1.運命の相手を引き寄せるおまじない
1.運命の相手を引き寄せるおまじない
「それでですね、ラッセル。是非あなたにこの服を」
ラスティシセル・リブラ・アロマティルード。
サラサラとした肩の上くらいまでの金髪に白い肌と整った顔の二十歳くらいに見える、きっちりしたシャツとズボンに革靴、そこに白衣を羽織った青年は、水碧玉を内包するような夜の湖を思わせる藍色の瞳を細め、彼の事をラッセルと呼んだ目の前の人物を睨み付けた。
白を基調に清潔感のある内装で整えられた診察室兼簡易の応接間。そこに現在ラッセル含め二人の青年がいた。
螺旋を描くように階層を成す世界。その第五層に位置する所にラッセルの住居兼仕事場である屋敷はある。この階層では夜の時間がもっとも長く、一日の大半は夜。
それ故に、今も大きな姿見のような窓の外は紺碧の夜空が広がっているが、時計を見ればお茶の時間という具合だ。
ラッセルの眉間に深いシワを刻ませた同じ歳くらいの青年は、そんな夜の闇を煮詰めたような紫かかったブルネットの短髪で、所々髪がぴょんぴょん跳ね、短い前髪は眉より上で無造作に、というより大雑把で適当に切り揃えられ、何とも眠そうな垂れ目に長方形の縁なし眼鏡を掛けている。その瞳は夕闇と黄昏が混じり合うようなグラデーションを描き、瞳孔はよくよくみれば横。
簡素といえる白いシャツにループタイ、紺色のベストとズボン、革靴といった出で立ちである。
「用が済んだらとっとと帰れ」
「嗚呼、冷たいですね。まぁ、予想のうちですけど」
ニコニコとしながら、フォルシシア・アマランサス・テイラー、通称ルシアはぴらっと一枚の紙と万年筆を取り出し、ラッセルに差し出した。
「ではここに署名を」
ラッセルの額にピシッと青筋が浮く。
「だから……貴様の服のモデルにはならんと言っているだろうが! 帰れ!」
付き合っていられないとばかりにラッセルが首を振る。
「嫌ですねぇ、私はラッセルの患者。ラッセルは私のモデル。ほら、これが道理」
「どこがだ!」
書類と診断表が整理されたキャビネット、その戸をやや乱暴に閉めて、ラッセルは部屋を出る。
その後をアヒルの子供のようにルシアも着いてくるのが、ますますラッセルの眉間のシワを深くした。
それなりに広い屋敷ではあるが、働いている使用人は必要最低限。ラッセルは医師ではあるものの、入院などは受け入れていない。更に言うと、働いてはいても貴族という身分だ。
本来、貴族としての仕事以外の労働など要らないのだが、性分なのか研究した成果は役立てなければ全く意味がないと言って医師になった変わり者でもある。
しかし。
「ラッセル……。君、そんな事を言っても私以外にここに通う患者、居ます?」
「うるさい。黙れ」
腕はたしかなのだ。腕は。
「その物言いといっつも眉間にシワを寄せているせいで、怖がってだーれも寄り付かないじゃないですか」
「黙れと言ったのが、聴こえなかったか?」
なまじ顔が整っているのも災いしたのか、美形が不機嫌だと近寄りがたさが倍増するらしい。
「私の眉間のシワを増やしているのは今現在確実に貴様だ。去れ」
「そこでですね」
「人の話を聞け!」
じゃーん! という効果音でもつきそうな様子で、ラッセルの前に回り込んだルシアは何処からともなく一冊の雑誌を取り出す。
「何処から取り出した……いや、そんな事はどうでも良い。それよりも」
ラッセルはルシアが満面の笑みを浮かべて持つ雑誌に、口許を引きつらせた。
「何故、私に『結婚情報誌』を見せる」
「ラッセル、君、誰かとお付き合いしてみたらどうです? 今現在……というか、これまで彼女居たことあります?」
「余計なお世話だ! 貴様は私の両親か!」
「あー。やっぱり。ご両親からも言われてますか」
「殺すぞ」
思わず殺気立つラッセルに、ルシアは笑顔を崩さない。
「結婚する方だけでなく、こちらは結婚したい方にも向けた雑誌となっています。例えばこのページ」
開かれたページの見出しは『効果絶大! 運命の相手を引き寄せるおまじない特集!』と書かれている。
ラッセルは強く片方の拳を握り締めた。この雑誌ごとこの仕立て屋の顔を殴りたい。
「コレなんか凄く簡単なんですよ? ほら、こうして」
「貴様っ!」
言うなりルシアはラッセルの握り締めていない方の手を取り、その小指を雑誌に押し付ける。
「放せ! ベヒモスか貴様!」
掴まれた手首はどうやってもびくともしない。
「嫌ですねぇ。私、反物より重いもの持てませんよ?」
反物は充分重い筈だ。
それでも用は済んだのか、ルシアは言われた通りに手を放す。
放された手首を振って、ラッセルはルシアを睨んだ。
「はい。これで後は強く願いを込めて魔力を注げば、魔方陣に込められた術式が発動して運命の相手を引き寄せられます」
「やめんか! 勝手に何する!」
ページに掲載された魔方陣の真ん中、空いたスペースにうっすらとラッセルの指紋がつけられているのがわかる。
「あは。単なるおまじないじゃないですか。効果なんて気休めですって」
ほら、何も起こらない。そう言いながらルシアは雑誌に魔力を注いで見せた。
何も起こらなければ良いとかいう問題ではない。
ラッセルはルシアの手から雑誌をひったくり、無造作に放り投げた。
「あぁ~。何するんですかもう……」
廊下に置かれた休憩用の長椅子か何かの下に入ったのか、雑誌が視界から消え、ラッセルは溜め息をつきながらルシアに玄関ホールを指差しながら言う。
「帰れ」
◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆
(ここ、どこ……?)
大学からの帰り、自分の部屋に入ろうとして、ドアを開けた所までは覚えている。灯りをつけようとして、電気のスイッチの手を伸ばしたことも。
(部屋、じゃ、ない)
そこまではっきり覚えているのに、真っ暗な今いる場所は自分の部屋ではない。
部屋はフローリングで何も敷いていなかったのに、自分の下には滑らかかつふかっとしたカーペットが敷かれているし、段々目が慣れてくると、どうやら洋館の幅広の廊下だとわかる。
薄く青白い光に照らし出される廊下。テレビなんかで良く見る外国のお屋敷みたいな。
ぶるっと身体が震えた。
(嫌だ。早く、出ないと)
帰りたい。帰らないと。
(怖い。怖い!)
ふらつく足を叱咤して立ち上がる。
(何だろう……苦し、い…………?)
息がしにくい。目の前が霞む。
ぐらっと身体が傾いて、力が抜けて。
(いや……誰か…………)
助けて。
言葉にしたくても、唇すらもう動かない。
ゆっくりと意識が闇に塗り潰されていく。
「…………」
廊下に倒れて動かない女性を、ラッセルは静かに見下ろしていた。