老紳士の献身1
ジュスタンは私が約束の時間五分前に来るときに既に、私が望んだ女性たちを屋敷内から集めていた。
長い間この城で仕えていただけはあり、使用人たちの事情を熟知している彼は、比較的容易に、彼女たち全員を集める事が出来たようである。
事情が事情だけに、特別に広い会議室の木窓を閉ざして集めた彼女たちの表情は不安げで、中には神に祈りを捧げて来たものさえあった。
「集まってくれて有難う。貴女たちに稼げるビジネスに参加する意思があるかどうかを確認したくて、ここに集めました」
「ジョアンナ様、これだけ女ばかり集めて何をするおつもりですか?まさか水商売などと言わないで下さいよ?」
両手で祈りを捧げていた女性の発言に、一同がどよめく。
私は指を弾き、魔法で火種を作って燭台に火を灯す。考えてみれば、こんな仄暗い部屋に女ばかり集められて「稼げるビジネス」などと言って不安にならない方がおかしい。
彼女たちの心配をよそに、ジュスタンは蝋燭の火を別の燭台に移して回る。全員の顔が確認できるようになったところで、私は咳払いをして質問に答えた。
「貴方達は、いま、乳母になれるはず。私はこの場所で閑居を過ごすのではなく、その力を存分に発揮してほしいの」
「乳母……?乳母と言うと、あの乳母でしょうか?」
どよめきの色が恐怖から困惑に変わる。安物の蝋の焼ける嫌なにおいをさり気なく袖で覆う。
「あの、乳母よ」
男性にしかできない仕事があるように、女性にしかできない仕事が存在する。その一つが乳母であり、これは農民の娘達にとっても良い収入源となる。これを組織的に行う事が出来れば、私達にとっては二つの意味で都合がいい。
一つは、上流階級に需要のある乳母は、その家で住み込みで働く事になる。つまり、私達にとっては、一つの食い扶持が減るという事だ。また、彼らは羽振りがいい(と言うのが貴族の威信にかかわる)ので、私が直接給金を支払わずとも、彼女たちは比較的楽に生活が出来る。
今一つは、これを広く応用できる可能性だ。事業として乳母を立ち上げるには、出産した女性を一定数集められる必要がある。上流階級へ向けたサービスとしては現在の彼女達に委ねるしかないが、将来的に見れば、領民たちの一部をいわば養育費を支払って公共事業のような形で利用し、下級階級の需要を満たすビジネスが出来る余地がある。そして、これを行う為に、主要な土地からナルボヌへ向かう需要が現れてくれば、ナルボヌへの道が自然と整ってくる。そこに僅かばかりの支援金でも出せば、私達の協力に感謝する者も現れるかもしれない。
勿論、問題がないではない。乳母と言う仕事は、常に出産と言う不安定な要因に基づいて成立する職業である。母乳の出る時期が限定されているためだ。それを補う為に領民たちを巻き込んだ巨大な「国家事業」にするとなると、フーケに辣腕を振るってもらう必要がある。
「勿論、ナルボヌ家より給金の安くなる仕事をさせる気はないわ。まぁ、私達よりも吝嗇家な貴族もそうはいないでしょうけれど」
「でも、ジョアンナ様?私達がいなくなるとなると、その……ジョアンナ様の着付けなどはどうされるのですか?」
私は両手を広げて微笑む。着脱のしやすい使用人服を着たままの私を見て、それでも着付けが必要とあれば、ひとりばかり残ってもらう必要があるだろう。
「……いる?」
一同が押し黙った。もしかしたら、そこに一種の圧力を感じたかもしれない。それで同意してくれるならば安いものだが。
