとか、そういうものだった。本当は違うことなんて分かっていた。自慰行為をするように、何かから逃げる。逃げても逃げても振り払えない何かがある。高校時代のように自分を騙すことにも疲れてきた。じゃあ、だから、どうしたらいい。夕日に染まった縁起でもないものを連想させる赤い街の電柱を蹴り飛ばした。痛かった。それだけだった。電柱は無痛を誇るようにそこに立つ。


 その電柱に、ボクは背中を預けた。電柱が昔からの友達のようにしっくりきた。



 「遠い街に行きたいな……」



 ボクはそう呟いて、スマホで銀行の貯金残高を確認した。無職だろうと、数ヶ月は一人でも生きていけるだけの蓄えが、ボクにはあった。高校も出ている。両親も騒がないだろう。自由なんだ。それを確かめた途端、悲しくもないのに涙が溢れた。拭えど拭えど流れる塩っ辛い雫に、体内の水分が奪われていく。ジワリ、ジワリ、干からびていく自分の身体が可哀想だった。慰めてあげなきゃいけない。リュックの中から小さなカッターを取り出す。どうせ誰も通らないような場所だ。構わないだろう。左手首にそれを望まれている気がするから。ボクは歌を口ずさみながら、左手首を覆うシャツの袖を捲った。



 「しょーねんーりすとかーっとー……」



 少年リストカット。最近の流行歌だった。ボクの為にあるような歌だ。「少年リストカット。無意味に流れる血に寂しさを覚える。君は何処。答えなどない」。その歌詞が気に入っていた。ボクの左手首の傷は高校を卒業してから急速に増え出した。生傷が絶えない時の方が多かった。答えなどない、そういうわけじゃない。歌詞のように綺麗に生きられたら、こんな世界も愛せるのかな。そんな、くだらないことを考えた。頭を左右に振り、カッターの刃を出し、外気に触れさせる。


 何かを断ち切るのは簡単だ。このカッターがあれば、ボクは無敵なのだ。そう思わないとやっていられない、それくらいの何かを抱えているくせに、向き合おうとしないのはボクが弱いからだろう。リストカットは弱者であるボクが高校生活で身に付けた、一つの生き方。手首を切る時に躊躇うことはない。心の中にボクを止める人はいない。ボク自身もそんな自分を止めようとは思わない。


 でも、この日のその瞬間に、ボクの悪い意味で無為な日々は砕けて散った。



 「手首より凄いところを切ってる奴、知ってるぜ」



 電柱の裏側からそんな声がした。あまりにも唐突で、すぐに頭が回らなかった。とりあえず、声の主の姿を見たくて、ボクはリストカットを中止した。電柱の裏側、そこはもしかしたら異世界かもしれない。宇宙かもしれない。いつだって世界は唐突に姿を変える。誰かの都合とか、神様の気まぐれとか、理由は分からないが、世界がいつだってボクにだけ優しくないことはとっくに理解している。電柱の裏。そこには、一回か二回は会っていそうな、見たことのある気がする男が立っていた。会ったとしたらバイト先だろう。バイト先はいつも飲食店だったから、店員とお客さんとして接したことがあるかもしれない。


 男はロング丈の白衣を着ていた。その白衣が以前、会ったことがあるような印象を曖昧にさせていた。手首より凄いところ、という男の言葉が薄くなっていく。ボクは別に凄いところを切りたくて身体を切っているわけじゃないし。たまたま、左手首が犠牲になっただけだ。男がボクの言葉を待たずに言う。



 「ちんこは切らねぇの?」


 「え?ち?」


 「ちんこ」



 下品、極まりない。それがボクの感想だった。凄いところって、もしかして、モノ?男が自分のモノを切る?あり得ない、あり得ないだろう。耐えられるとは思えない。切るって、どの辺りを?ボクの思考はいつの間にか、男の言葉に囚われていた。そして、男が白衣のポケットからスマホを取り出した。スマホの画面をボクに向ける。スマホの画面に映っていたのは、赤く腫れたモノ。男が言う。ちんカで感染症を起こしてこうなった。お前もやってみれば?男の言葉にボクは首を横に振った。あり得ない、という意味を込めて。


 赤の街が闇に沈み始める。今日の夕食、トンカツだっけ。こんなところで変人の相手をしているくらいなら、自宅でつまらないニュースを見ながらスマホでも弄っていた方がいい。男に軽く会釈して、自宅の方へと身体を向ける。すると、男はボクの背中を思い切り蹴飛ばした。当然、ボクは転ぶ。あちこち怪我もしただろう。だって、あちこち痛むのだから。医師だか何だか知らないが、仮にも白衣を着ている人間のすることじゃない。男はボクの真正面に立ち、そして、しゃがんでボクの顎を掴んだ。まるでキスでもするように。



