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輝理と影臣  作者: 在江
第一章
10/30

蘇る記憶

 輝理が郷里へ帰省するに当たり、影臣が休暇を取って付き添うことになった。

 澪は、あのまま寝ついてしまった。輝理の供をするどころではない。


 「勤めに差し(さわ)りがあろう」


 「婚約のため、と申し出ましたら、喜んで休暇を貰えました。どのみち家へ報告せねばなりませんし、祝儀をいただいたので、返礼も用意せねばなりません」


 偽装を貫くためには、本当らしくせねばならない理屈である。しかし、清可は同行しなかった。

 澪が目覚めた後、すぐに帰京したのだ。同じく一旦帰京する輝理を、待つこともしなかった。


 「澪は、私の顔を見るのも、嫌になったようだ」


 と言っていたが、その実、澪の休学手続きと退寮のために先行したのだった。

 輝理は、帰寮早々、事務職員から声をかけられ、初めて知った。


 輝理の制止を恐れ、顔を合わせないよう計らったに違いない。


 澪が、影臣の婚約話で弱っているのは確かである。しかし、まだ夏期休業の日数を残しているにも関わらず、休学を決めたのは、輝理とも顔を合わせたくないからに他ならない。


 澪ばかりでなく、影臣もまた、主に含むところがある筈である。


 騒動の後、守護人から、文を受け取ったか尋ねられた。配下が(かす)めとったか、主が見向きもしなかったか、の二択で、輝理は後者を選んだ。生涯を賭して仕える者に、(あだ)をもって報いたようなものであった。


 その守護人との二人旅は、気まずい。

 現に、駅で待ち合わせて出立してからこのかた、互いにひたすら押し黙ったままである。


 馬よりは早く、遥かに楽ではあるものの、鉄路の旅は長い。

 昼時に差し掛かった。輝理は、手荷物から弁当の包みを取り出した。影臣はチラリとこちらへ視線を送った他、動かない。

 包みを開く。今朝方、寮の(まかな)いに頼み、材料を分けてもらって作った握り飯である。

 気まずさを少しでも(やわら)らげるため、勇を()して話しかける。


 「一緒に食べよう」


 驚かさないよう、(おもむろ)に差し出された飯を、影臣が見た。


 「私も用意があります」


 ふと、幼い頃の記憶が蘇った。

 どこかで、影臣の作った握り飯に、かぶりついたことがある。


 「交換しないか」


 「何を、です」


 「弁当を、だ。影臣が作ったのだろう。久しぶりに、食べてみたい」


 守護人の目が見開かれる。


 「思い出されたのですか」


 問われて気付いた。あの記憶は、父が暗殺されかかった時のものなのだ。


 その頃の記憶が、輝理からは、すっぽりと抜け落ちていた。


 「いや。ただ昔、どこかの座敷で、お前の作った握り飯を食べたことを、思い出しただけだ」


 答えると、守護人は、落胆と歓喜の入り混じった表情を作った。


 「駄目か。おかずも何も用意がなくて。何なら、握り飯だけでもいい」


 とまで言い募り、気付く。


 「済まない。無理を言った」


 「取り替えましょう。私も、輝理様の手料理を食べてみたいと存じます」


 「料理と言うほどでも」


 握って、海苔を巻いただけである。輝理の心変わりを恐れるように、影臣はさっと弁当を取り上げると、己の分を差し出した。


 やはり、握り飯だけである。白いのと、醤油の焼きおにぎりと、生味噌を塗ったと思しき変わった握り飯があった。


 「それは、信州の者から教わりまして。具がなかったものですから」


 輝理の視線に応じ、説明と共に手が伸びる。取り戻されるより先に、口へ運んだ。


 「美味いな」


 見た目に反し、意外にも美味かった。そしてまた、情景が浮かぶ。

 家で母と弟と夕餉(ゆうげ)の膳を囲んでいる。しかし、父はいない。代わりに影臣と、青柳家の面々が勢揃いしていた。


 「輝理様。お口に合わないようでしたら、私が」


 声に顔を上げると、守護人の気遣う目に行き当たった。


 「美味いぞ。取り上げてしまって、済まない」


 「いいえ。私も、いただきます」


 影臣が輝理の握り飯に手をつけた。小魚と海苔の佃煮(つくだに)と、梅干しとで三つである。輝理の握った飯は、小ぶりであった。


 「足りるか。これを戻そう」


 焼きおにぎりを返そうとすると、止められた。結局半分に割って渡した。


 「輝理様の握り飯、美味しゅうございます」


 「そうか。ところで影臣。私は幼い頃、母と弟と、お前の家で夕食を馳走(ちそう)になったことがあったか」


 守護人の動きが止まる。しばし躊躇(ためら)ってから、口を開いた。


 「ございます。その、恐らくは、以前に私の弁当を召し上がった時期と、同じであると思われます」


 つまり、父の暗殺未遂に関わる記憶ということだ。


 「お前の弁当を食べ続けたら、全部思い出せるかもしれないな」


 冗談めかして言ったが、半ば本気であった。影臣の懸念が濃くなる。


 「輝理様。無理をなさらず」


 「心配するな。無理に思い出そうというのではない」


 それから黙して握り飯を食い尽くしたが、他の記憶は戻らなかった。


 「そう都合よくは運ばないか」


 (から)を片付けながら、こぼすところへ、影臣の手が伸びた。


 「失礼します」


 頬へ触れたかと思うと、その指が守護人の口へ当てられた。


 「飯粒が付いておりました」


 「とうに二十歳を越えたのに、恥ずかしい」


 「輝理様には大き過ぎたのでしょう」


 柔らかい笑みを浮かべた影臣は、つと表情を改めた。


 「向坂澪(こうさかみお)を、配下の任から解きました。尚、学校はひとまず休学し、きりの良いところで当人に意があれば復学の予定です。既に、玄丈殿を通じて、向坂家、青柳家、ご先代様には承知のことです。遅れましたが、ご実家へ入られる前に、ご報告申し上げます」