オレンジ色が整然と並ぶ机上に、不安げな彼女たちの表情が浮かぶ。潤んだ瞳が炎を反射し、下げられた眉尻、眉間の皺の彫がいっそう強調される。ふくよかな者、痩せて美しい者、そうでない者それぞれが、これから乳母をさせられるかもしれない、家族と引き離されるかもしれないという思いに自然と手を合わせた。
ジュスタンはすまし顔で彼女たちの背後に立つ。壁際に浮かぶ老紳士の影が長く、長く伸びる。さながら地下の拷問部屋のような、足元に苔生した壁に複数の頭が映ると、震えや、困惑や、そうした全てが悲壮さを想起させる。
暫くの沈黙の後、私は改めて彼女達に回答を催促した。木窓に伸びる私の影に向けて、悍ましい視線が向けられる。足並みを揃えてこの場を逃れようとする彼女達の肩に、老紳士の長い手が伸びる。
「貴族と言うものは見栄の塊です。貴方達を無下にする様な卑賎な輩と思われることを望みません。寧ろそうした事に躊躇しないのは……。いえ、失礼」
ジュスタンは私を一瞥する。彼なりに、やり方に思う所があるのかもしれない。
「ジュスタン様が仰るならば、そうなのでしょう。私はジュスタン様を信頼します」
一人がそう言うと、雪崩のように次々と手を挙げる者が現れる。ジュスタンは私と目が合うと、片目を閉ざして、口角を持ち上げてみせた。
恐怖に勝る恐怖で煽る老紳士らしい狡猾さだったのかもしれない。思わず寒気がした。
「……有難う。本格的に事業になるかどうかは、フーケにかかっているわ。もしも後から怖くなったら、彼に聞いて頂戴」
私は立ち上がり、木窓を開いた。むわりと、生温い風が吹き込んでくる。蝋燭の悪臭が出口を求めて窓へと抜けようと足掻くが、吹き込む風はそれらを押し返そうとして逃さない。
ジュスタンは音もなく扉の前に現れると、それを開放した。暗闇に満たされた石の壁が妙に明るく思え、使用人達は一目散にこの場所から逃れていった。
ジュスタンが、静寂に満たされた広い会議室の、乱れた椅子を整える。何事もなかったかのように一ミリのずれも許さない丁寧な仕事ぶりを見せる。
大きな木窓の風にあたりながら、濛々と立ちこめるオレンジ色の異臭を鼻から吸い込む。馬糞の臭いよりはいくらか質の良い、脂ぎった異臭が一つずつ蝋燭消しで覆われていく。その度に消えるにおいのもとが、ジュスタンの強調された彫を少しずつ不鮮明にさせていく。
「ジュスタン、ありがとうね」
「お嬢様の仰せのままに」
「お嬢様はやめて。貴方にはまだ暫く世話を掛けそうね」
私は木窓の桟に両手を埋めるようにしながら、顔を持ち上げた。令嬢の宮殿にも負けない、満天の星空が覗かれる。このまま飛び込んでしまえばどれ程美しいものが見られるだろうか。
「失礼いたしました。しかし、私には宮中の人々に働きかける事しか出来ません。ジョアンナ様のご英断にこそ、ナルボヌ家の未来が掛っているのです」
「……そうだと良いのだけどね」
満天の星空は私を責め立てる無数の瞳のようにも思われた。父の血をここで終わらせる事しか出来ないのならば、幾度も手紙を寄越す悪辣な男達に身を委ねるのも悪くないのかもしれないし、そうすれば、私はもっと早くに、拠出金もなく、幸福になれるかもしれなかった。
「過去の行いを悔やみ、未来の自分に怯える必要はございません。この家の者はお嬢様……ジョアンナ様のご意思に従うまでです。父君の遺志を汲むのも、幸福に身を委ねるのも、皆後悔なく行われたい。これは老人の助言ですよ」
ジュスタンはそう言って自嘲気味に笑う。「出過ぎたことを言いました」と、沈黙を恐れるように彼が言う。机上に煌めく蝋燭消しの装飾が、一つ一つ色を失っていく。私は変わらず輝く空を眺めたまま、「有難う」と短く呟いた。




