彼だけの世界
その少年にとって世界とは不可思議なことこの上ないものだった。
彼にとっての世界とは、閉鎖され孤立した、とても狭い世界だった。
その広さは、約四畳といったところだろうか。
そこに存在する自分だけの世界が、彼の世界。
それでも、そこは不可思議なことこの上ないものだった。
毎日、世界は変化を見せる。
ごくごくわずかに、少しずつ、少しずつ。
それでも彼にとっては確かな変化だ。
彼はその変化を見るのが好きだった。
世界の外にある、多すぎる変化よりも、この小さな世界にある少しの変化を愛していた。
けれど、世界は変えられてしまった。
彼の世界は唐突に壊された。
彼は自分の世界を守ろうと抵抗した。
暴れて、抗おうともがいた。
けれど、所詮は子供だった。
外の世界から訪れた『大人』という化け物には太刀打ち出来ない。
力も体格も、何もかも、あちらのほうが上回っているのだから。
彼は大人によって、世界から引きずり出された。
引きずり出され、外の世界に連れていかれた彼には、苦痛しかなかった。
あの小さな世界が恋しかった。
あの世界こそが自分のいるべき居場所だったのに、それは壊されて、もうどこにも存在しない。
彼はとてもむなしい気持ちになった。悲しい気持ちになった。
けれど彼は泣かなかった。
泣くということを知らなかったからだ。
彼を世界から引きずり出した大人は、彼に多くのことを尋ねた。
けれど、尋ねられたことのほとんどを彼は理解することが出来なかった。
何せ彼にとってはあの小さな世界こそが全てだったのだから。
それ以外は何も知らなかったのだから。
いつからあの世界にいたのかすらも、彼は覚えていないのだから。
大人たちは彼の反応に哀れみのこもったまなざしを向けた。
彼にはそのまなざしを向けられた意味は分からなかった。
ただ、哀れに思われていることだけは理解した。
彼は思った。
あぁそうだとも。自分は哀れだろう、と。
自分の世界から引き離されたのだから、さぞかし哀れだろう、と。
自分の世界から引き離された彼はそのまま、自分の世界に戻ることは出来なかった。
大人たちは彼を、子供のたくさんいる場所へ連れて行った。
どの子供も、彼に見向きもしなかった。
大人たちが子供たちに言った。
新しいお友達を連れてきたよ、と。
大人たちのいう新しいお友達というのは、当然彼のことだ。
彼は訳が分からないまま、その子供のたくさんいる場所に置いて行かれた。
大人たちはまたね、と彼に手を振った。彼は振り返さなかった。
大人たちがいなくなると、子供たちが少しずつ、少しずつ、彼に話しかけるようになった。
どこから来たの。
どうしてここに来たの。
そんな質問ばかり。
彼は答えなかった。答える必要はないと思った。
答えない彼に、子供たちは機嫌を悪くしたようだった。
あっという間に彼は孤立した。
子供たちのなかで孤立したまま、数日が過ぎた。
そのころには、彼はその子供たちのたくさんいる場所で、また彼だけの小さな世界を作っていた。
それを見て、子供たちの世話をしている大人が、彼の世界を壊して、無理矢理他の子どもたちと遊ばせようとした。
彼は抵抗したが、やはり大人の力には勝てなかった。
子供たちは大人のいう通りにしない彼を遠巻きに見ていた。
彼はもうすでにこの場所で孤立した存在だった。
たとえどれだけ大人たちが子供同士関わらせようとしても、彼は決して他の子どもたちと関わろうとはしなかった。
次第に世話役の大人たちは諦めて、彼に関わらなくなった。
彼はまた自分の世界を手に入れた。
そしてそのまま、自分の世界から出てくることはなかったそうだ。
何せ、彼にとっては外の世界は、絶望しかない世界だったからだ。
自分の世界にこもることは、彼が彼を守るための手段だったからだ。
彼は自分の世界に籠ることで守られて、そのまま、幸せに暮らしたのだ。
誰にも理解できない、彼だけにしか理解できない、彼の世界で、幸せに。