39.それが一番わからない
39.それが一番わからない
雷雨の音以外響かない石造りの廊下を、手を繋いだ男女が足音を立てぬようゆっくり動く。
二人は一言も交わす事なく、慎重に歩みを進め、幸い猿もどきにも肉色ヘドロにも遭遇せずに、現在階段の近くまで来ている。
ところで、その男の方 ――――ラッセルは内心こんな事を考えていた。
(私は、そんなに怒りっぽく見えているのか?)
確かに、周りが周りだけにマリの前でも表情が険しくなりがちなのは否めない。が。
(彼女に対して、腹を立てた事などないのだが)
それでも今回、最初に怒られると予想された。
自分でもこれは意外だったのだが、
(少なからず心外……いや、ショックだな)
度合い的にはそこまで大きくない。しかし小さくてもショックはショックである。
ラッセル的に何より気になるのは、そもそもそう思われた事に自分がショックを受けているという点。
(何故、私が?)
いつもなら。他人にどう思われようと、まあそれが個々人の受け取り方だな、で終了していたはず。
なのに今回に限っては、正直、嫌なのである。
そして、それが何故なのかわからない。のどに魚の小骨が刺さるような違和感と不快感。おまけに、初めて感じるが、恐らくこれがモヤモヤするという感覚なのだろう。
何故そんな感覚になるのか。それが一番わからない。
(……いや、今はそのような場合ではないな)
考えているとまた表情が険しくなりそうだ。それで怖がられたらもとも子もない。
(しかし……)
ちらりとラッセルはマリを見る。
辺りを警戒して見回しながら、しっかりとラッセルの手を握っているが、怯えた様子はない。
その事にほっとするのだが、それもまたモヤモヤする種である。
なんで自分がほっとするのか。手を握っても意識している様子は見えないし、意識している様子が見えないから何だと自分は感じているのか。そういったものがモヤモヤモヤモヤ。
(考えるな。今は必要ない)
ラッセルは無理やり意識をそこから引き剥がす。
とにかく今はこの悪趣味な館から脱出する事を最優先に考えよう。
視線を階段に向け、周囲に何もいないのを確認してから、そっと階段とその階下を見る。
階段の先、一階はエントランスになっており、二階まで吹き抜けなのでそこにいるものを二階から確認する事が出来るのだ。
(多いな……)
先ほど音を立てたりと動いたからか、集まってきている。
(五体か)
音に反応するのが二体、魔力に反応するのが三体。
階段や廊下にはカーペットが敷かれているので足音を吸ってくれるから良いが、それでも石造りの建物だから気を抜くとどこかにぶつかって音が出て、取り囲まれる可能性もある。
(魔力の方は気にしなくて良いが)
そこに関しては自分の方が気をつけて消しておかなければいけない部分だ。
(視力はさほどではないとはいえ、流石にそのまま動けば寄ってくるだろう)
猿もどきの視界で人間サイズが動けば流石に気付かれる。
(かと言って、魔術で移動すればそれも一方を呼び寄せるだけ)
やはり静かに物陰に隠れつつ進むしかなさそうだ。
『ゆっくり 階段 降りる』
ラッセルはそうメモに書いてマリに見せる。
マリがそれに頷いたのを確認して、もう一つ。
『見られた 止まる』
再度マリがそれを見て、ちょっとだけ先ほどより間を空けてから頷く。
単語でのやり取りしてなので若干想像で文を補う必要があるから仕方ないだろう。
(むしろ良くやっている)
単語だけとはいえ、ちゃんと読解できるのは覚えようとしてきちんと身につけているからだ。それにここまでくればじきに簡単なものに限られるが、文章としても読み書き出来るようになるだろう。
(だが)
不意に少し残念という感覚が湧く。きっと普通に読み書き出来る頃には、マリは自分のいた世界に帰る。
それが、ほんの少しだけ残念だ。
(……まあ、家庭教師が教え子と別れるようなものだな)
そういう感覚なのだと、どこか言い聞かせるように思い、ラッセルはマリを見てから階段へ向かう。
猿もどきが反対を見ている時に少しずつ階段を降りる。慎重に、ゆっくり。
一階エントランスを徘徊する猿もどきの顔が階段方面に向いた際はピタリと動きを止め、視線が逸れたらまた階段を降りる。
ゆっくりゆっくり、ラッセルとマリは一階へと歩みを進めた。




