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Alice in...  作者: 秋田 友
第一章:鏡の国のアリス

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第一章:鏡の国のアリス03

 列車を降りた乗客はアリシアだけではなかった。先ほどアリシアが手を貸した白い老女も同じ駅で降りた。

 白い老女もアリシアに気づいたようで、声をかけてくる。


「貴女もお城へ招かれたのかしら?」

「そうね。招かれたというよりは、行かざるを得なくなったという方が正しいかもしれないけれど」

「そうだったの。わたくしもチェスの対戦相手として招かれたのよ。よければ一緒に行きましょう。あなたは、ええと確か、アリシア……だったかしら?」


 アリシアは息を呑む。


「どうしてアタシの名前を知っているの?」

「あなたは一緒にチェスに挑む仲間だもの、知っているわ」


 アリシアは眉を潜めるが、白い老女は歌っているかのように健やかな表情を崩さない。


「わけがわからないわ。アタシがチェスで赤の女王に挑むことも、名前も、あなたには教えていないじゃない」

「そうかもしれないわね。けれども覚えているのよ。あなたはわたくしと一緒にチェスに参加するということをね」


 その口ぶりはまるではっきりとその出来事を見てきたかのようだった。


「それがアタシにはわからないって言っているのよ」


 白い老女はパッと笑顔になった。


「ああ、そういうことね。合点がいったわ。あのね、わたくしは未来から過去に向かって生きているから、あなたとチェスに出たことを覚えているの。だからあなたとわたくしは同じチェス盤で戦うのよ」


 アリシアは目を回す。意味が分からない。

 白い老女はそんなアリシアを気にも留めずに歩きだす。その横顔は無垢な少女のような笑顔のままだった。


「お城は遠くに見えるけれど、すぐ近くにあるわ。近いものは小さく、遠いものは大きく見えるものよ。さあ行きましょう、アリシア」


 アリシアの横を抜けて白い老女は歩き出す。その歩き方はとても奇妙で、彼女は三歩進んで二歩下がる。

 わざわざそんな面倒な歩き方をする理由は何なのだろう。アリシアはますます白い老女のことがわからなくなった。


 *


 白い老女に案内されるまま辿り着いた城は、駅のホームから見えていたほど大きなものではなかった。近いものは小さく、遠いものは大きく見えるという白い老女の言葉をアリシアはようやく理解できた。

 駅を後にし、森を抜け、薔薇の垣根の迷路を抜けて城の庭へとふたりは辿り着く。白い老女が垣根の迷路を、まるで道筋を知っているかのように迷わず抜けたことにアリシアは驚いた。

 迷路を抜けた先の庭園には赤と黒の大きなチェス盤があり、その一マスはちょうど人間ひとりが立てるくらいの広さをしている。盤上の駒の大きさもちょうどそのくらいで、ポーンはアリシアの背丈とそう変わらなかった。


