【9】
私は婚約のことを良いとも悪いとも思っていない。
なのにあの時、メイルーンを嫌っていたどころか守るべき内の1人でしかなかったと分かった時の胸の痛さは、何だったのだろう。
「今のメイルーンは、傷ついた顔をしています」
「傷ついて…」
ーーーああ、そうか。
「思っていたより…メイルーンはアインルーガ様が好きだったのね」
ポロリと、目から涙がこぼれた。これは私の意志ではなく恐らくメイルーンの意志だ。この体にはメイルーンの記憶があり、メイルーンがどう思っていたのか分かっていたつもりだった。
メイルーンにとって彼は確かに初恋だったのだろう。
けれど特別視してくれない彼に業を煮やし、女だけれど権力闘争に身を投げた。結果は権力に取り憑かれて、尚更心を得る事なんて出来なくなった。メイルーンはわがままだが本人は賢く聡い子だったため心中では分かってしまったのだろう。
もう戻れないと。
「…っ」
ネアシェはポロポロと涙を流す私にどこか安心したような様子で何も言わずに手を握ってくれていた。
今更自覚した初恋。権力を求めるが故に濁りきっていたその気持ちを抱いたのはあまりに幼い頃で、メイルーンは忘れていたし私も思い至らなかった。
この涙はメイルーンが溶けて水になっていっているみたいだと思う。あまりに違い過ぎてもう私の中にはいないと思っていたのに、居たんだ。
「残っていたのは、拗らせた初恋の気持ちだったなんて…卑怯ですわ」
メイルーンの忘れ形見とも言える気持ちは今、自覚出来た。
私はあの方に仕えたいと思った。自分を後回しにしてしまう不器用なほど優しい彼に。
あの方の役に立てるならという気持ちはこの世界に毒されたものだと思ったが、メイルーンの意志が関与していたのかもしれない。
でも私個人としてもアインルーガ様への思いは変わらない。影響はあっただろうけど、涙と共に露呈した今でも気持ちは変わらないから私が心から思っているのだろう。
「…ありがとう、ネアシェ。考えてみれば私はメイルーンだもの、当たり前よね」
「何かわかったのね?」
「ええ」
ネアシェはハンカチを取り出し渡してくれて、私も持ってはいるがありがたく借りる事にした。
レースと刺繍がされたそのハンカチは花の香りがして、目を抑えていると心が和らぐ気分だ。
手に伝わる温もりはどこまでも優しく温かく、私が1年で得られた一番の功労はこの温もりだろう。
元々、母親同士の友情から結ばれた婚約だとは知っているようだし、ネアシェになら…言ってもいいのかもしれない。
ううん、ネアシェには言いたい。貴族である以上、本音を露呈出来る人は本当に希少だと言っていい。
それこそ夫婦や、絆を越えた親友でないと。
「…私、意外に婚約破棄がショックだったみたい、でも安心して。もう大丈夫だから」
「! ……良かった」
ネアシェは少し驚き迷った後、頬を赤らめて安心したような笑顔になった。
2人してむず痒いような表情をしつつ満更でもない様子に、側から見たら微笑ましいと表現してくれるだろうか。
「男子って、やっぱり勝手よ」
「確かにね」
「そうよ、あの林間学習の時のアインルーガ様とレオニダスさんとか」
「そんな事もあったわね」
「思い返せばキリがない」
「後はほら、ヤクト様に魔法戦へ誘われたじゃない?」
「ああ…あの言い草はないと思ったわ」
今までの事を話していたら何がどうなったのか完全に女子の愚痴トークに発展している。
アインルーガ様だけでなくレオニダスを始めとするクラスメイトやヤクト様などにも飛び火していて、話題は次から次へと出て来る。こんな風に話をするのは現代以来と言っていいから、正直途轍もなく楽しい。
完全に話は脱線しているけど、女子トークってこんなもんだと思う。思いついたものをスラスラ述べて、だらだらと時間を使う。そこに美味しいお茶とお菓子があるなら完璧だ。
「婚約破棄も、納得してるのよ?してるんだけどね?」
「正直遅いか早いかの違いと言ってしまうのは、どうかと思うわ」
「そこなのよ!」
そうよねー、とのんびり返答するネアシェに笑ってしまう。さっきまで重苦しく取り扱っていた話題を、こんなに簡単に口に出してしまっても別に構わない。
だってここには親友のネアシェしかいないのだから。
ネアシェもリラックスしているのだろう、テーブルに肘をついて格好を崩している。まったりするのがそもそも好きらしく、令嬢らしく振舞うのは疲れるらしい。口調が基本丁寧なのはデフォルトみたいだけど。
私も机に伏せったりと2人して公爵令嬢あるまじき格好だ。
そんな事をしていればだいぶ時間は過ぎていて、帰る時間も近かった。
「…ねえ、ネアシェ」
「なんです?」
「アインルーガ様の事、お願いね。私も一緒に出来る事はするから」
「…お父様とお兄様にお願いしたほうが…」
「もう!」
2人してあはは、と声を上げて笑ってしまう。
優しいネアシェの事だもの、言わなくても大丈夫だと思ったけれど。私みたく1人で戦わないように。
シドレ家がアインルーガ様を後押ししてくれるなら、ファクトヒルデ家より多くの人がアインルーガ様を支持するだろう。こののんびりしているネアシェも、慈善事業への手伝いをしている事を知っている。
中立派としてどちらにも付かず離れず、国民の利となる選択をしていた一番古くから続く四大貴族だ。
「男性としてはともかく、人としてアインルーガ様は好きですから。忠誠を尽くすと決めたの」
「あら…?」
「初恋、と言ったでしょう?過去のお話だもの」
「…そうですか」
ネアシェは少し思うところはあるみたいだが、頷いてくれた。と、思いついたように首を傾げる。
「と言うことは今の恋があるという事なの?」
「ありません」
「あら残念」
11歳に何を求めてるのかと思うが、16歳が社交デビューの通例とされるこの世界では早くないのかも。
貴族令嬢は恋愛話が大好きだし、ネアシェも例外ではないみたいだ。まあ彼女になら別に話してもいい…って、恋はしてないから。
「ねえ、ネアシェ。また来ていい?まだまだ話し足りないの」
「勿論。むしろ泊まりに来てくださいな」
「いいの?」
「今度は私が愚痴を言う番ですから」
ニコッと笑うネアシェに、長くなりそうねと私も頷いて笑う。
「じゃあ…約束」
「? 小指?」
「うん、こう小指と小指を組んで…」
右手の小指同士を組んで、指切りをする。
そういえば指切りってこの世界にないのだったっけ。
約束を必ず守る意味で組むのだと教えれば面白いわねと指切りする。
「ちなみに約束を破った場合、針千本飲む事になるから」
「えっこれそんなに怖いものなんですか?」
「ふふ、嘘うそ」
覚えておこう、この小指に伝わる温もりを。
胸を裂くような失恋を。
私が繋ぐ事の出来た絆の暖かさを。
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これにて起承転結の起に当たる部分は終了となります。
起はこれからのメイルーンの土台、根元、人となりを表現する章となりました。
本音を言えばもっと魔法で戦わせたかった…力量不足ではありますが頑張ります。
2章は初等部6年生編、起承転結の承にふさわしく1回目の古代海魔復活の年となります。
メイルーンの行く先をお楽しみいただければ幸いです。




