拡大する世界
久々に畑に向かうと、過酷な共同作業が一通り終わりを迎えたのか、今度は水遊びをする子供と、狩り込んだ麦穂を干す人々とに分かれていた。真夏のうだるような暑さの中で、濠にもつながる水路を持つ川で気持ちよさそうに泳ぐ人々を眺めながら、事務所に続く行列を作る女房達に近づいた。
「おや、ジョアンナ様。お久しぶりで」
「えぇ……。随分凄い行列じゃない?」
私は目を細めて行列の先頭を追う。ずらりと並ぶぼさぼさ髪の向こうで、客と荷馬車とを忙しそうに往復する商人が硬貨と要望の波に晒されている。
「うちにも赤子が来てね。多少生活に余裕が出来たから、家具を新調しようと思ってね」
よっ、と赤子を抱きなおすと、彼女は穏やかに微笑んだ。
「そう。その子も大事な商品だから、貴女の体も大事にね」
「困っちゃうわ、本当」
そう言って寝息を立てる血の繋がらない子を、気だるげな垂れ目が愛しそうに見つめた。
子供は神の掌の上にある、と言うように、この時期の子供はころりと死んでしまう。悪魔や悪臭に晒されやすいのか、それとも神がそれを求めているのか、「子宝」が喜びに結び付くのは貴族だけで、彼女達にとっては無駄な食費が嵩むだけだと考えられている。
それなのにこの目は何だろうか?やはり実益があれば、見る目が変わるのか。私は指を吸う赤子の穏やかな表情を眺めながら、複雑な心境を抱いた。
「そう言えば、ジョアンナ様は狩りには行かないのかい?」
「狩り?お父様に連れられて行った時はあったけど、今は行く予定はないわね」
父は時折、私の我儘に付き合って狩りに連れて行ってくれた。私は鷹の執拗な追尾や、猟犬の激しい鳴き声には関心を示さなかったが、木々を揺らす兎や、栗鼠の類には強い関心を示した。
暑いこの時期、領民たちは家畜たちの食料となる乾草を作り始め、斜陽の中で黄金色がくすんでいく様を見つめ、次なる収穫の喜び、果物の収穫に向けて動き出す。
これらの営みは厳しい冬を越す為に重要なもので、それは貴族とて例外ではない。私達はこの夏の時期、次の大きな収入源である果物の徴収までの間を、訓練の一環として、そして良い肉を手に入れたり、剥製にして自慢げに飾る為に、狩りを行う事が多い。冬になると活発に動く動物がいなくなるし、道中にもより危険が伴う。良い鹿の角を手に入れたいのであれば、この時期は実に都合がいいというわけである。
父の手に止まる鷹の勇壮を見ながら、賑やかな歓談をする貴族達の手に止まる鷹が鳴くのを聞く。彼らは狩人の友人との退屈な行軍の間、毛繕いをして暇をつぶしていた。
そうした賑やかしさの中には鷹を片手に馬に跨る女性の姿も見えたが、下世話な歓談を聞きながら、幼いながらに、男の世界と言うものを垣間見る事が出来た。
懐かしい思い出を、強く心地よい風が攫って行く。我に返り、行列が一歩進んだのに従って前進する。一歩、一歩進むごとに余裕のない表情をした商人の姿が明確になってきた。
「商売人も大変ねぇ」
率直に、しみじみと思う。
「商人は金が稼げればそれでいいのよ、領主様。私達も散財しないようにしないと、直ぐに搾り取られてしまう」
彼女は冷ややかに言い放った。彼女の視線の鋭さに反して、件の商人は慌てながらも笑顔を崩さない。生きる為に必要な営みの幾つかを、汗を流す事の代わりに笑顔を売る事に切り替えたのだろう。
私は、その姿勢に奇妙な親近感を覚えた。
もう賑やかな鷹狩りの行列に参加することは無いだろう。しかし、日々の営みの中で、自分が「搾取する」事でしか生きられない事を思い知った私は、多少なりとも彼の立場に立つことが出来るようになった。
結婚相手はそう言う人でも問題ないかも知れない……。
ふと、そんな思いが脳裏をよぎる。忙しなく進む時間を、この場所では太陽の傾きだけが告げる。そこに、行列の切れ目と言うものが加わる。金が流れる事によって、この場所に新しい時間が流れ始めている。
「ねぇ、約束通り週市が出来たら、何を買うの?」
私は行列の暇潰しに、ほんの興味本位で訊ねてみた。彼女はかぶりを振る。
「いやぁ、旦那の収入が今のままで、雀の涙じゃあ、とても何も買えませんよ。今が特別なだけで」
「だったら、貴方達に飽きるほど使わせてあげないとね」
「領主様ぁ、御冗談を」
下世話な笑い声が高い青空に響く。白く、眩い太陽が、顔を焦がすほど熱を注いでいた。




