19.げ……
19.げ……
黄昏が夕闇に変わる間近の時間。
アンティーク調の店構えと家具のカフェに、一人の婦人、ユリアが現れる。
柱時計の時を刻む音と少し古めかしい音楽を歌うジュークボックス。しんと静まり返っているわけではないが、騒がしくもない店内。
新聞を広げて珈琲を嗜む紳士やケーキを友人と食べて彼氏の話をする若い女性など、店内の客層は幅広い。
「お待たせ致しました。ルシア様」
「いえいえ。お疲れ様です。ユリアさん」
店内の奥まった席にいたルシアは、一度立ち上がってユリアに椅子を引き、それから再び自分も席についた。
「ミラーリでいつもご連絡は頂いておりますが、二人はその後いかがです?」
「うふふ。中々に良い感じではと思っておりますわ。ラスティシセル坊っちゃまがマリ様に言葉を教えたり、シアンレードのご子息様が声を掛けた際には間髪入れずにお断りしたりと、それはもう」
「おやおや。予想以上に良さそうですね。あ、お飲み物は」
「ハニーローズティーでお願い致します」
「畏まりました」
店員にユリアの注文を通し、ニコニコと楽しそうにルシアは垂れた夕闇の紫と黄昏の黄が混じり合う瞳を細める。
「マリ様も、ミウさんのおかけで随分と打ち解けて頂けました」
「それは良い事ですね。安心致しました」
自分の紅茶のカップに口をつけ、ルシアはクスッと笑う。
「まさか、異界から呼び寄せてしまうなんて、思いもしませんでしたから」
ルシアがラッセルの指紋と結婚情報誌のおまじないで呼び寄せたのだが、そもそも何故そんな事をしたのかと言うと、
「そうですわね。わたくしもまさかラスティシセル坊っちゃまの運命のお相手が異界の方とは思いませんでした」
ラッセルの乳母でもあったメイド長、ユリアが切実な相談をルシアに持ち掛けたからに他ならない。ちなみに結婚情報誌の『おまじない』がマジもんであるというのは、実は予想の範囲内だったのだが。
(何しろ本物が監修していますからね)
ルシアはユリアの『運命のお相手』には困ったような何とも言えない顔をしたが、切り替えるように紅茶を口にし、カップをソーサーに置いた。
「というか、異界まで範囲を広げなければヒットしない状態だったのが一番の驚きでしたが」
「それは…………ええ。このユリア、少しばかり肝が冷えました」
あのおまじない、魔力の量が関係するのは引き寄せる力と『検索範囲』である。
当然、同じ世界に運命の相手とやらがいればそちらも引き寄せられる筈だが、ラッセルの場合は異界の人間であるマリが一人引っ張られただけ。つまり、もう少し注いだ魔力の量が少なかったら、異界まで検索範囲が広がらなかったら……。
「でも、良いのです。マリ様は来て下さいました」
結果良ければ全て良し! な感じでユリアが頷く。
「まあ、そうですね。……ところで、ユリアさん」
「なんでございましょう?」
「彼女、人間ですけどそこは本当に良いのですか?」
あまりそういった感じはしないが、ラッセルはわりと由緒正しい家柄の令息である。異界の、しかも人間が相手で良いのか? そう尋ねるルシアに、ユリアは「まだまだわかっておりませんわね」と言うような大人の余裕を滲ませて笑む。
「ルシア様。愛こそ全て、ですわよ」
「愛……ですか」
あはは難しいですねー、と笑いつつルシアは今度こそ困ったように眉を下げた。
「そんなに、ヤバかったんですか?」
「……ええ。冗談ではなく」
何度も言うがラッセルは貴族の、しかも良い家の令息。
その令息にこの歳まで婚約者がいないというのがそもそも異常。特例なのだ。
「そろそろどこかのご令嬢を決めろ、と。他家の方からも言われておりましたから」
他の家が本来は口を出せる事ではないのだが、ラッセルの場合は家の位が高過ぎた。結婚相手を選ぶ時は家の位が高いものから指名していく。
その為、上のものがいつまでも選ばないとそれ以下の家が選びにくい。となれば、少しでも早く安心しておきたい者達はまだかまだかと焦れに焦れる。
「マリ様は帰ってしまうとしても、ラスティシセル坊っちゃまは以前と少しだけ変わる筈です」
そうしたら、改めて話をすれば良い。今度はきっと良い相手を見つけられるだろう。
「なるほど。帰ってしまう前提だからですか」
「勿論、そのまま残られるならそれはそれで喜ばしいのですけど……。そうはならないでしょう」
全然知らない、言葉も文字もわからない。そんな世界にいるより、元の今まで生きてきた世界の方が良いのは当たり前だ。
「こちらの都合で強制的に引き込んでおいて、帰さないなんて言えませんわ」
異界から呼び寄せるのは想定外。流石に礼儀というものがあるし、それは異界の者も同じ世界のものも同じだろう。
「ご家族もご友人もいらっしゃいますでしょう? その全てを捨てて留まって欲しいとは流石に……」
「そうですねえ。しかも関係が進展するかどうかもわかりませんし」
「そこ、でございますよ。ラスティシセル坊っちゃまは紳士ですけど、紳士過ぎると申しますか……」
うんうんと同意の頷きを返すルシアと片手を頬に当てて悩ましいという感じで息をつくユリア。
「実際どうですか? 見込みあります?」
「悪くはない、と思うのですよ。ラスティシセル坊っちゃまも医師としてと言ってはおりますが、今までのどのご令嬢よりも気にかけておりますし」
「マリさんの方はいかがです?」
「そうですわね……天秤なら好意寄りだと信じております。ただ、やはり異世界に来たわけですし、緊張はまだ根深そうですわ」
「まあ、無理もありません。時間は幸いありますし、ね」
何となく婚活斡旋会議がまとまりかけた時、ルシアとユリアに声が掛かる。
「あっれー? ルッシーじゃん。こんな所で何してんの」
「シェナッド…………」
声を掛けてきた人物を見て、ついでにその隣にいる同じくらいの背丈をした緋色を少し溶かしたような金髪の女性と見紛う青年を視界に入れた瞬間、ルシアとその青年、サラの顔がどちらも「げ……」と言いそうなものになった。
「なんで、いるの」
「それはこちらの台詞ですね。貴方もシェナッドも何故ここに?」
「何でって、ここ俺の管轄地にある街だし、ここの珈琲美味いから」
顔立ちはラッセルと良く似ていても、髪色や瞳、雰囲気は大違いのサラは、白いシャツに夜空のような深い青のジャケット、そして黒いズボンの上にはジャケットと同色のセンタースリットのロングスカートだ。機能としてはスカートというよりもサロンエプロンに近しいのだが。
身体の線は細く、その所為か肩幅や背丈があっても女性のような繊細さが押し出される。眠そうな藍色の瞳は闇のように深い。
全体を通してまるで人形のような、無機質的な美しさを持っている。
そのサラはまるで拗ねるようのシェルディナードの腕に抱きつく。
「ルーちゃん、他、行こう?」
「相変わらず彼女みたいで気持ち悪いですね。しかしそうして頂けるとこちらとしても助かります」
サラとルシアの間で無言の火花が散る。仲が悪いのが一目瞭然だった。
「まあまあ。いーじゃん。俺もルッシーとユリアに用があったとこだし」
「私達に用?」
怪訝そうに首を傾げるルシアに、シェルディナードはニッと笑う。
「俺も仲間に入れてくんね?」




