硝石の製造
今回のテーマは硝石です。
硝石は硝酸カリウム(KNO3)の鉱物です。
チリ硝石(硝酸ナトリウム、NaNO3)や硝酸カルシウム(CaNO3)も同様の用途に利用されてきました。
1900年代初頭まで硝石は肥料や爆薬の原料として幅を利かせていました。
水溶性のため鉱床は乾燥地帯に偏在していました。そのため所有権を巡って戦争が起こるほどでした。
現代の石油と同じですね。
硝石の枯渇とそれに伴う肥料不足と食糧危機の可能性が叫ばれる中、空中窒素固定法が盛んに研究されました。
その成果として、1913年ドイツのBASF社によってアンモニア合成プラントが正式に稼働を開始しました。
アンモニアさえできてしまえば、肥料も爆薬も容易に造れます。
空気と水素からアンモニアを大量合成する技術は、20世紀で最も人類に影響を与えた化学の発明ではないでしょうか。
無機化学贔屓の私にはそう思えて仕方ありません。
このプラントの工業的成功には、反応が進行する触媒をフリッツ・ハーバーが見つけて可能性を提示したことはもちろんですが、高圧反応装置を開発したカール・ボッシュの功績が大きいです。
ハーバー・ボッシュ法は窒素と水素を200気圧以上の高圧で反応させます。
窒素は空気から、水素は石炭から得ていました。
水素の製造、これだけなら中学生でも思いついてできても不思議ではありません。
しかし200気圧の水素、どうやって製造しますか?
どうやってこれを容器に封入しますか?
しかもそこに500℃という温度をかけます。
漏れれば一瞬で爆発です。危ないったらありゃしない。
ちなみに水素を500℃程度の金属容器に入れると、金属によっては容器に穴が空かずとも少しずつ漏れ出します。
金属の原子の隙間をぬって水素原子が移動し、外に漏れ出てしまうのです。
そして水素が金属の中に入り込むことで金属はもろくなります。脆化と呼ばれる現象です。
実際ハーバーボッシュ法の研究開発においても日々容器が破損しており、1 kgのアンモニアを試験的に合成するまでに1 kgの鉄鋼がスクラップされていったといいます。
ノーベル賞級の人物が複数人で何年もかけてやっと開発した技術ですから、当然異世界で素人が再現できるはずがありません。
技術チートで違和感が出る部分はここなのです。
はい、じゃああなたやってみてください。この観点が抜け落ちています。
現実世界で自分がやるとしたらどうするのか。これを念頭に置いて欲しいのです。
高等な技術を採用する場合、特殊能力でそういった困難な点を克服する必要があります。
そう、逆に言えば、魔法でうまいことこの部分誤魔化すことができれば問題ありません。
ここが一番大事だと思います。
そういうわけで、魔法に頼らずとも知識だけの頭でっかち素人ができそうな古い硝石の製造方法をたどってみます。
ここで紹介したいのは、古土法、培養法、硝石丘法の三種です。
まず、江戸時代の日本で一般的だった古土法は効率が最も悪い方法ですが、それゆえ猿でもできます。
雨が直接当たらない床下の土を水と混ぜて濾過し、濾液を煮沸すれば終わりです。
しかしこれでは土の再生に数十年を必要とするため大量生産できません。
そこで、日本で大量生産を可能にしていた培養法です。
この方法は五箇山と白川郷のみに軍事機密として戦国時代末期から伝わっており、加賀藩の特産品でもありました。
誰がどうやって始めたのか、その技術はどこから来たのか、これらがはっきりしていないというところが培養法の魅力かもしれません。
創作の手が入り放題です。ストーリーが頭に浮かんできます。
火薬の需要が高まる戦国時代の五箇山に転生したくなってきました。
さて、その培養法の手順は以下のとおりです。
1)家の床下の囲炉裏周辺にすり鉢型の穴を開けます。
2)底にヒエ殻を敷きます。
3)乾燥した上田土、麻畑土と蚕の糞を混ぜた土を乗せます。
4)サク、ヨモギの蒸し草、乾燥したものを上に敷きます。
5)3と4を何層にも繰り返します。
