宴会3
香辛料、染料、金に銀……。かつて海上交易をほしいままに操った海洋都市国家は、カペル王国やエストーラに吸収され、今や制海権もアーカテニアに奪われた。どうあっても中間コストがかかる彼らの『交易』は、アーカテニアの飛び地や直接取引によって齎される安価な品々に徐々に淘汰されていった。その中で競争力を失っていった彼らは、しかし、不屈の精神と天秤とを以て、吸収された後も細々と生きながらえて居る。例えば、自治都市としての自由な風潮を武器とした、出版業や金融業、観光業などがそうだ。
その中の一つに、奴隷貿易がある。
乳母ビジネスを提案してからフーケが考えていた通り、ナルボヌは奴隷商人が自然と集まるようになる土地となる。定期的に奴隷を受け渡しに訪れた彼らが、この場所で交流し、必要な『商品』を交換できるとすれば……例えば非合法の取引業者が、安全に取引をするためにこの場所に奴隷を集め、合法の取引業者を経由して受け渡しを行う事が求められるとしたら……。もしナルボヌが、奴隷の仕入れ先と密接に関われるようになれたとすれば、奴隷商人達のネットワークは大いに広がる。この場所で奴隷を育てる事を起点として、好ましい奴隷を集められるならば、商人達はこの場所を一つの拠点に作り替えるだろう。この投資は、その為の投資である。
ジョルジュは私を甘く見ていた事を素直に認めたらしく、同時に、彼の表情がフーケと語らう時と同じものになっている。
「確かに、初期投資こそかかりますが、それが成功すればナルボヌには未来がある。しかし……どうやってそれを工面するつもりですか?私が助けてくれるとでも、仰るのですか?」
ジョルジュは私を試すように尋ねる。ここはなんであれ、弱気に出てはいけない。私は自信満々で頷く。
「勿論、助けてくれるはずよ。大赤字を黒字に転換したのだもの」
ジョルジュは首を振り、鼻を鳴らして笑う。
「では、今後は互いに稼げるという確信を持った時にだけ、ご提案くださいますように。陛下の件で、我々高利貸も心底辟易しておるのです」
ジョルジュは静かに立ち上がり、やや熱気で湿度が高まった会場を後にする。私が声をかけると、彼は思い出したように立ち止まり、私にだけ聞こえるように小さな声で呟いた。
「まぁ、その気合に免じて、株の買い取りのご提案は取り下げさせて頂きますよ、お先に失礼します」
聖職者もいよいよメッキが剥がれ、金歯を覗かせて笑うようになる。会場の湿度とは対照的に、荒涼な風の匂いを感じる私は奇妙な喪失感に手を伸ばしたまま固まっていた。
宴の後片付けを行うジュスタンと使用人たちは、静かに首を垂れる主人の姿を見て何を思っただろう。浮ついた雰囲気は既に過ぎ去り、搾り上げられた台拭きが机を滑る中、声にならない声を上げて机に突っ伏した私は、今後について、脳の容積を割けずにいた。
食器の擦れあう音や、忙しなく動き回る使用人達の背中に、かつての喧騒が再現されている。めっきり少なくなってしまった使用人も今は雑談をすることもなく、やや疲れた表情で皿を持ち上げ、テーブルクロスを取り、銀食器を洗う。フーケはこれらの賃借料を確認して記帳をしており、潤沢な前金の少なくない金額を(48ペアリス・リーブルの支払い)をごっそりと取られ、貧乏ゆすりをしている。貴族としての立ち振る舞いと言うのが、いかに無謀なものであったのかと、改めて
そわそわするフーケの後ろを使用人が通り過ぎる。ナルボヌ家の帳簿を見て驚愕したのか、一瞬表情が強張った。
まだ借金は殆ど返せていない。バナリテでの収入を丸ごと返済に充ててもなお、一桁どころか、億単位一つも削れていない。この状況で交渉をするということ自体が、無謀であったのだ、と改めて認識させられる。
