四話
その男――オーク――は困惑していた。
名前を聞いた途端、この娘は固まってしまった。
自分の聞き方が悪かったのだろうか?
それにしても、いわゆる共通語というのは難しい。
本当に伝わっているのかすら怪しいものだ。
先ほどは、コドモという言葉に反応していた。
あれは否定だったのだろうか。
だとすると、やはり見た目通りの年齢ではないのかもしれない。
もう一度問うてみる。
「ナマエ、ナンダ?」
しばしの沈黙のあと、その娘は言った。
「わから……ない」
……その言葉を頭の中で反芻する。
さすがに、ワカラ・ナイという名前ではないだろう。
となると、この娘は自分の記憶が無いのかもしれない。
念のためもう一度名前を尋ねてみる。
……どうやって聞くか。正直悩ましい。
ナマエ、ワカラナイカ? と聞いたところで、どちらに転んでも肯定の答えを返すだろう。
ああ。そうだ。
「オマエ、ナマエ、オボエル、ナイカ?」
娘が泣きそうな顔をして、頷く。
どうやらうまく伝わったようだ。
こう見ると、ますます幼く見える。昨日の魔狼と対峙していた魔道士とはにわかに信じがたい。
それはさておき、そうか。忘れてしまったのか。
あの転移失敗の後遺症かもしれない。記憶が混濁しているのだろう。
自分が誰だかわからないのであれば、無理に人里に返すのも憚られる。
まだ幼いと言うのに、あれだけの魔法を操れるのだ。
よからぬ者共に騙される可能性が高い。
不憫な娘の今後を悩んでいると、娘のお腹がクウと鳴った。
* * *
自分の名前すら忘れたというのに、腹は減るのか。
私はお腹をおさえながらも、顔がだんだん熱くなってきた。
きっと、今の私は秋の葉のように真っ赤になってるのだろう。
そんな私を見ながらオークがグッグッと妙な声をあげていた。
うずくまった肩が小刻みにうごいてるし、もしかして、このオークは笑ってるのだろうか。
不意に顔をあげて、オークが言う
「ワルカッタ。ニク、クウカ?」
肉……。
別に肉に嫌悪感はない。
黙って頷く。
すると、オークは立ち上がり、洞窟の奥へと歩いて行った。
暫くすると手に何やら長細いモノを持って戻ってきた。
「スコシ、マツ。イイ」
そう言うと、鉈のようなモノでぶつ切りにし、串にさして火であぶる。
ジュウジュウと油の焼ける音と、したたる脂が薪に落ち、匂いが広がる。
不快ではない。むしろ食欲をそそる。
良い頃合いになったのか、それをこちらに向ける。
「アツイ、キヲツケル。タベル。イイ」
私は、油の滴るそれに息を吹きかけ、かぶりつく。
「熱っ!!」
だが、美味だ。
塩味と、何かピリッとする味が空腹の胃をさらに刺激し、貪る様にがっついた。
ある程度の堅さが有るが、むしろこの堅さがよい。
乾し肉のような、明らかに人の手で加工された保存性のある肉だ。
「アワテルナ。マダ、アル」
がっつく私を窘めながら、オークは次の肉を焼いていた。
一頻り肉を食べ終え、腹が膨れると、急にまぶたが重くなって来た。
うつらうつらしていると、オークが声を掛けてくる。
「ネル。イイ」
そんな言葉を耳にしながら、そのまま意識が遠のいていく――。
翌朝、目が覚めると、例の藁ベッドの上に寝かされていた。
昨日のオークが運んだのだろうか。
喰わないというのはどうも本当のようだ。
私は酷く混乱していた。
「オキル。ニク、クウカ」
その声にビクッと体を震わせる。
「はい」
反射で答えると、また同じように「スコシ、マツ」と言って、奥に行く。
そうすると、いくつかの果物をもって戻ってきた。
ラタの実という果実で、堅い表皮を割ると中から白い果肉が出てくる、割と高級品である。
……名前は忘れてるのに、こういうことを覚えているなんて、自分は食いしん坊だったのかな?
しかし、これは……
「肉じゃない……」
「ニク、チガウカ」
「これは果物」
「クダモノ?」
オークを見ると、良く解らないという顔をしている。
「オレ、コトバ、スコシ。ユルス」
「ああ、うん。そうね」
「コレ、ウマイ。タベル、イイ」
そういって、ラタの実をパキリと二つに割って渡される。
白い果肉がむき出しになり、ふわりと甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
口に含めば幸せな甘さと酸味が口いっぱいに広がった。
ラタの実は椰子の実サイズで、マンゴスチンとかリュウガン、ライチあたりの果肉を想像しています。