the company limited 3
馬車に揺れる時間は常に報告書との睨めっこであったが、その胸の高鳴りは大層なものであった。水城のナルボヌ城ではさらさらと流れる水流も、臓物を巡る血の巡りほどではない。音を立てて脈打つ心地よい興奮は、善良な「父君」の時につかえる幸福とは違った喜びであった。
がたつく車輪に身を跳ねながら、父君の頃に終始頭を下げ続けた人々のもとに向かう。彼らは金を食い荒らす猛獣であるが、今回ばかりは頭を下げないわけにもいかない。むしろ、猛獣であるがゆえに頭を下げる意義がある。
流水の流れに沿う獣道のような、踏み固められた草の道を踏む車輪の周回に従って、窓外の景色はゆっくりと小さな傾斜の分だけ変わっていく。
私は手元の麻袋に触れる。麻袋には金貨の代わりに証券が収められている。支払期限の近づいた債権は出来る限り全て支払ってしまう事、と言うのは、ヘンリー・ディ・ナルボヌ様からの指示でもあるし、現領主ジョアンナ様の意向でもある。私はそれに従うのみで、従ってきたからこそ、首の皮一枚繋がっているというのも事実である。
窓の向こうでは船頭たちが通行税として荷物を収めている。物々交換からの転換点にあるカペル王国ならではの光景となってしまったが、これらの徴税は、交換による賭け引きの楽しさを思い起こさせてくれる。道半ばで初めての通行人とすれ違う。そこでいったん道を逸れ、川沿いの道から内陸の道へと近づいていく。流水の音が遠ざかり、草原が禿げあがった道路に到達すると、あからさまに馬車の動きがスムーズになる。がたつきも減少し、傾斜による重力だけが深く腰掛ける全身に車両特有の平衡感覚の喪失を提供し始めた。
緩やかな傾斜の丘を幾度か上り下りし、徐々に人通りが多くなるにしたがって、私は日課となった記帳を終えて、交渉用の資料を手に取った。
契約書は丁寧に丸められ、説明用のメモ書きには何度も書き換えた跡がある。淡白な一本の線で消された言葉の幾つかは、リスクに関する些事や、膨大なメリットの中のほんの些細なものなどである。
メモと睨みあいを始めると、心音の音色が徐々に現実的な恐怖の色に変わっていくのが感じられた。乳母の事業化に関する提案などと言うものが、そうやすやすと受け入れられるのか、と言う不安である。
「フーケ様は、なんだか機嫌が良さそうですね?」
思わず面食らった私は、メモを見る目を止める。一瞬思考が停止し、顔を持ち上げると、ナルボヌ家付の専属運転手は前方を見たままで私に語り掛けている。ジョアンナ様と同じ衣服の裾を揺らす彼は、私の沈黙に不安になったのか、そのまま「失礼いたしました」と言葉を曇らせた。
「いや、構わないよ。しかし、些か興奮している節はあるね」
私は姿勢を崩して続ける。鞭を打ち、馬を嘶かせた彼は、口元で小さく微笑む。
「普段冷静であらせられるので、今日の表情は微細ながらよく伝わって参りましたよ。やはり、事業の立ち上げなどがお好きなのですか?」
「と、言うよりも、節制ばかりでなくなったことが少し楽しくなってきてね」
ヘンリー様は良き人であって、苦しいながら楽しい時間を過ごさせては貰ったが、今はそれ以上に心を躍らせる機会が多い。ジョアンナ様は借金の返済に執心しているようだが、私はどちらかと言えば収益の最大化に関心を抱いている。私はメモ帳を仕舞い、小さな窓から薫る草の匂いに視線を送った。
「正直なところ、ジョアンナ様には悪いが利用させてもらいたいところだ。彼女の行動原理は父君同様読みやすく、また私の関心事項に合っているのでね」
そう言うと、運転手はくすくすと枯れ気味の声で笑った。
「緊張が解れて来たようですね、いい傾向です」
草の香りが突然鬱陶しくなった。カーテンがふわりと持ち上がり、風の流れに思わず不愉快な布切れを手で押さえつけた。
「んむ……。あぁ、有難う」
仄かな熱に私自身戸惑いながら、彼に悟られないようにカーテンを留める仕草で誤魔化す。運転手は一つ鼻を鳴らすと、如何にも愛しそうに続けた。
「フーケ様はまだまだお若い。ジョアンナ様を永年支えられる程度には。彼女には至らぬところは御座いますが、父君の遺志を汲み、ご助力いただければ幸いです」
愛される偶像の経済効果について思いを馳せる事が、最近は増えたように思える。ジョアンナ・ドゥ・ナルボヌは半ば信仰の対象となりつつある。亡父の遺志を汲んだ彼らにとって、亡父と顔を突き合わせる限り、ジョアンナとは愛すべき偶像なのである。
彼らは奉仕によって偶像へと愛へ対する対価を支払う。私は何を以て彼女への報酬を要求するべきであろう?
天へ間延びした背の高い草たちが、風に力なく項垂れる。カーテンが膨らみ、車両は右へ振動した。
最後の丘を昇り切ると、地平線から馬車達が疎らに城壁の方へと進む様が見える。小高い山を中心にした山城の周縁部に中産都市が広がり、教会の鐘楼が天へ向けて突き出している。更にそれらを囲う城壁は山の周縁に合わせた楕円形に広がり、時折重力を考慮して外部に突き出した尖塔が、象の足の如くに伸びている。内側に反った壁のさらに外周に広がる農場は、ナルボヌのそれよりも遥かに広く、また、向かいから下る道の西方には鮮やかな紫の葡萄畑が広がっている。
「何、はじめからそのつもりさ。報酬は弾む事よりも、弾ませる事に意義があるからね」
私にとっての忠義とは、才能への評価に起因する。それに対する報酬と言えば迷いなく、成果を上げたという事実と、それに見合った腹心としての報酬である。これより向かうのは、ジョアンナ様がみるナルボヌの姿に霞む事になるだろう!そう、断言できることが、私の今の原動力である。




