吝嗇のバナリテ 14
全話、区切りが悪かったので、若干改稿しております。ご了承ください。(20202/26、8:14現在)
事務所を手に入れてからというもの、夜の風に直接あたりながら一服する事が多くなった。井戸が近くにあり、畑のにおいも濃くはないので、この城下の丁度の良い陽射し除けは、月下の晩酌にも心地良い。何より、景観を損なわず、また美麗な星々の瞬きと、神との対話に耳を傾けるというのも殊の外心地よい。
かの女領主が主人となってから、実に騒々しい日々が続く。ついには自分で契約を持ってきたという。私は運河の開通に期待を寄せながらも、一抹の不安も感じていた。
果たしてカペル王国が、エストーラ領ウネッザのとの運河の開通を望むだろうか?
現状、カペル王国はある一点においてはプロアニア以上の閉鎖性を守っている。制限貿易と技術の秘匿によってプロアニアは未だに技術的先進国であり続けている。だが、同時に統治は杜撰で、我が国のような建築物も無く、面白みも無く、貴族の邸宅さえバラック小屋という体たらくだ。わが国にその心配はないとしても、我が国が抱える問題については、いずれ明らかになる事だろう。そして、エストーラがそれを知り、干渉しないはずもない。そう言う意味では遅かれ早かれ、この情報が世に漏れるだろうが、だからと言って当事者自身が情報を漏らすことは無い。少しでも自分で解決しようとするだろう。その時、ウネッザとの運河の開通が一定の懸念に繋がる事は考えられないではない。
私は静かに月を見上げる。夜闇の不気味な瞬きは、光明が差すとは相反する懸念の感情を呼び起こさせる。畑のにおいは徐々に耐え難い悪臭となり、団栗を摘む家畜の群れ同様に、孤独の恐怖感を増長させる。
そんな時である。ナルボヌ城門より、のそのそと歩み寄るカンテラの明かりを見たのは。
明かりは息を切らせながら事務所へと近づき、浮かび上がる深緑や乾燥した草の音と共に服を照らしている。
簡素な使用人服を着た足が、私のもとに近づいてくるのを察し、私は体をその灯りの方へと向けた。
「まだ、こんなところにいたのね!探したのよ」
「ジョアンナ様……。てっきりお休みなのかと……」
愛すべき領主は息を切らせながら、無垢な笑みで私を見上げている。冷えた鉄のカンテラに指をかける事すら苦痛であろうに、城からわざわざここまで抜け出してきたというのだろうか?あまりにも危険が過ぎるうえ、軽率と言える。
しかし奇妙なことに、内心で喜びを感じている私がいたのも事実である。
「休んでなんていられないわ、いよいよ念願の道が出来るのよ!」
彼女は半ば興奮気味に叫んだ。とはいえ、彼女の言い草では、その収益は殆どダンドロ銀行に齎される事だろう。開通した土地の所有権を有するのは、他ならぬ彼らなのだから。
「ジョアンナ様、大変申し上げにくいのですが、未だ机上の空論で御座います。ジョアンナ様のご期待に添えかねる結果となる事も御座いましょう。ですから、先ずは冷静に、そしてゆっくりと旅の疲れを癒して頂きたいのです」
息を切らせた肩が大きく上下する。カンテラが照らす表情は徐々に曇りゆく。星々の瞬きは薄い雲に見え隠れするが、これらの遠い希望が私達に明かりを齎すものではない事だけを、それらは証明している。
「……ごめんなさい。勝手な事をして、迷惑だった?」
私は彼女を事務所に上げ、手頃な段差に腰かけるように促した。動きやすい使用人服の彼女は、どことなく少年然としており、艶やかな肌や細くしなやかな指などは丁度親方の下で修業を積む頃の小僧にも似ていた。
見ようによっては幼くも見える横顔を、私は静かに眺める。憂いに視線を下げ、長い睫毛を目に被せるように瞼を伏せる。
私は未だ子も、弟子も持ったことは無いが、彼女に対する私の感情は、恐らくそれに近い物になっていた。
「いいえ。それを何とかするのが私の仕事です。それに、動かなければ現状は解決しません。細かな交渉は私に任せて、ジョアンナ様は次の『稼ぎ』を探してください」
私がこの場所に仕える限り、どうあっても受け身で仕事をこなす事が求められる。それは私が不幸な苦悩や恐怖に身もだえする事を防いだが、冴え渡る思考を遮る事にも役立った。
しかし、秋の暮れまでに奴隷商人がここを行き交い、行商人が布を持ち寄って、この辺鄙な地を中心に、時間が動き出した。それに伴い、任された仕事の量が膨大となり、些細な数字の違いまで、細かに計測する事を要求されるようになってきた。
圧し潰されそうな仕事の圧力は、この場所でぬくぬくと過ごしてきた官僚全員に及んでいる。しかし、私には、思考が冴え渡るこの感覚が奇妙な事に楽しくて仕方がない。
どれもこれも、恐ろしい取引を持ち込むこの吝嗇のバナリテがいてこそだ。
彼女の顎を持ち上げる。不意を突かれ、無防備に口を開く彼女の様に、思わず目を弧にして笑う。
「ジョアンナ様に振り回されるの、私は嫌いではありませんよ」
彼女は私の手を払った。戸惑いがちに視線を右往左往させ、「そう言うのは、やめなさい」と小さく呟く。私は慌てて手を隠し、「失礼しました」と返した。
心地よく秋の風が吹く。人糞と家畜の糞の発酵した臭いが異様に強調されて鼻を掠める。
「今回もよろしく頼むわ。私には、それ以上の事は出来ないもの」
少し火照った顔が、俯きながらそう答える。彼女はカンテラに手を添えて、表情を隠しているように見えた。
「お任せください。それが私の仕事です」
夜の風に当てられた体が、少しだけ震える。凍てつく季節の支度が始まろうとしていた。




