23.それが人生の分岐点
23.それが人生の分岐点
何故、自分ばかりこんな理不尽極まりない目に遭うのか。
(間違っている)
悪いのは身の程を知らない奴の方だ。下賎な愛妾の子のくせに、本来なら自分がいるべき後継ぎの地位にいるあの者のせいだ。
何故、何故、どうして。何も上手くいかない?
腹立たしい。不愉快だ。
全てが間違っている。自分がこんな、第一階層なんて所にいる事も、そこで下働きにも等しい身分に落とされている事も。何もかも。
白髪の間から覗く濁った沼のような暗緑色の瞳は、不満と怒りに満ちている。
何もかもが気に入らない。
それが本当に不当な扱いであるなら。当人以外から見てもそう思うような処遇であるなら、もしかしたら肩を叩いて慰め、愚痴を聞いてくれる相手が居たかも知れない。
けれど。
バロッサ・シアンレード・メラフ。見かけ的には二十歳を少し過ぎたばかりの青年だ。今から数十年前に彼は実弟と共に、異母兄弟のシェルディナード(現次期当主)に対して数々の嫌がらせを行っていた事が露見し、次期当主の資格を取り上げられて現在の立場に落とされた。
百年の身分剥奪と第一階層での下働き。それが彼とその弟が受けた処罰。従いたくなど無くても、魂そのものを握られた状態ではどうしようもない。
そんな思いからもわかる通り、バロッサは欠片も反省などしていなかった。ちなみにもう一人のバロッサの実弟は兄と違い徐々に素行も改善していき、現在では粛々と己のしてきた事をあれやこれやと思い出しては黒歴史なのか悶えている。さらにどうでも良い事だが、現在は第一階層で出会った女性と交際中だった。
兄と弟でこれほどまでに差を出したのは一体何だったのか。とにもかくにも言えるのは、片や恨みつらみを不満と共に積もらせまったく反省も悔い改めもしない者と、片や反省して己のしてきた事を悔いつつ支えるものを得た者。その違いが生まれているという事である。
そして時に、それが人生の分岐点となり得る。それだけだ。
「おい、こんな所で何をしている」
「え?」
夕暮れに染まり始めた騎士団の来客棟二階にある図書室。
そこに、人間がいた。
黒髪とぼんやりした目鼻立ちの地味な少女に見える。
「貴様、人間か? 薄汚い下等生物風情が。どこから入り込んだ」
本を棚に戻していた手首を掴む。
「は、離して下さい!」
この第一階層では異界と繋がる穴や亀裂が開きやすい。
そういった所から、人間やその他がこの世界に転がり込んで来るのだ。話の通じる、住民の危害を加える心配の無いものは『迷い人』として保護するのだが、バロッサにしてみれば意味不明だ。
人間など脆弱で下等で、せいぜい良くて実験動物かペットの扱いで充分だと言うのに、わざわざ保護して人のように扱うなど狂気の沙汰だ。そう思っている。
だから、当然のような顔で身の程も知らず図書室で書物にその汚い手で触れている害獣が堪らなく目障りだった。
手首を離し、首を掴む。ジタバタと暴れる様はまさに野生動物だ。バロッサは空いた片手を無造作に薙ぐ。窓が開き、カーテンがふわりと揺れる。
「人間ごときが」
掴んだものを窓へ。
「目障りだ」
ゴミを投げ捨てる気安さで、バロッサはその人間、マリを窓の外へ放り投げた。
「おい! これはどういう事だ!」
そんな事があってから一時間と経たない内に、バロッサは後ろ手に拘束され、騎士団にある次期当主の執務室に連行され、青いカーペットの敷かれた床に転がされる。
「いや、それマジで言ってねーよな? 兄貴」
目の前、執務机の向こうには、呆れた顔の異母弟がいた。
白髪に褐色の肌。とても貴族には見えないカットソーとスキニーパンツにブーツというラフな格好で、赤い瞳をバロッサに向けている。
更にシェルディナードだけではなく、黒陽や黒月といった特別な称号をもった青年達まで揃っており、バロッサは訳がわからずも嫌な予感をひしひしと感じていた。些か遅かったが。
「兄貴が手を出した子さぁ、俺だけじゃなく、ルッシーやラスティシセルの庇護下にあるんだよな。まあ、それ抜きにしても客人にうちの奴が危害を加えるとか、まずあっちゃだめじゃね?」
溜め息混じりにそう言って、シェルディナードが立ち上がる。
静かにバロッサの側に近づき、片膝をつく。
「今度ばっかは俺も庇えねーんだよなぁ」
「誰が貴様にっ」
バロッサが口を開いた途端、怖気のする気配が様子を見ていた黒陽ことサラから噴き出した。思わずバロッサが口をつぐむ。
「大人しくしときゃ、あと数年で終わったのにな」
「シェナッド。まさか君、期間延長で済ます気ではないでしょうね?」
「流石にそれはねーよ。兄貴、そもそも処罰中でやらかしたんだし」
服役中にさらに犯罪を犯したのと同じわけで。それが期間延長で済むわけがないし、そもそもルシアもラッセルも許さないだろう事は目に見えている。
「ガラルドの兄貴はちゃんと更正してくれたのにな。ほんと残念。……兄貴には、ここよりもっと遠くで頭冷やしてもらうわ」
「ルー、ちゃん。もう、いい、でしょ。殺そう?」
「ダーメ。それ一番損害しか残んないやつだから」
えー……。なんて頬を不満げにサラが膨らませ、バロッサをゴミを見る目で見つめた。
「反省もしねーし、多分このままここに置いといても全然変わんねーと思うから、そんな危ねぇ奴は置いとけない。つーわけで」
そっとシェルディナードは立ち上がってバロッサを見下ろす。
「兄貴には、魔力制限した上で他の世界に反省するまで行ってもらうわ。ろくに魔術使えないし、人間しかいない世界にするけど、頑張って生きてな」




