竣工1
ヴィタールからの手紙を受けた翌日、私は朝の凍てつく空気の為に目を覚ました。ベッドから起き上がると同時に身震いをする。朝靄で満ちた窓の向こうは判然としないが、白い息が抜けていくのが見て取れた。
体を冷気に慣らす為にベッドの上で軽く伸びや運動をして、床に足をつける。団栗を豚に食べさせる人の群れも随分と落ち着き、森はより茶色く、若々しさを失っているようだ。
徐々に年末の忙しなさが近づいてくるを肌で感じるようになった。川が所々に氷を浮かべるようになるのも時間の問題かもしれない。
暖炉に視線を送ると、静まり返った大きな口の隣に、鉄の火ばさみと共に、積み上げられた薪が置かれていた。
「もうそんな季節か……」
誰もいない部屋でポツリと呟き、長い髪を後ろで結ぶ。昨今社交界では非常に長く伸ばした髪を上げるのが流行のようだが、作業のしやすいように結んであれば、態々頭の上にカールを付けたり、重く苦しい思いをしなくても済む。使用人用の動きやすい服を着て、やや厚手の上着を羽織り、細かなところを整える。身だしなみと言うには簡素が過ぎるが、私も手慣れたものだ、と妙に感心した。
今朝の凍てつく空気に再度身震いして、薪を手に取る。簡単な火起こしの魔法で薪に火を灯し、それを暖炉の中に放った。その上に重ねるようにしながら幾つかの薪を置き、冷え切った手をこすり合わせて暖炉の前に屈みこむ。
「ジョアンナ様、ご報告です」
「珍しい、タンクレードね。入りなさい」
服を重ね着しすぎて太ったようにも見えるタンクレードが扉を開ける。暖炉の前でくつろいでいた私を認めて、慌てて跪いて視線を合わせてきた。
「川が開通しました。下見に行ってみては如何でしょうか」
「……早いのね。流石はプロアニアの技術力と言ったところかしら」
この寒いのに……と、弱音を吐きたい気持ちを抑える。冬が深まっていけば、もっと運河の視察には行きづらくなるだろう。
「すぐに向かいましょう。ダンドロ商会がいくつ関所を作ったかも気になるしね」
ナルボヌ城へ続く川の道の中に、こちらもそろそろ幾つか関所を建てるべきかもしれない。その下見も兼ねて、川沿いの道を歩くのは良い機会だろう。
私は外出用の厚手の上衣に着替えなおす。顔を洗い、護衛二人を連れて、城を出た。
ナルボヌの小川は流氷の様に氷の玉をいくつか浮かべ、この寒さでは領民の子も外で遊ぶ様子もない。森に向けて目を細めても、豚を引き連れて団栗を落とす領民が数名いるだけだ。その上、彼らも早く帰りたそうに身を震わせている。
年末の支度もそろそろ始まる。この時期に教会に赴く前に、金の話を進めるというのも如何なものなのだろうか。体が二つ欲しい。
「ジョアンナ様、船をご用意しました。どうぞ」
「有難う」
跳ね橋のすぐ近くにある船着き場へ向かう。船着き場と言っても、短く細い桟と杭が突き出しただけの簡素なものだ。もっとも、この程度でも、ナルボヌの末端まで続く辺鄙な道を巡回するのには役立つ。
タンクレードに手を委ねる。簡素な木製の船には松脂が塗られており、ほのかに光沢を湛えている。
乗船すると、軽く船が揺れた。ゆっくりと低姿勢になり腰を下ろし、タンクレードから膝掛を受け取る。それは気休め程度の薄いもので、防寒具の少ない初めての冬が到来すると思うと、どうにも不安が拭えない。はやいうちに視察に行くのは、やはりいい選択肢だったかもしれない。
「出してちょうだい」
そう言うと、ゆっくりと船が離陸する。船頭が立ちあがり、櫂を水面に押し当てる。水面が波紋を作り、船の穏やかな揺らぎに合わせて、水上を薄く、浅く、広がっていく。船は波紋だけをそこに残し、ゆっくりと、川を下っていった。
やがてグスタヴォの務める水車小屋が見え始める。グスタヴォはこの時期は手持ち無沙汰な様子で、水車小屋の前で釣り糸を垂らし、片手間に編み物などをしている。
「川沿いの水車小屋は幾つだったかしら」