 「うちで手当てしてやるよ」


 「……自分で怪我させておいて何なんですか」


 「手当てのついでに俺が食べてやるよ、お前の痛みも、虚しさも」



 甘い言葉。こういう人間を、世間では悪い大人と言う。男の甘い言葉で救われた自分が心の中にいる。その自分には何か理由が必要だった。出来れば、自分で責任を負わなくて済む理由が。損することなく何かを得たい自分がいた。こんな大人にボクの何を変えられる?そもそも、変えてほしいのか?分からない。分かっているくせに分からない。そんな自分が分からない。理解出来ないものを受け入れることは、容易いことじゃない。だけど、ボクにはそうせざるを得ないくらいの何かがある。分からない振りをする。


 こうして、ボクは揚げたてのトンカツより悪い大人の誘いを選んだ。


 山井 ゆう。高卒後、飲食店の店員になって、転職を繰り返しながらもそこそこ稼いでいるメンヘラ。ボクのプロフィールはそんなところだ。悪い大人も闇色の影を引き摺りながら、ボクに自己紹介をした。林 いのり。フリーのスクールカウンセラー。つまり、無職のアラサー。そして、一応、確認したのだが、確かにボクといのりさんは会ったことがあるそうだ。ボクの前のバイト先によく来ていたらしい。


 いのりさんの住むマンションは近かった。ボクは遠くへ行きたかったはずなのに。こんな近場、無職の変人の家に来たって何があるわけでもないだろう。手のひら、両肘、両膝を負傷したボクを小汚い玄関に通し、ちょい待って、と言って、いのりさんは部屋へと消えていく。嫌な予感しかしない。数分後、いのりさんはボクを部屋へと通した。見事に汚い。ボクはいのりさんの部屋から出て帰る、という無難な選択をした。怪我?こんな不衛生極まりない部屋で手当てされたら悪化するわ。しかし、いのりさんがそれを阻止する。ボクに拒否権など与えた覚えはない、そんな、何様だという言葉を吐いて、ボクを抱き寄せた。



 「あの、いのりさん」


 「何?勃った?」


 「あんた、そればっかりだな」



 呆れから溜め息が出る。いい歳した大人が高卒の少年をとっ捕まえて何を言うか。抱き寄せられた理由も分からない。ただ、困ったことにボクの心は安堵していた。いのりさんの温もりに。この非現実的状況に。もしかしたら、性的な危機に陥っているのかもしれないけど、そんなことはどうでもよかった。そう、どうでもよかったのだ。ボクはボクをどうにかしてくれる、危機やヒロイックな展開を求めていたのだ。ようやく認めることが出来た。虚しさ。ボクの心に巣食った怪物。いのりさんの温もりが、じわり、沁みる。



 「……危ない目ぇしてんなーって思ってたんだよ」



 いのりさんの呟き。



 「……それはいつの話ですか」



 ボクの問いかけ。



 「初めて会った時。生き延びられてもろくな大人にならんなって思った」



 いのりさんがボクの身体を解放する。危ない目をしてるから。だからってこんなことをする理由が分からない。救われたけど。ボクがろくな大人にならなくても、いのりさんには関係ないと思うけど。もう、いいかなって思った。何かが溢れ出る。涙か、涙か、涙か。そのうちのどれか。ボクはいのりさんを悪役にすることを決めた。この虚しさに殺されるくらいなら、危機やらヒロイックな展開を提供してくれるいのりさんとどうこうしてしまった方がマシだ。穴あきチーズのような心から、いのりさんが溢れ落ちていく。



 「……ボク、遠くの街へ行きたいです」


 「そういうお年頃?」


 「分かんないですよ、そんなん」


 「泣くほど辛いなら、攫ってやろうか?」



 悪い大人は、ボクの期待に応えてくれた。本当にどうして、ボクにこんなことをするのか。と、ボクが考えていると、いのりさんはベルトを外し始めた。その時、ボクはいのりさんが本当にボクを「食べる」つもりで自宅に連れ込んだのだと理解した。遅かった。でも、嫌だとか、そうは思わなかった。いのりさんがズボンとトランクスを下げる。何をされるのか、または、何をさせられるのか。ボクの妙な期待と不安感の混在した気持ちは、いのりさんのモノを見て凍り付いた。赤黒い。使い込まれた赤黒さとは違う。


