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治癒術師は困っている

 エリサンは余計に困るようになっていた。イラガが家にいるときは、常にみられているように感じる。

 家の中は特に広くないので仕方ないのだが、最近は露骨になっている気がした。四六時中見張られているような気がするのだ。

 彼女が衝立の奥に引っ込んでいるときも、その隙間からこちらに目を向けていたり、背伸びして上から見ていたり、とにかくこちらを見ている。


 だがこれで精神的に疲れているということを悟られるわけにもいかなかった。


「人の目を気にして、自分を曲げてはいけない。

 自分の行いが正しいかどうかは、常に自分の心に問いかけなさい」


 そんなことを自分は言ってきた覚えがある。

 神官としては当然の発言なのだが、この場合はマイナスに作用していた。

 普通の神官なら「人の目を気にしないといっても限度がある。時と場合によるもの」と考えるのだろうが、彼は善人を演じているに過ぎない。

 自分が常々言っていることを、自分が実践できないでどうするのか。

 このように考えてしまうため、イラガに何も言えない。


 イラガの目は気にしないようにするしかない。


 こちらを嫌っているわけではないだろうが、見透かすような目でじっと見られているとなんだか監視されているようで気になる。

 何か心境の変化でもあったのだろうか。いっそ嫌われていれば刺し殺してくれたかもしれないが、そういう感じもない。

 せめて今日は早めに休むようにしようと思っている。


 今日のイラガは早くに飛び出していった。何か大物を仕留めて帰ってくるのかもしれない。


 接し方を変えるべきだろうか。いや、それもおかしな話だ。こちらに興味を持ってくれているのだから、むしろ好意の現れと考えるのが普通ではないのか。


 エリサンは少し無理筋な解釈をし始めていた。

 彼は自分の身の安全など最初から度外視している。イラガがもしも何かよからぬことを考えていたとしても、放置するだけの理由があった。

 イラガは自分を殺してくれるかもしれない。

 なら、彼女の行動を全肯定しておくべきではないのか。


(そのように考えて、振舞っておけば少しは気が楽になるかもしれませんし。

 普通の神官は相手のいいところを見つけてほめるもの。帰ってきたらどうにかして誉めてあげましょう)


 そう考えながら薬草の調合を始めて、それが一段落したころにイラガは戻ってきた。


「先生、戻りました。シカを狩りましたから、ばらすの手伝って下さい」


 入り口にイラガが立っている。

 今までかけていたフードは脱げて、背中に垂れ下がっている。彼女の毛皮はほとんど元のように戻っていた。

 暖かそうな毛が顔まで覆って縞模様(タビー)が二本ほど頬まで入りこみ、いたずらの好きなトラネコのように見える。そこに髪が伸びてきて、獣人らしさを作っていた。


「ええ、今行きます」


 立ち上がりながら、エリサンは思う。

 自分に起きている問題はともかく、イラガはすっかり治っているといっていい。獣人の集落に戻る必要はないのだろうか。

 当人の様子からでは追い出されてきたように思えたが、中には心配している者もあるのではないか。また、やはり獣人は獣人とともに暮らしたほうがいいのではないか。

 イラガにそれを聞くのはためらわれる。


 どうしたものかなと思いながら庭に出てみると、かなり大きな鹿が足を縛られて宙づりになっていた。角は落とされているが、相当な大物だ。


(シカとはこんなに大きなものだっただろうか?)


 体重にしてエリサンの倍はあるのではないか、と思うほどの大型だった。

 その上、このシカにはほとんど傷がなかった。縛っている縄を切ったらすぐにも逃げ出すだろう。


「イラガさん、このシカはまだ生きているように見えますが」


 イノシシを狩ってきたときは、現地で処置をされていたのでそれほどの衝撃はなかった。

 だが、目の前の鹿は狩ってきたというよりも捕まえてきたという感じだ。


「はい、先生。こうしないとお腹の部分を食べられないので」

「そうですか」


 困ったな。

 これは本当に困ったな、どうしよう。


 エリサンは迷った。特に肉食は禁止されているわけではないが、自分の見ている前で殺すのは。

 だが土の精霊ママユガには捧げる必要があるだろうし、せっかく捕まえてきた獲物を逃がしてくれというのもどうか。


「これからとどめを刺すのですね。そのときには何か儀式のようなことはありませんか」

「特にないです。ナイフで一突きです」


 流れ出る血を洗い流すための水なども用意されている。

 イラガは慣れた様子だが、エリサンはどうすべきかまだ迷っている。


「もしかして先生、困ってますか。

 シカ肉はだめですか?」


 そんな声をかけられた。

 イラガはじっとエリサンの顔を見ている。観察していた。


「そう見えますか?」


 エリサンは曖昧な質問を返しながら、表情を変えないように努める。


「はい。もし先生が食べられないなら、このシカは村の人に譲ります」

「いいえ、問題ありません。主なる神は獣の肉を食べることを咎めるような言葉を残してはおりません」


 では大丈夫なのかといえば、そういうわけでもない。

 無暗な殺生は、これも禁じられている。

 仕事して狩猟を行うことまで禁じているわけでもないが、現状ではこのシカを食べなければエリサンが餓えるわけでもない。ほかの食料の備蓄は十分ある。

 ここは柔軟に対応するべきところなのだが、エリサンの想像力は限界に達していた。


 神官として「私たちには過分なので」というべきか。

 イラガの働きをねぎらい「いただきましょう」というべきか。


「私、先生が困ることはしたくありません。だからこのシカを殺したくないなら、そうおっしゃってください」

「とんでもない。イラガさんがせっかくとってきてくださったのです。いただかなくては、ママユガ様に怒られてしまうでしょう。

 私としたことが、あまりにもよいシカなので目を奪われてしまいました。いただく前にこのシカが苦しまずにいけるよう、祈りをさせてください」


 そう言った彼の表情は、もういつものものと変わらなかった。

 だがイラガにはまるで言い訳のために言葉を並べているようにも聞こえる。

 

「先生?」

「ええ、それほど時間はかかりませんから。終わったら、ハスオさんを呼びましょう。

 手伝ってもらったほうが、早く終わりそうですし」


 彼はそれに、自分で気が付いていないようだった。

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