 「ご苦労だった」


 輝理は機械的に言った。澪の恋慕を思うと、感情的な反発はあった。しかし、青柳家と向坂家の問題である。輝理に権限はない。状況を考えると、やむを得ない処置であることも、理解できた。


 「つきましては、補充もなく、輝理様には、ご不便をおかけします」


 「私がするべきことをすれば、良いだけだ。改めて、これまで文を返さなかったこと、申し訳なかった」


 「輝理様のせいではございません。澪も、認めております」


 「そうか。それでも、お前の文を長いこと見ずにしまったことを、済まないと思う」


 守護人の表情が和らいだ。


 「ありがとう存じます。そのお言葉だけで、失われた文どもも、報われたように思います。輝理様からの便りをいただけるのを、楽しみにお待ちします」


 「私から書くのか」


 「無理にとは申しません」


 寮に澪の荷は既になく、輝理宛の手紙を捨てたか抱えていたか、ましてその数など知る由もない。ただ、長きにわたる話である。その間、影臣が書き送った文字の多さを思った。


 「心に留めておく」


 汽車旅は、長い。輝理は、満腹で揺られるうちに、寝入ってしまった。影臣に起こされた時には、下車駅に着くところだった。



 郷里へ戻ると、出迎えた次春(つぎはる)巳喜八郎(みきはちろう)は、(そろ)って成長していた。たまにしか会わないから、見る度に別人と見紛(みまが)えるほど、大きさも顔立ちも変化する。


 「わあ、丸善の學鐙(まなびのともしび)最新号だ。これ、読みたかったんだ」


 「春陽文庫の探偵物だ。ありがとうございます、輝理さん」


 土産の本を渡すと、飛び上がって喜んだ。中身は、まだまだ子供っぽい。


 婚約者の巳喜八郎が師範学校へ進む希望は変わらないが、弟の次春は、上京して予備校へ行きたいと言い出していた。高等中学校へ入るのは難しそうなので、予備校から私立大学を目指す、ついては上京したい、とのことである。


 段々聞いてみれば、上京が目当てなのであった。高等中学も、地方へ行けば割合簡単に入学できると聞くのに、予備校を目指すのも、それが理由である。


 帝都の賑わいに()かれるよりも、新刊などが手に入りやすい、と思ってのことらしい。将来、その地で職を得られれば、そのまま住みたい、とも言った。


 当主争いを起こす気がない、と遠回しに言っているのか、単純に希望を述べているだけなのか、その子供らしい顔からは、真意が読み取れない。


 「来年は、私も何処へ行くかわからない。影臣が帝都に残るかもわからない」


 まず言葉通りとして、目の前の問題である。下宿するにしても、誰かしら頼れる先を定めた方が良い。


 「同郷の人を当たってみる。清可さんにも、お願いできるかもしれない。それより、母上は了解したのか」


 母は、次春が帝都で働きたいと言い出し困っている、とかねてより手紙に書いてきていた。

 弟が上の学校を目指すのも、いきなり上京して働き口を探すよりも、両親の納得が得られやすい、と考えたからであろう。


 父の方は、初めから好きなように、との(おお)せである。一時期、輝理が当主を降ろされるかと危惧(きぐ)したのは、杞憂(きゆう)であった。

 結果を見ればむしろ、(そなえ)の弟が、お家乗っ取りの野望を抱かぬよう、見張りを兼ねて導いていたようにも思われる。


 「上の学校へ進むことには賛成してくださったよ。姉上が高等師範まで行ったのだから、僕は大学まで行っていいって。その後の事は言っていない」


 輝理は、母の言葉を馬鹿正直に伝える弟に苦笑しつつ、同時に彼のしたたかさを好ましく思った。

 弟の進路を最終的に決めるのは輝理である。母ではない。弟は承知の上で、母の言葉を借りて、己の希望を伝えたのである。

 大人と思えば子供じみ、子供かと思えば大人びて、この年頃の扱いには戸惑わされる。


 「予科で勉学に励みながら、よく見極めなさい」


 「ありがとう姉上。今度、『世界之日本』も読んでみたいなあ。雑誌なんだけど」


 「見かけたら買って送る」


 新しい雑誌が次々と創刊されているのは噂で知っているが、輝理は滅多に私用で外出しない。次春が、雑誌を姉から入手する見込みは、薄い。

 弟の後ろ姿を眺めて、同い年の少年を夫にするのだ、と思うと、輝理は奇妙な心持ちになった。



 翌春、巳喜八郎は師範学校に合格し、入寮した。次春も予備校へ入るため上京し、父輝晃の伝手(つて)で同郷の人から下宿を紹介された。


 輝理は高等師範を卒業し、弟と入れ替わる形で帝都を出た。文部省が指定した赴任先は、東北の師範学校であった。

 影臣は帝都の会社を辞めて、輝理の赴任先の地へ転職したが、清可は残り、教師の職を続けた。二人の婚約もそのまま続けることとなった。


 澪は、復学した。

 清可を通じて影臣からその報を聞き、輝理は安堵(あんど)したものであった。

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