競売2
休憩時間は静寂に満たされていたが、張り詰めた空気が漂う。アンリ王に強引に手を引かれたガルシア卿は、半ば強引に柱に押し付けられた。
「ガルシア卿、いとも聡明な貴方であれば、私のいう事が分かりますね……?」
アンリの手は剣の柄を掴んでる。鋭い眼光が実際に光を放って威嚇しているのだから、ガルシアは気が気ではない。アンリの覇気に圧倒され、ガルシアは大きく唾を飲み込んだ。
「この戦いの結末は君に掛っている。……わかるね?」
この城が誰の手に渡るか、それを決めるのは無情なことにアンリ王ではない。ガルシアは遠目にフアナを見る。肩ごしの芍薬がガルシアを向き、静かに目を細める。たおやかな微笑に視線を戻すと、アンリ王が彼の胸ぐらをつかんで柱に強く押し込む。苦しそうな呻きが小さく響いたが、アンリ王は構わずに彼の耳元で囁いた。
「……私が出せるのは12万と9000だ。分かるね……?」
彼は自らの財布のひもを静かに緩めた。ガルシアは首を縦に振るだけであった。アンリ王の財布のひもが緩んだこと、それがガルシアの唯一の救いであった。今度は彼の視線が、城の上部へ向かう。謁見の間の天井は他の部屋よりも一段高く。救いの手を求める彼の視線には一層優しく思われた。
アンリ王の形相に思わず視線が釘付けになっている間に、私はフアナが近づいてくるのを気づく事が出来なかった。
彼女との会話は危険が伴う。私はフーケに視線を送り、ディナーの問い合わせなどをして彼女から逃れようとした。しかし、彼女は静かに近寄ると、私の耳元で囁いたのだ。
「ねぇ、殿方は随分と気性が激しいと思わない?あれでは、血管が切れてしまうわ?」
この女の信用ならないところは、こんな話から核心をついてくるであろうことだ。私は既に相手をアンリ王から彼女に切り替え、フーケの持つ書蝋板の上にさり気なく手を置く。
「アンリ陛下は聡明なお方ですから、このお城が気に入って頂けたのだと思います。私はそれをとても嬉しく思いますよ」
書蝋板に一文字ずつ、彼女へのメッセージを書く。彼女は意図的にそれを周囲から隠す位置に立ちながら、おっとりと口に手を当てた。
「あら、そうなのね!でもやっぱり、あの回廊は広くするべきだと思うの。いくらかかるかしら?」
この会話の内容に意味がない事は分かっている。重要なのは、彼女の視線が書蝋板の上に向いている事だ。最終落札の時には使用しない予定であったのは、こうした不測の事態にも使えそうだと判断したのかもしれない。もしそうならば、フーケはこの上なく準備が良い。
彼女との筆談はゆっくりと進んだ。男達の会話が済むと同時に、彼女との会話は打ち切られ、書蝋板も綺麗に消し去られる。芍薬は楽しそうに両手を広げながら、元居た場所へと戻っていった。
書蝋板での会話は以下の通りである。今後もし、この宮殿を買い付ける事が出来たならば、彼女との関係は約束される事、交流を通して、「美味しい料理」と「大粒の葡萄」とを交換する事、「エストーラは舞踏会を楽しみにしている事」の3つである。非常に遠回しな表現だが、ブリュージュとしては、敢えてエストーラに所属する気はないのかもしれない。黄金の誘惑につばを飲み込むと、アンリ王の険しい視線がこちらに向けられた。私は素知らぬ顔で愛想を振る舞う。彼にそれがどのように伝わったのかはわかりかねるが、彼の視線はガルシアへと向けられた。
先程まで宮殿と子供の事だけを考えていたガルシアは、アンリ王によって現実に引き戻され、お腹を摩っている。会話の詳細までは分からないが、何としても買い取れ、と言う旨の脅しを受けたのだろう。フアナと取引を行った手前向ける顔がないが、ガルシア卿には是非買い取って貰いたい。
休憩時間は残り三分。一同は元の位置に戻り、フーケは土地の権利証と契約書を用意している。彼の執務室には彼のよしみにしている公証人が待機している。十分に準備を整えた私達には、謁見の間は余りにも広大に思えた。
音一つない静寂。不必要な広大な部屋には、何本かの規則的な柱が林立する。軒並み天井を支え、そして令嬢の宮殿の中心を支える。この玉座から何かを見下ろす時に、父はどれ程居心地の悪い思いをしたのだろうか?
私はフーケの方を向く。彼は静かに頷き、土地の権利書と金の印籠を手に持った。
刻々と、その時が近づいていた。フーケは、大きくよく通る声で、開幕の合図をした。
「それでは、皆様、最終競売を行います。アンリ陛下、ガルシア卿、フアナ様の順番に、入札額を宣言してください」
「12万9000」
アンリ王は静かにそう答える。低いその声は、まるで何者かに最期を託すかのようであった。
ガルシア卿はそのまま暫く停止する。金貨の枚数を確かに信頼していいのかと、そう深く思案しているようであった。彼が視線を送る爪先には、埃一つない、厭味な革の輝きがあるばかりだ。
暫くすると、意を決した彼は頭を持ち上げた。吊り上がった眉には決意さえ感じられる。私は少しだけ前のめりになり、彼の言葉を待った。
「26万」
「26万!?」
フーケが思わず声を上げる。ガルシアは唾を飲み込み、上目遣いにフーケを見た。
私は咄嗟にフアナを見る。彼女は相変わらずすまし顔で、不気味なほどの余裕を見せていた。
どよめきなどないが、大きな一歩にフーケの心臓の高鳴りを感じる。同じほどの緊張感を持っていたのが、ガルシアだったであろう。アンリ王はガルシアを流し見ながら、不服そうに鼻を鳴らした。
ガルシアは胸に手を当てて呼吸を整えた。フーケは彼に何度も確認し、その度に、ガルシアは呼吸を整えて間違いありませんと答えた。
「そ、それでは……フアナ様、宜しくお願い致します」
フアナは静かに目を瞑り、暫く沈黙を守っていた。ガルシアの瞳孔が小さくなる。彼は最早立っていられない程の緊張感に支配されていた。
そして、彼女は目を開いた。
「ガルシア卿にお譲りします。残念ですが、このお金は素敵なお土産に回す事にしますわ」
ガルシアは前のめりになって、そのまま倒れてしまった。私達は慌てて彼を介抱する。フアナとアンリは昏倒した貴族を挟んで、互いに見つめ合う。
「……何か?」
「いいえ。きちんと、高貴なるものの責務を果たして下さるのかしらと思っただけですよ」
フアナはそう言うと、すたすたと宮殿を後にする。アンリは、ガルシアを寝室に運ぶ私達の後をゆっくりと追いかける。彼が歩くたびにふわりと持ち上がるマントの色は、赤だった。




