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蒼海の奏者  作者: 鮭いくら
第2章
97/125

【2】




「…どなた?」

「ミレイユです、入りますね!」


私達は顔を見合わせ、どうしようかと思っている間に扉が開かれて普通に入ってきた。


「わあ、凄い!広いですね!」

「ミレイ…」

「ミレイユ嬢、ご機嫌麗しゅう。相変わらず幸せそうな顔をしてますのね」

「ユーグリッド様、ご機嫌よう。えへへ、本当ですか?」


決して褒めてない。ユーグリッド嬢の顔もにこやかだが目は射殺さんばかりに睨みつけている。


「何度言えば都合のいい事しか覚えないその幸せな顔と頭は直るのかしら」

「ユーグリッド様、私はメイルーン様とネアシェ様とお話に来たんです」

「あらそう、あいにく私の部屋でもあるから、話すなら他の部屋に行ってくれるかしら?」

「どうしてですか?」


ミレイユ嬢はユーグリッド嬢の言動にも鋭い目にも負けず…いや、気にする事もせず言い返している。

ここまででも十分無礼なのだけど、ここまでくるとユーグリッド嬢に対する同情心さえ湧いてくる。


「ミレイユ嬢、ごめんなさいね。まだ荷物の整理が終わってないから後にして頂けるかしら」

「そうなんですか、お手伝いしますよ?」

「結構よ。貴方こそ荷物の整理は終わったの?」

「はい、お友達が部屋に持っていって整理してくれる事になりました!」


お友達、ね。どう見てもそんな関係ではなかったと思うけれど。


「後でお話しましょう」

「ええ…でしたら、待ってます!ちょうど1つ空いてますし!」


ミレイユ嬢は空いているベッドの横にある椅子に腰掛けようとし、部屋へと更に入ってくる。

バン!とユーグリッド嬢の手が机を叩いた。


「いい加減にしなさい!」


ユーグリッド嬢の怒鳴り声を始めて聞いた。

彼女は模倣的となるべき公爵令嬢でありいつもあるべき貴族令嬢としての姿を重んじていた。そんな彼女が感情任せに叫んだのだ。




「断られたのなら即刻立ち去りなさい!何度言えば令嬢として自覚するのですか、あなたは貴族として失格です!」

「っ…!」


ミレイユ嬢の目が潤み、体を震わせる。


「酷いです、ユーグリッド様!」


ミレイユ嬢はバタバタと走って部屋から出て行った。しん、と一気に音が消えユーグリッド嬢の少し荒くなった呼吸だけが聞こえていた。




「…みっともない所を、見せたわね」


しばらくして疲れきったように息を吐き、頭を抑えるユーグリッド嬢に慌てる。


「そんな事ないわ。むしろありがとう」

「ですが、彼女のあの様子は…」

「最近…6年生になってから、ああなのよ。事情を知っている者からは闇の魔力に取り憑かれたんじゃないかとも言われてるわ」


ユーグリッド嬢は椅子に座り、一息つく。

やはり、と思う内容だが皇帝陛下より闇の魔力は消えていると伝えられた。ならばそれを疑う理由はなく、信じるしかないのだが。

正直闇の魔力は消えたとしてもその影響…精神干渉でなんらかの負のエネルギーを持ち続けていてもおかしくはない。

ユーグリッド嬢の口ぶりから何度も注意したであろう事が伺え、そういえばミレイユ嬢が追い詰められているような場面を6年生になってから見た事がない。


「…去年の林間学習の時とは、状況が全く違うのね」

「去年は身分を気にしてロンギヌス様と離れる事も多かったのに、今年に入ってから全く遠慮がなくなったのよ。

問い詰めようにもロンギヌス様の目の前でそんな事は出来ないわ」


静かで淑やかな女性を好むロンギヌス様の前で先ほどのように声を荒げればすぐにでも離れてしまうだろう。

だがそんな女性を好む彼は、今のミレイユ嬢を好ましく思っているのだろうか。


「ロンギヌス様から言われても…今の彼女なら、流してしまいそうね」

「基本的にミレイユ嬢に甘いですから強く言えないでしょう。それに今は誰が何を言っても聞いていないように思いますし」

「ええ、そうでしょうね。少ないながらも忠告しているけれど、効果はなかったもの。……少し、話し過ぎたわね」


ユーグリッド嬢は立ち上がり、先に食堂へと向かうと部屋から出て行った。

私とネアシェも荷物の整理を始めるが、先ほどの事を考えてしまう。





そして私の脳裏には、いいことか悪いことか判断しきれない事がある。




ミレイユ嬢が私と同じ状態になったのでは、いわゆる異世界転生が起きたのではないかと。

だが判断するにはあまりに期間が短く、判断材料に欠ける。精神干渉を受け療養していた間に何かが起きたのかもしれない。


けれど今の彼女を、弟子であり友達であるとはあまり言いたくなかった。










「6年生だけだと学食も空いてますね」

「ええ、学食は久しぶりです」


初等部の学食はいつもなら四倍以上の人数で埋まっているが、今はまばらに座られていて空席が目立つ。

当たり前だが新鮮な感覚で、今更ながらワクワクしてきてしまう。学校に泊まるのは、それこそ現代の小学校くらいだ。


「メイルーン、ネアシェ」

「アインルーガ様!」


アインルーガ様から声をかけられ、見れば派閥の人達が周りのテーブルに座っていた。アインルーガ様と一緒のテーブルに座っているのはレオニダスだけだ。

声をかけられた以上、側に行くのは当たり前だが周りの視線が痛い。するとネアシェが突然手を繋ぎ、アインルーガ様達の元へと進み始めた。


「ちょ、ネアシェ…!」

「大丈夫ですよ」


小声で咎めるが、ネアシェは優しく笑うだけで前に進み続ける。容赦なく周りの視線は刺さるが、ネアシェはもちろんアインルーガ様とレオニダスも笑ってこちらを見ている。

ほとぼりが冷めるまで周囲の視線がある所では私とアインルーガ様はあまり関わらないようにしていたのに、突然どうしたのか分からず視線をうろうろと動かしてしてしまう。

危険から遠ざけるために婚約解消までして離れたのに、気軽に近くにいては要らぬ噂が新しく生まれてしまう。


「何かあれば、胸を張って言えばいいのです」

「え…」

「アインルーガ様は何にも変えがたい友であると。私もお手伝いしますから」




シドレ公爵家がアインルーガ様の派閥に属した事は、つい最近知れ渡った事実だ。


アインルーガ様派閥のパーティにネアシェの父、つまりシドレ公爵が参加し貴族社会を大いに混乱させた。

実はその繋ぎをつけたのは我が父、ファクトヒルデ公爵なのだがそれを知るのはアインルーガ様と一部の信頼ある貴族のみ。

表はシドレ公爵、裏から人知れずファクトヒルデ公爵の支持という盤石の布陣の派閥が出来上がりつつあるのはまだ噂として広がり始めた程度だ。

そしてこれらは夏期休暇前には事実となるだろう。


故にシドレ家令嬢のネアシェの行動は今、重要な意味を持つ。

ネアシェとメイルーンが仲良しであると知れれば派閥参入の理由付けともなりかねない。


「…いいんですの、ネアシェ?」

「もちろんです」




将来、柔らかな物腰ながら全ての貴族令嬢の模範であり憧れと言われるようになるネアシェ・ノーム・シドレは、変わらず優しく笑っていた。





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