「遅いですよ、白の女王。待ちくたびれました」

「ごめんなさいね。でもあなたはいくらでも待ってくれていたと記憶しているわ」

「また戯れを仰るのですね」


 うふふ、と白の女王は上品に笑う。


「ねえ、赤の女王。わたくしはこの子をチェスの駒のひとつとして参加させたいのだけれど、いいかしら。いいわよね。いいって言うに決まっていたわね、そういえば」


 矢継ぎ早な白の女王の言葉に赤の女王は額に手を当てる。


「あなたはいつもそうですね。私の返答を見透かしたようなことを仰る」

「あなたが言うことは覚えているもの」


 赤の女王は溜息を吐く。そして、アリシアの方へ向き直る。


「列車だけでここまで辿り着けたのは幸運でしたね」


 赤の女王の声は相変わらず冷たい。


「チェスのルールはご存知ですか」

「ええ、一通りは」

「では、問題ありませんね。このゲームへの参加も認めましょう」


 アリシアの視線は鋭くなる。


「じゃあ、このゲームにアタシたちが勝ったらピーターを返してくれるのね?」

「勿論です。ゲームの結果は絶対です。この私が決めたことなのですから」

「この場にいる全員がそれを聞いた証人よ。言ったことは守ってもらうからね」


 赤の女王はアリシアから視線を逸らして再び溜息を吐くと、背を向けてチェス盤の向こう側へ去っていく。

 その場に残った白い老女もとい白の女王陣営は作戦会議を始める。


「アリシアは、白のポーンでいいかしら?」

「構わないわ。あなたのゲームでもあるもの。それより、あなたも女王様だったのね」


 アリシアは隣にいる白の女王の顔を見る。

 白の女王はまあ、と声を上げて左手を口元へ当てる。


「ああいけない、お話ししていなかったわね。うっかりしていたわ。そう、わたくしは白の女王なの」

「この国には女王がふたりいるのかしら」

「そういうことになるのかしらね。でもわたくしはどうして女王がふたりいるのか、自分が白の女王なのかは知らないの」

「過去に向かって生きているから?」

「ええ、そのとおりよ」

「未来を覚えているのなら、このチェスの勝敗がどうなるのかも知っているんじゃないの?」

「ええ、覚えているわ。でもわたくしが覚えている限り、あなたがこのゲームの結果を知っていたような素振りはなかったから、きっと話していないのね。だからわたくしも話さないわ」

「どういう理屈よ」

「わたくしにもわからないわ」


 白の女王の声は歌でも歌っているかのように軽やかだ。

 アリシアは無意識のうちに拳を握っていた。盤面と白の女王を交互に見てわずかに眉を寄せる。

 チェス盤の向こう、赤の女王が立つ横には大きな断頭台が見える。刃には血がついているのか、錆びついているのかわからない赤黒さが残っている。


「負けたらすぐに処刑するってことね。趣味が悪すぎる」


 観客たちは誰も断頭台を見ていない。まるでそこにあるのが当然と言われているみたいだった。

 アリシアは顔を歪めて拳を握りしめる。


「断頭台がどうかしたのかしら」

「負けたらあれで処刑されるんでしょう?」

「そのようだけれど、わたくしは使われたことがないから飾り物だと思っているわ」

「未来の記憶を持っているのなら間違いないのでしょうね」

「過去に処刑されていたかもしれないわ」

「それはおかしいでしょう」

「もうゲームが始まるわ。さあ、位置について」


 納得を得られないままアリシアはチェス盤の上に上がる。自分が立つべきマスに乗ると、カチリと何かが(はま)るような音がアリシアの頭の中に響いたような気がした。

 最前列からは同じ背丈の黒のポーンが壁を作っているように見える。壁の先には赤の女王がいるのだろう。数マス先は遠いせいで駒は妙に大きく見えた。アリシアはそちらを睨む。


「待っていて、ピーター」


 *


 ゲームはアリシアが思っていたよりも接戦に持ち込まれていた。

 白の女王は初手から無難な手を打っては致命的な攻めを回避し続けている。

 アリシアは始まると同時に一気に二マスを前方に進み、そこから動いていない。どの駒を取ることもしていないし、どの駒にも取られていない。アリシアの周りではビショップやクイーンやナイト、他のポーンが取ったり取られたりを繰り返している。


「悪趣味にもほどがあるわ」


 アリシアは吐き捨てるように言う。

 それもそうだろう。駒を取るときはその駒を破壊して盤上から退場させる。たとえば、ナイトは騎乗している馬の上から取るべき駒を剣で薙ぎ払って上部を思い切り砕いてマスを獲得している。最弱とされるポーンですら、腰に差している剣で目の前の駒を刺し砕くのだ。見ていて気分のいいものではない。


「そのまま首を刎ねておしまいっ‼」


 このチェス会場には観客席と言うものもあるのだが、ゲームが始まってからというもの、ひっきりなしにキンキンとした声で叫び続けている観客がいる。小太りで吊り上がった目をした、赤と黒のドレスを着た婦人だ。叫ぶ言葉も物騒なものばかりで、聞いていて気分のいいものではない。

 アリシアは観客席側の耳を塞ぐ。

 白の女王は人一倍騒いでいる小太りな婦人を意外そうな目で一瞥するとチェス盤に向き直る。


「ハートの女王はいつもよりも静かなのね。アリシアを一マス前へ」


 白の女王の声に従い、アリシアは前へ進む。また初期位置についたときのように、頭の中でカチリという音が鳴る。

 それ以降はしばらくアリシアに動きはない。アリシアはゲーム盤の状況を知るために背伸びをして周囲を見渡す。しかし砕かれた駒の残骸が足元を埋め尽くしており、マスもよく見えなくなってきていた。駒は石でできているのか、盤上の破片のせいで粉っぽい。

