21.空っぽのまま、死にたくない
21.空っぽのまま、死にたくない
「人間ごときが」
赤く染まった陽光が白いカーテンを透かして差し込む図書室。大きく開け放たれた窓際。
ラッセルでもミウでもない。白髪に暗緑の瞳で、出会ったばかりの冷たい顔立ちの青年に喉を握り潰そうとするかのような力で首を掴まれ、息ができない。
「っ! ……っ、ぁっ」
まるで死人のように冷たい手に首ごと身体を持ち上げられて、図書室の床から浮いた足をバタつかせて首を掴む手に爪を立てて力いっぱい引っ掻くけれど、掴む手は緩まずびくともしない。
(苦し、い)
痛い。苦しい。
――――殺される。
涙が目に浮くのがわかる。
「目障りだ」
その言葉と共に、窓の外、身体が宙に放り出された。
一瞬の浮遊感はすぐに背筋を震わせる悪寒に変わる。
(ああ。死んじゃうのかな)
そう思った。
黄昏の黄金から真っ赤な血色に変わり滲む空が視界に広がる。二階とはいえ、打ち所によっては死ぬだろう。
受け身を取る訓練なんかしていないわけで、咄嗟にそんな事が出来る筈もない。自然と一番重い頭部が下になって一番早く、叩きつけられる事になる。
死ぬ。
その言葉が、未来として強く浮かんだ。
叩きつけられるその瞬間が怖くて、思わず目を瞑る。
――――夢中になれるのが、羨ましい。
仕事でも趣味でも恋でも、何でも良い。
夢中になれる何か、を持っているのが羨ましい。
いつからだろう? 何にも夢中になれなくなったのは。
学校に行って友達と話したり遊んだり、バイトして、家に帰ったらご飯食べてテレビ見て。お風呂に入って寝て。
楽しくなかったわけじゃない、だけど……。
『お姉ちゃん、ごめん手伝ってぇ』
『またぁ? もう、何でギリギリになってからやるの』
『ごめーん。間に合うはずだったんだけどぉ』
コスプレに使う衣装、小物作りを手伝ってと言ってくる妹。いつもギリギリになって用意をしていて、間に合わないなら止めておけば良いのにって思うけど、その顔が凄くきらきらして楽しそうで。
『これこの間と違う衣装?』
『そう! 好きな作家さんの新作のキャラなんだー♪』
もうすっごくカッコいいの! そう言う顔はまるで現実にいる誰かに恋しているみたいに見えた。
姉の自分から見ても、妹は明るくて可愛くて、わがままも何となく憎めないというか許してしまう。そんな子だった。
趣味の友人もたくさんいて、いつの間にか彼氏も出来ていた。
勉強はそこまで出来てはいなかったけど、それを補って余りある人間としての魅力が、妹にはある。
それが、とても、羨ましかった。
何となく生きて、何となく皆が行くから、行かないと就職も難しいから大学は出なきゃって、受験勉強して大学入って。
卒業に必要な単位だけ取る為に講義受けて、就活。
でも。
何がやりたいとか、夢中になれる何か、なんて無くて。
気づいたら、空っぽだった。
お姉ちゃんだから我慢してね、とか、小さい頃は言われて。
いい子にしてたらほめられたし、嫌われたくなくて、いつの間にかずっと『いい子』になるのが当たり前になってた。
どうしたいのか、とか、何をしたいとか。
自分の気持ちが、いつの間にか消えていったのに気づかなくて、空っぽに、なっちゃった。
妹の事は好き。だけど、同じくらい、嫌い。
自分が何も持っていないから。
これは嫉妬。呆れるくらい馬鹿馬鹿しい感情。
空っぽで、何の面白味もなくて。
自分自身が、一番嫌い。
(嫌だな…………)
――――空っぽのまま、死にたくない。
「マリ!」
必死な声音で名前を呼ばれ瞳を開ける。
いつまで経ってもくると思った衝撃は訪れなくて、何故か中庭の小路の上に横たわっているのが、背中にあたる煉瓦の感触からわかった。
開けた瞳に飛び込んできたのは赤い空じゃなく、眉間を力いっぱい寄せてシワを深く刻んだお医者さんの顔。
「ラ、スティ、シセルさ、ん」
整った顔だけに、眉間にシワ寄せると凄みが増して子供に泣かれる事があるらしい。それも納得かなとマリはボンヤリ思った。
(すごく、怖い顔……)
これ、確かに子供泣く。
多分そんな場合じゃないのに、そんな事を考える。
「しっかりしろ、マリ」
怖いけど、怖くない顔。その顔のわけが心配からきてると声や瞳からわかるから。
「マリ」
「私、生きて、ます、ね」
「当たり前だ」
苦虫を噛み潰したみたいにラッセルの顔がさらに険しさを増す。
当たり前と言われても。死ぬと一瞬前まで思っていたからマリとしては当たり前とは思いがたい。
「あ、れ?」
生きてる。自分は生きてる。
「すみま、せん」
「なぜ謝るんだ。君は……」
目の縁が熱くなって、視界が揺らめいた。それが涙が目に溜まったせいだと理解したのは、表面張力も耐えきれなくて目尻から溢れたそれが頬を滑って耳たぶまで滑り落ちたからで。
「ごめ、な、さ」
「だから、謝るな」
ラッセルがどうして良いのかわからない顔で、盛大に困っている。困らせているのが申し訳なくて口を開いたけど、途切れるし震えるし、言葉にならない。
堪えようとした声が喉で変に渦巻いて、結局は嗚咽になった。
どうしようもなく、止められない。
やがてあやすようにマリをラッセルが抱き起こすのだが、それでも暫く身体の震えも嗚咽も止まりそうになかった。




