帰郷
帰りの荷馬車も緩やかな傾斜を下りながら、忙しなくガタつく。行商人もご機嫌に鼻歌を歌い、ギヨームは流れる街並みに向けて深い溜息を吐く。荷馬車には軽くなった荷台の上に田舎で良く売れる日用品を積み込んでおり、その中には職人の拘りが光る数多の家事用品や農具もあった。
濃い二日間だった。たった一分一秒で決着がつく、そんな恐ろしい世界を目前にして、私の愚かさを学んだように思う。
貴族はどうしようもなく体裁を気にする。それは商人まがいの仕事をこなすと決めた時から、もっとはっきりと学ぶべきであったように思う。ギルドを中心とした相場の安定化が徐々に競争社会になっていくにつれて、時間の流れは加速し、私達が取り残されていく。このカペル王国ですら、それは例外ではなかった。時代を大きく牽引してきた人々‐神権を世俗の君主が支配する道を開いたロイ・ディ・カペル、大国平和友好路線を築き、プロアニアの技術的な優位を弱めたムスコール大公国宰相女傑ロットバルト、神の理から離れて周期の考えを確立し、「天文学」を築き上げたウネッザはサン・マッキオのユウキタクマ博士‐は、ほぼ例外なく次の時代への足掛かりを作ってきた。貴族ですら、その場に留まっていることは出来ない。どこかで、何らかの形で、時代の動きに対応していかなければ、私達は生き残る事すらままならない。
草を掻き分ける馬車が増えたためか、アビスからナルボヌまでの道は轍を中心に倒された雑草や折られた枝で大きな口を開けている。それらは長年そのまま放置されてきた道で、繁茂する草木にとっては安寧の地であったのにもかかわらず、人間に踏み付けられるようになった。
これも時代の変化か。窓に肘をつき、背の高い多年草で囲まれた道を傍観する。太陽が傾いても道には盗賊すら居らず、夜を通るのは未だ焚火に集まる虫たちだけである。
こうして移動する間に、領内では何が起こっているのだろう。
ふと、ナルボヌに思いを馳せる。殆どの領民にとって、暮らしが豊かになる事は無かったに違いない。ナルボヌでは時間が止まったままで動かない。いつも黄金色を待ち、紫色を待ち、団栗を待ち、白銀に身を縮め、そして春を待つ。実りの愉しみを種に込め、祈りと収穫の喜びに美酒を飲み下す。数百年変わらない光景だったに違いない。
しかし、倒された雑草たちによって轍と道ができ、人を養うための需要が増えた事によって、ナルボヌも徐々に、どす黒い銅貨の価値を分かり始めたようだ。領民がコインを磨いたり、並べたりする日もやってくるのだろう。その時、アビス大学から故郷に戻った数学者の若者が、会計士になるかもしれない。天秤とアバカスが奴隷市場に鳴り響けば、フーケは従業員を雇うかもしれない。
道は延々と続くが、微妙に違った表情を見せてくれる。多年草で、子供では前方しか見えない道から、芝だけが生い茂るような開けた道、前方の様子を遮る小さく緩やかな丘、馬車が数日車輪を回転させるだけで、運命の女神は何周しただろうか?
幾日か車輪を回し続けていくうちに、付近に森を持つ、木製の柵に囲まれた土地が開けてくる。土色とクローバーの緑、藁の薄茶色が点々と連なり、川沿いに紫の群生が現れる。やがて、小高い丘から、古風なヴァッサー・ブルクが顔を覗かせた。
「さぁ、次は何で稼ごうかしら……?」
無限に刻まれる機械時計の音は遥か彼方、今はまだ辺鄙な田舎町に、無限の野心が掻き立てられる。木製の柵を通り抜け、休耕地の群れを通り過ぎると、領民が腹に掛けた袋を左手で支え、右手で畑に何かを振りかけている。馬に耕作器を引かせて作り上げた周期的な畝は、立てかけられるようにして、前の畝と重なり、新たな溝を作る。
留まる時間などない。荷馬車はナルボヌへとたどり着いたし、ナルボヌは既に秋の装いに変わりつつある。畝が徐々に広がっていく茶色の裸出した土壌の先に、川沿いに聳える城塞が、主人の帰りを待っていた。
「ジョアンナ様、良かった、お変わりないようで!それで、結果は……!」
城の前に着いた途端、半ば市場のようになり始めた乳母会社の作業場から、フーケが飛び出してきた。私は一旦馬車を止めさせ、足元に注意を払いながら下車する。堆肥の嫌な臭いが鼻を掠める。ギヨームも降り、私の後ろに続いた。
フーケは少々慌てた風で、そわそわと貧乏ゆすりをする。笑顔にも余裕はなく、見ようによっては何かを隠しているようにも思われた。
「少し勝った、と言ったところね。まぁ、大した稼ぎではないわ」
「そ、そうですか。一先ず、安心致しました。さぁ、お疲れでしょう。お部屋に……」
フーケが私に門へ向かうように手を向ける。川面がきらきらと輝き、覗き込めば魚の影を認める事が出来る。
「待って。ついでに川を開く話をしてきたのだけれど……」
「本当ですか!?それで、お返事は?」
彼は私の両肩を掴み、急き立てるように語調を強くする。ギヨームの咳払いで我に返ったのか、飛び上がるように一歩身を引いた。
「後日手紙が来るそうよ。貴方の判断で交渉を進めて頂戴」
「分かりました。一先ず、ゆっくりお休みください。後で詳細なお話を頂ければ幸いです」
「勿論。少し、休ませてもらうわ」
フーケは深く頭を下げ、足早に事務所へと戻っていった。稼ぎも規模も小さいとはいえ、一人でよくもここまでやって来たものだ。城壁に沿って進む後姿が実に頼りがいがある。
「ジョアンナ様、行きましょうか」
ギヨームが伺いを立てる。私は短く返事を返し、低い御者台に乗り込んだ。御者が手を課そうとするのをギヨームが遮り、即座に自分がその手を差し出してくる。有り難く受け入れる事にしたが、御者がやや不服そうに手を膝においてこちらを見ていた。
「腐っても貴族なの、ごめんなさいね」
そう言うと、彼はすまし顔で「いいえ」と短く言葉を返し、城門の前へと向かった。