6)一年後、8月中旬に土を掘り出し、一番底の3の土を残して鍬で混ぜ、蚕の糞を混ぜ込みます。
7)4と5を再度行います。
8)二年後より春はヒエ殻、タバコ殻、そば殻、夏は蚕糞、秋はサク、ヨモギを4と5のように行います。
9)五年目に土を取り出し、水に浸出させます。
猿でもできる古土法とは違い、手順には科学的な意味があります。
まず、土の中で起きる化学反応を整理します。
動物の糞には有機窒素化合物が含まれています。
当然化学物質としては始めアンモニアではありません。NとCとHなどからなる有機化合物です。
まずこれらがアンモニア化成菌によってアンモニア態窒素(アンモニウム塩)まで分解されます。
元の化合物の種類も一つではないので化学式は省略します。
アンモニア態窒素はアンモニア酸化菌によって亜硝酸塩まで酸化されます。
アンモニア態窒素は通常アンモニウム塩として存在しているので、便宜的に炭酸水素アンモニウムとしました。
NH4HCO3 + O2 + 2 H+ + 2 e- → NH2OH + 2 H2O + CO2
NH2OH + H2O → HNO2 + 4 H+ + 4 e-
通常亜硝酸として存在することはなく、土壌中では金属塩を形成しています。
対イオンは土壌中に多く存在するカルシウム、ナトリウム、カリウムが候補になります。
結論から言えばカルシウムが対イオンになるのですが、この理由は文献ではなく私の考察によります。
特に雨の多い日本において水に非常に溶けにくい炭酸カルシウムは、溶けやすいナトリウムやカリウムの塩よりも流動性が低く、土壌に残りやすいと考えられます。
そのため土壌には炭酸カルシウムが残留しますが、これは酸には容易に溶解します。
そのため硝酸塩の存在する酸性土壌中では徐々に硝酸カルシウムを形成するのではないでしょうか。
鍾乳洞は炭酸カルシウムでできていますが、その溶けにくい性質故に雨や地下水中への溶解と析出を万年単位で繰り返してあのような形を形成します。
この形成過程を考えればカルシウムの溶けにくさは想像に難くないと思います。
ただ岩石(砂)の中にはただの水には溶けにくい複合酸化物の形でナトリウム、マグネシウム、カリウムも多量に存在しています。
これらの金属は対イオンに成り得ないのでしょうか。
これら岩石の多くはシリコンやアルミニウムとの複合酸化物ですが、シリコンやアルミニウムの単独の酸化物は酸にとても強く溶け出しません。
複合酸化物もこの性質を持っているために、カルシウムだけが土壌中にイオンとして存在できるのかもしれません。
以上が私の妄想ですが、詳しい方が居ればご教授いただきたいと思います。
CaCO3 + 2 HNO2 → Ca(NO2)2 + H2O + CO2
更に亜硝酸酸化菌によって硝酸塩まで酸化されます。
Ca(NO2)2 + 2 H2O → Ca(NO3)2 + 4 H+ + 4 e-
結果アンモニア態窒素は硝酸塩まで酸化されるわけですが、これらの式を全てまとめると以下のようになります。
2 NH4HCO3 + CaCO3 + 4 O2 → Ca(NO3)2 + 4 H2O + 2 CO2
以上が土の中で起きている反応の概要です。
続いて培養法における操作の科学的意味について記します。
これらの細菌は窒素化合物を酸素で燃焼して生命維持のエネルギーを補給しています。
人間の呼吸、つまり炭水化物(炭化水素)を酸素で燃焼してエネルギーを補給しているのと同様です。
つまりこれらの生物にも呼吸のための酸素は必須です。
それを可能にしているのが、干し草の利用と春と秋の掘り返しなのです。
隙間を作って定期的に空気を送り込む仕掛けです。
また乾いた蚕の糞を使用している点は、糞の内部まで十分空気を供給するため、そして囲炉裏の近くに設置している点は、温度を上げることで反応速度を上げつつ過湿を防ぐためです。
もし人や家畜の糞を使用すれば、糞の大きさから乾燥を内部まで行うのが困難(非効率?)です。