「そう気を落とさないで。陛下でさえ借金を踏み倒すのですから」
私は咄嗟に身構えて振り返る。片づけをする人々を手で退かしながら、ジョルジュが私に近づいてきた。
「いつの間に来たの?ここにはもう、何も……」
「私は貴女を貴族としてみるのは些か好ましくないと感じました。ですが、ビジネスパートナーとしてなら……悪くないとも」
私の言葉に被せるようにして、彼は続ける。宴の席では見せなかった穏やかだが自信に満ちた表情を浮かべている。彼は静かに椅子を引き、私の隣の席着くと、右の人差し指を立て、左の人差し指で机を叩く。そのまま右の手を自分の耳に押し込むと、穿るようなしぐさを見せた。
「ですから、あまり堅苦しい言葉は使わず、かつ歪曲的でない、つまり率直な言葉で、貴女を誘ってみる事にしたのです」
「では、運河の件は……」
「それは受けかねる……、ただし、ちょっとだけ、耳よりの情報を得たのでね……」
ジョルジュはそう言うと、フーケを一瞥しながら机に肘をつけた。自信に満ちた表情が、口角を数ミリ持ち上げる。
「どうですか、ちょっと乗ってみる気は?」
彼はそう言って、安価な古いパピルス紙を、机の上で滑らせた。私はそれを静かに引き寄せる。
但し、まだそれを見る勇気はなかった。彼をビジネスパートナーとみて良いものか。フーケに視線を送るが、すっかり小さな数字に気を取られているフーケが気づく事もない。視線を戻すと、商売人特有の薄気味の悪い微笑に顔を歪ませながら、ジョルジュは再び続けた。
「実のところ……。私もこれをする為に大きな権威が欲しくて仕方ないのですよ。しかし、約束事を守る貴族はそうそういない。彼らにとって、私達高利貸は唯の罪人に過ぎないのでしょう。ですから、貴女を貴族として見ないで、試してみたいと思ったのですよ、マドモアゼル」
「試す……?そう、私が試されていたの……」
「いえ、勿論初めは面食らったのですがね。あれだけでは情報が不足していると言わざるをえませんが……貴女は大胆ではあるが少々走りすぎるきらいがある。手綱を握ってくれる人物が必要だったのでしょう。例えば……そう。フーケ様やギヨーム様のような。ですがいい傾向です。丁度泥濘に足を取られた荷車を引くには、強い牽引力を持つ動物が必要なように、ある危難を乗り越える為には、賭け引きをするだけの胆力が必要です。どうやら貴女はそれを持っているらしい」
彼は自身に満ちた表情のままだ。確かに、自分より専門の知識に勝る人物を甘く見ていたきらいがあるかもしれない。私は彼の言葉を多少信頼して、用紙を裏返した。それは、恐らく有名ではない希少金属の取引記録であった。数々の人物がこの金属を取引しているという事が、アビスの金物組合の取引記録の中から認められている。
「これはどういう事?フーケに見せてもいい?」
ジョルジュは手を出して許可のジェスチャーを送る。食堂は見る影もなく寂れてしまい、銀食器が磨かれる小気味の良い音が、奥の調理場から聞こえ始めていた。燭台も光を失い、戸惑うようで、テーブには木材の感触が裸出している。私は些細な数字にも思えるものに頭を悩ませているフーケに駆け寄り、袖口を引っ張った。
「ジョアンナ様、少々お待ちください。今……
フーケは眉間にしわを寄せ、無理に口角を持ち上げる。私は顔を覗き込み、
「ジョルジュが取引を持ち込んできた。一緒に話を聞いて頂戴」
「……失礼しました、直ぐに向かいます」
フーケは帳簿を仕舞い、蝋燭立てを持ち上げて、真剣な面持ちで立ち上がる。「今」の姿を取り戻した食堂を、ベーコンのような厚さの蝋燭が、細い炎を保ちながら月光のある位置まで近づいていった。