 いのりさんのモノには、切った痕があった。ぶらり、揺れている。



 「安心材料になるだろ。感染症で不能、排泄障害もある」


 「いのりさんは、どうして、ボクを」


 「いつかゆうがちんカしないように、何かしてやりたかった」



 いのりさんが、モノを揺らして笑った。



 ──この出会いが、ボクの歩く道を、歩幅を、速さを変えた。



 警察沙汰になったら多方面に迷惑を掛ける。両親には家を出る旨を伝え、両親から大した反応もないまま、ボクは家を出られることになった。いのりさんは本当にボクを攫ってくれた。いのりさんのことをよく知らないまま、不思議な二人暮らしが始まった。壊滅的なまでに片付けが出来ないいのりさんは、家のことをボクに任せ、転居先の近くの小学校でスクールカウンセラーとして働き始めた。余りにも穏やかな日々が過ぎていった。ボクをリストカットへと駆り立てたものは、もう無い。茶と白の傷跡が残る、左手首は平和な日々を手に入れ、時折、古傷の痛みを連れて皮膚を襲いにくる以外、特に主張もしなかった。


 洗濯物を干す。男二人の洗濯物を干していると、思うことがある。もし、ボクが女の子だったら、いのりさんとは結婚していたのかな。もしくは、するのかな。いのりさんに聞いてみようとは思わなかった。聞いたところで、何か変わるわけでもない。ボクはいのりさんと結婚したいわけじゃないし、いのりさんだってボクと結婚したいわけじゃないだろう。いのりさんは、言ってしまうとボクの保護者なのだ。夕方遅くになってから、いのりさんは薔薇の花束を買って帰ってきた。そんなものを飾れる花瓶は、うちには無い。



 「いのりさん、花瓶もセットでお願いしますよ……」


 「いや、そこは、どうしたんですか?その花束!?だろ」


 「どうしたんですかその花束」


 「よくぞ聞いてくれた。ゆうに大事な話がある」



 こういう人なんだよなぁ、忘れていたけど。それより、薔薇の花束(ちなみに赤薔薇、本数は数えるのも怠い)を買ってきてする大事な話って、何だろう。洗濯物を干していた時の結婚の話が頭を過ぎる。まさか、まさかまさかだ。ボクもいのりさんも男だ、例え、性別の壁を乗り越えたとしても、年齢差とか色々あるだろう。でも、いのりさんはボクに花束を渡して、真剣な顔をして言った。攫った時から決めていたことがある。その言葉の続きは、ヒロイックに、ボクの平和に危機をもたらした。いや、それは大袈裟かな。でも、少なくとも、いのりさんの方はボクの保護者をしているつもりは無かったようだった。



 「ゆう、お前も今日から大人だから、お前に手を出したい」



 そう、今日はボクの二十歳の誕生日だった。でも、手を出したいって、どういう意味合いで、だろう。そこに恋愛感情は含まれているのだろうか。ボクがそれを尋ねると、いのりさんが喉を鳴らして笑った。不能じゃなかったら突っ込みたいくらいには、俺はゆうが好きだよ。それは、どれくらいのレベルの「好き」なのか。どういうジャンルの「好き」なのか。左手首の古傷が痛んだ。赤の街でいのりさんと出会った時のことが自動再生される。あぁ、そうだ。ボクはメンヘラ男子だった。今になって、それがボクの本質な気がし始めた。もう、そこに傷を刻む理由が無くとも、ボクには傷が必要なのだ、と。そうしない為には「理由」が必要だった。


 ボクはいのりさんに言った。



 「いいですよ。ボクの理由になってくれるなら」


 

 いのりさんがボクに聞き返す。



 「理由?」



 生きる理由。リストカットをしない理由。泣く理由。怒る理由。ボクが、ボクでいる理由。大した不幸なんて背負っちゃいない。そんなことは分かり切っている。青い春から生まれた病は、少年少女を大袈裟にさせる。誰もが舞台上に上がりたいわけじゃない。裏方で不幸を謳歌することも出来る。ボクは一体、何を選んだのか。ボクはいのりさんを真似て、喉を鳴らして笑った。理由は理由だ、理由にはそれ以上もそれ以下も無い。理由は理由だからこそ理由なのであって、あぁ、もう、いいや。ボクの演目は、永遠に悲喜劇。


 赤薔薇が香る。ボクも、悪い大人になってしまった気がする。

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