「この川沿いであれば4つです。その他は集落ごとに幾つか御座いますが、全て支流となります」
「水車小屋に関所を併設すれば、無駄も無いし、バナリテの管理もしやすいわね」
船がどうしても減速して通らなければならない水車小屋の存在は、ある意味では有り難い。内海へと抜ける航路となる以上、流通を妙な形で堰き止めるのも憚られるから、水車小屋の対岸に徴税吏を置くのが妥当だろう。タンクレードも静かに頷き、手帳代わりの書蝋板に枝を突き立てた。
「関所が4つ設けられるとなると、あまり高額で徴税してしまうのも問題よね」
「私達は潤うかと存じますが」
「別に利用者のために言っているわけじゃないわ。利用者を増やす為に言っているのよ」
少なくとも、向こう数年は、主要都市を擁する従来の行路より栄える事は難しいに違いない。少しでも利用者を増やすようにと考えるならば、関税は少ない方がいい。流通が安定し、物価そのものがある程度上昇した後で引き上げればよいのだ。
「それに、今は量をとっても大した稼ぎになりそうもないしね」
単純に贅沢品が沢山輸入される、と言う事は少ないと考えられる。アビスは宗教都市なうえ、その間にあるのはナルボヌであり、ナルボヌでは嗜好品よりも生活必需品の方が良く売れる。高額の商品を徴収する場合と違い、安価な商品の輸入ではあまり徴集量が増えても対応できない。アグルダインの一件で、持てば持つほど富となるという思想は捨て去るべきだという事を学ばせてもらった。重要なのは流通量を支配する事で、必要な時に門を狭めるのも間違っている。
「ジョアンナ様も、随分と逞しくなられましたな……」
「え、逞し……?何?」
ここ一年で随分痩せたと思ったが……。
「あぁ、いえ、そう言う意味ではありません」
二の腕を気にする私を、タンクレードは慌ててフォローする。船頭が少し吹きだしたが、今回は見逃す事にした。
草むらや幾つかの水車小屋を通り過ぎ、時折遠目に畑の様子を眺めながら、船旅は続く。川幅の狭さがやや気になるところだが、今は一先ず小規模の商船でも通る事が出来れば上々だろう。
「船底が擦れるようならと思ったけど、案外深くて安心したわ」
「思いのほか快適で私も驚いております」
二人は白い息を吐きながら、思いのほか快適な船旅に改めて驚きを述べた。冬に入り掛けの空気も相まって、やや体温は厳しいが、そもそもウネッザは冬の時期には大時化を避けて内海へ出ないから、少なくとも航路の実用は冬過ぎになるのだろう。冬の間は地面がぬかるむので工事も難しいが、水車小屋を宿泊施設として利用できるならばその間に簡易的な関所を作ってしまってもいいかもしれない。
「春までに、水車小屋のうち一つには、関所を作っておきたいわね」
「近隣に宿泊用の設備もあると良いですね」
「それはおいおいで良いわ。一応川下り自体は一日で済みそうだし」
「朝から一日ですから、二番目の水車小屋の関所を作るついでに併設してしまう事をお勧めいたします」
「お金はナルボヌにも一部入るようにして頂戴」
「勿論」
川下りを続け、夕刻辺りになると、いよいよ内海への出口、つまり切削工事を終えた水路が一望できるようになった。
私はタンクレードの助けを借りて立ち上がる。膝掛を肩の上から掛け、潮風に身を震わせるのを避けた。
風が海のにおいを運んでくる。彼方にウネッザの島々が見える。手を伸ばせば指先で隠れてしまいそうに微かな土地だが、そこにはナルボヌをはるかに凌ぐ黄金と飽食に満たされているに違いなかった。
「タンクレード、水車小屋一帯の開発は一任するわ。ダンドロ商会に少し感謝の寄付をして戻りましょう」
船頭が船を陸に寄せる。建設途中のダンドロ商会の関所に向けて、上品な使用人が立つ船は近づいていく。肌寒く、ざらざらとした風に当てられた体が震える。やはり、宿泊設備は何処かに設けるべきだろう。