 アリシアは一マス、また一マスと赤の女王陣営へと近づく。その行く手を阻んでいるものは何もなく。目の前は開けていた。赤の女王もまた、アリシアには目もくれずに白の女王の主要な駒を取ることに専念しているようだった。


「アタシたちが劣勢なのかしら」


 自陣のほうを眺めていると白の女王の声がアリシアへ届く。


「アリシアを一マス前へ」


 アリシアは采配に従ってまた一マス進む。あと一マスで赤の女王陣営の最後尾のマスへ辿り着くところまで来た。つまり、あと一手でポーンからクイーンになれるところまで来た。

 意図に気づいた赤の女王はプレイヤー席からアリシアを一瞥すると次の一手を繰り出す。


「そうはさせません。ナイトでアリシアを討ち取ります」


 先程までアリシアを取り巻いていた盤上での破壊が、今度はアリシアに向けられる。ビショップの駒の先に黒のナイトがいることにアリシアは気づかなかった。

 ナイトは剣を腰から抜いてアリシア目掛けて馬を走らせてくる。

 今までに討ち取られた駒の様子がアリシアの脳裏を過る。

 刺されて、首を落とされて、砕かれて。

 それは凄惨なものだった。けれど、駒は生きているものではなかった。壊れるだけだった。

 でも、アリシアは?

 生身の人間があんなことをされたらどうなるのかなんて、火を見るよりも明らかだった。


「嫌よ……こんなところで、死にたくなんかない‼」


 ナイトの影がアリシアのマスを覆う。今すぐに逃げ出したいのに、アリシアの足はマスから離れてくれない。

 首を落とされるのだろうか。それとも切り捨てられるのだろうか。あるいは心臓を貫かれるのだろうか。今まで見てきた他の駒の壊され方がアリシアの脳裏を過る。どれも嫌だ。嫌に決まっている。

 石製の剣だ。頭に振り下ろされるだけでアリシアは簡単に潰れてしまうだろう。

 そもそもどうしてこんなことになったのか、考えてみれば全部ピーターが悪い。あの場で弁明しなかったうえに、こんな危険な場所だなんて教えてくれなかった。ここで死ぬならそれは全部ピーターのせいだとアリシアは思う。


 嫌だ、嫌だ、死にたくない。こんなところで終わるなんて真っ平御免だ。

 ピーターも助けられず、これからの冒険も続けられない。そんなの許せるはずがない。


 考えた瞬間、身体が先に答えを出していた。

 ナイトの剣が振り下ろされるその瞬間、アリシアは駆け出した。ほとんど無意識の動きだ。アリシア自身にすらそれは止められなかった。マスに捕まったように離れなかった足がふっと軽くなって動いた。

 剣が力強く空振りナイトはアリシアの居たマスに移動する。


「ルール違反です」


 ひどく冷たい赤の女王の声にアリシアは我に返る。

 見れば赤の女王は冷酷な笑みを浮かべている。


「首を刎ねよ‼」


 観客席のハートの女王が声を張り上げる。それを合図に他の観客たちも声を上げる。


「盤上からの逃亡は万死に値する重大なルール違反です。よってアリシアを死刑に処します」


 赤の女王の表情は愉悦に歪む。ひどく醜悪なその笑みにアリシアは思い切り表情を歪める。


「首を刎ねよ‼」

「ええもちろん、刎ねますよ。その瞬間を心待ちにしていてくださいね、ハートの女王」


 赤の女王が観客席のハートの女王と同じ醜悪な笑みを浮かべる。


「あなたたち、グルだったのね」

「何のことですか。私はプレイヤー、彼女は観客。そのふたりが友人であることなんて珍しくもないでしょう」

「最初からアタシを勝たせるつもりなんてなかったんじゃない。公平性を欠いたゲームなんて、それこそルール違反よ」

「負けを見越したゲームをする愚か者がどこにいるというのですか。ルール上、あなたが討ち取られたとしても何も不正はありません。そんな中であなたはルールを犯した、ただそれだけです。大人しく首を差し出してください」


 赤の女王の言葉に従って、鎧の兵士がアリシアを囲む。彼らは一斉に剣を抜いてアリシアににじり寄る。赤の女王はアリシアに兵士たちが近づくにつれて口角を上げていく。


「冗談じゃない。こんなところで死ぬわけにはいかないのよ」


 アリシアは鎧の兵士に背を向けて薔薇の垣根の迷路内へと駆け出す。

 遠くからは待てと叫ぶ声と鎧がガチャガチャと揺れる音がした。

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