これを仕込んでしまうと糞内部への空気の供給が不十分となり、収量の低下を引き起こします。
細菌が酸素の代わりに硝酸の酸素で呼吸してしまうのです。
Ca(NO3)2 + 4 H+ + 4 e- → Ca(NO2)2 + 2 H2O
Ca(NO2)2 + CO2 + 6 H+ + 6 e- → CaCO3 + 3 H2O + N2↑
このようにいくつもの工夫が培養法を支えています。
最後に硝石丘法です。
1)草を切り刻み乾かします。
2)これを硝石小屋で黒土と腐った水をかけます。
3)更に腐敗尿と糞堆由来の汚汁を注ぎ放置します。
4)二ヶ月後、この硝石丘を鋤で返し、よく混ぜてから腐敗尿と糞堆由来の汚汁を注ぎ風に晒します。
5)4を繰り返し、土丘を湿潤に保ち放置します。
6)五年後、硝石丘の表面の土を削り取り、硝石の抽出を行います。
注意点は風通しを良くすることと、雨に曝さないことです。
冬季低温の地域ではバクテリアの反応も鈍く収量の低下は避けられません。
ヨーロッパではこれがメインでしたが、使う量が日本と桁違いであったため、硝石を輸入していました。
古土法、培養法、硝石丘法、いずれの方法でも回収されるのは硝酸カルシウムなので、もし陽イオンを変えたければ硝酸カルシウム水溶液にアルカリ金属の炭酸塩を加えます。
Ca(NO3)2 + 2 K2CO3 → CaCO3↓ + 2 KNO3
固体として得る場合は硝酸カリウムが性質上好都合でした。温度による溶解度差が大きく結晶化が容易なためです。
そのため最終製品は硝酸カリウムが常でした。
培養法は江戸時代300年の間、五箇山の七十ヶ村の民家で行われ、多いときに年37500 kgの硝酸カリウムを出荷していました。
地域ごとに培養法と硝石丘法を使い分けるのが最適でしょう。
この違いをうまく異世界モノの駆け引きに使えないでしょうか。
糞尿が堆肥や爆薬の原料になるのは、少し調べた人や知識がある人なら分かると思います。
しかし培養法で用いるのは乾燥糞、硝石丘法で用いるのは湿潤した糞尿というような違いがあります。
当然それぞれの方法に適した原料であるわけです。
例えば培養法に乾燥しきれていない糞を導入すれば収量が下がります。
ただ収量がゼロになるわけではありません。
この中途半端さ、うまく使えないでしょうか。
・培養法の原料に家畜の糞を使うように仕向けて相手の戦闘能力を下げる。
・寒冷地の相手に硝石丘法を教えて戦闘能力を制御する。
・人糞から火薬や肥料を作れることを庶民に教えて人糞を神格化する。
・糞を爆薬原料として使うことを知らない世界に村人として転生した人間が、急にみんなのうんちを買い取って数年間耕し続けて爆薬を作り出して成り上がる。
このようにしっかりした歴史モノからコメディーモノまで、「うんち」もとい硝石は誰をも魅了できる万能アイテムだと私は確信しています。
次回は硝酸カルシウムから硝酸カリウムへの交換反応で突如現れた炭酸カリウムを始めとするアルカリの製造方法です。
参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/硝石
https://ja.wikipedia.org/wiki/硝化作用
https://sakiura.jp/?page_id=427
板垣英治, 2002a: 加賀藩の火薬 1. 塩硝及び硫黄の生産. 日本海域研究, 33, 111-128.
板垣英治「五箇山の塩硝」(1998) 金沢大学大学教育開放センター紀要, 18, 31-41.
https://school.gifu-net.ed.jp/ena-hs/ssh/H26ssh/sc2/21433.pdf
https://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/27/Sc27-2.pdf
http://webpark1495.sakura.ne.jp/paper/img/201306.pdf




