魔法と魔術
設定に齟齬が出たので、一部改変しています。
まあ大したことではありません。
イストランド郡イストカレッジにおいて、シャレットは過去にない多忙な日々を送っていた。
様々な要因はあるのだが、一番の原因はゼンの不在にある。元よりシャレットの代官業を代行していたのはゼン。そのゼンが不在なのだから、当然シャレットは代官として職務を果たす必要がある。
もう一つの原因も、これまたゼンの手による点が大きい。農業の分野に革命を起こしたイストランド郡は、以前から急激に生産力が増してきたのだが、更なる追い風がやってきた。
カルローゼ王国の他領・及びアルバリシア帝国からの移民数が、ここ半年ほどで倍増しているのだ。
これも当然というべきか、ゼン絡みの話である。
アルバリシア帝国の元第一席は処刑され、現在第一席は空白。カルローゼ王国の継承権第一位は片腕を失うという、次世代トップとしてあまりにも不安な状態。
更に言うなれば、帝国の後継者最有力候補フランは行方不明。王国は王族でも人気のあったリリーナが行方不明。そしてそれを守護しているというのがゼン・カノーだという。
そうなると両国の先行きに不安を持つ住民が多数出てくるもので、何やら独立気配があり、絶対的守護者である2人のSSクラス冒険者の存在。そして単身厄災級を退け、圧倒したというネリーという絶対強者がいる、フィナール領に注目が行くのは当然の帰結といえる。
その結果どうなるか。
答えはフィナール領の人口が爆発的に増え、更にゼンの置き土産である生産技術が、フィナール領の7割以上に広まった。もはや中堅国程度の人口を誇り、自給率も8割を超える、ただの地方領としては大きすぎる力を持つようになった。
そんな中多忙を極めているのが、フィナール領中心地となったイストランド郡代官シャレットであり、フィナール領主ギースである。
そしてもう1人、多忙を極めるどころか、過労死寸前の女性が1人。
「もう無理ですー、しんでしまいますー」
「鍛え方が足りませんね。ゼン様がいなければ何も出来ないのですか?」
そう、ユーリである。元々イストランド郡の執行官として就任した彼女だが、今はフィナール領の筆頭執行官も兼ねている。
そんな彼女に辛辣な言葉をかけるのは、誰であろうネリーだったりする。
3ヶ月ほど前から、ネリー以外にゼンの【思考対話】は届かなくなってしまった。だが、ネリーは正確にフィナール領及びイストランド郡の現状を把握し、ゼンに報告しては指示を受けている。
それをユーリに伝えるのがネリーの役割であり、彼女以外にそれが出来る人物はいない。
ゼンの指示はかなり的確なのだが、細かい部分まで指示することはない。
要するに、細かい部分は自分達で詰めろと言っているのだ。「そもそも現場を見てないのに細かい指示なんて出来るか」というのがゼンの談である。
「ゼン君の方針が間違いないのは確かなんだけどー」
「当然です。ゼン様の指示に間違いなどありようもないでしょう。後は貴女達の仕事です」
「ネリーちゃんも手伝ってくれれば……」
「多少は手伝っているでしょう?私は統治については素人です。細かいところまでは分かりません」
事実ネリーは、ゼンから学んだ職業系スキルや採集系スキルを活かして、移民に仕事を教えている。
ただし、政策についてはゼンから伝聞する程度に留めている。これにはネリーなりの理由がある。従者は主の意向通りにするべきであり、己は武人であるというスタンスは基本的に崩さない。
これはゼンも少なからず同意している点である。餅は餅屋、政事に武人は口出しすべきではないと少なからず思っているところだ。
ついでに言えば、ゾークとともに冒険者や兵士希望の訓練を担当しているのも、ネリーだったりする。
「ギース殿、そろそろ文官も武官も増やさないと、回らないわよ。ってゼンが言ってたらしいわ」
「それは分かっておるが……あまりいい方策が思いつかん」
ユーリは過労死寸前。ギースも経験不足の部下のため四苦八苦している中で、多忙さにキレかけていたシャレット。
温厚な性格はしているものの、元々冒険者のシャレットからすれば、これほど事務仕事を行うのは苦痛なのだ。
元からいる住民に対してはそれなりに愛着も沸いて来たものの、移民してきたばかりの住民の陳情などを受けるのは、それはもうストレスがマッハだったりする。
ただし、シャレットが代官になってからはもう数年が経つ。それなりに経験も積んで来たこともあり、ゼンのせいで代官としての知名度も異常なほど高まっている。
ゾークはSSクラスの冒険者として有名だが、シャレットはそれ以上に「名代官」としても有名だったりする。そんなものになったつもりはないのだが。
「いっそのこと、代官をやめたいのだけれど」
「後生だから今は残ってくれ、頼む」
イストランド郡が中心である以上、フィナール領のトップは、実質シャレットになりつつある。
無論領主はギースなのだが、ギースには手駒があまりにも薄すぎる。兼任しているユーリは残るにしろ、経験を積んで来たシャレットがここで統治から外れるのは、少々人民掌握が不安定な現状では相当なマイナスだ。
シャレットが政事から離れれば、なし崩し的にゾークやネリーも離れることになりかねない。
「そもそも、両国から何も言ってこないのかしら?」
それほど統治に興味がないシャレットでも、これだけの移民が流れてくるとなると、王国も帝国も問題視するに違いないように思える。
だが、それはギースが否定した。
「何でも内部のゴタゴタを抑えるのが精一杯のようでな。帝国はまだ落ち着いているようだが、王国は王族サイドがかなり苦戦しているようだ」
ギース曰く、帝国ではバルドの失態を考えれば、除籍・処刑処分というのは妥当、と見られているようだ。ただし、第一席が空位になっている点が不安視されている。
逆に王国は王族に味方するものは、貴族の最高位の公爵家くらいしかおらず、更にギース共々反乱予備軍と呼ばれるセス侯爵もいる。これを討伐すべしとする貴族派を抑えるのに必死、というのが現状。
「いっそのこと、王国は貴族派が勝っちゃえば、一網打尽に出来る気がするのだけれど、ゼンの意向には合わないのよね」
「否定はせんが……」
王族派が貴族派を抑えるのに失敗すれば、恐らくフィナール領・ニアジュール領に大軍が差し向けられるだろう。
そしてそれを撃退するのは、不可能では無い。ゾーク・シャレットに加えて、僅か500人程度と言えど、精鋭中の精鋭兵士。そして絶対的守護者ネリー。
少なくともネリーと対峙するには兵士4000~5000名は必要だろう。それでも勝てるかどうかは極めて怪しい。というより、惨殺されるのが目に見えている。
また、ゾーク・シャレットと、両者が率いる精鋭500名は、並みの兵士5000名以上の戦力と呼べる。こちらは多少なりとも消耗するだろうが、同時に攻めかかってきたとして、片方をネリーが全滅させて、援軍に駆けつければそれで終わる。
ネリー1人で十分すぎるほど抑止力になっている。
何しろ<天災級>の実力者なのだから、一国や二国、滅ぼすのは容易い。
彼女はゼンの意向に従うため、それを実際に行うことはないだろうが。
結局、イストカレッジ役場から、約3割の人員をギースに回し、役場では、経験者優遇措置を取りながら、今までの2倍近い人員を募集することになった。
ここに移民が多く流れてきたことにより、教育面で更に苦労することになるのだが、「ゼン様がいないだけマシと思え」という先輩の圧力が上手く利き、早い段階でそこそこ使えるようになったとか、何とか。
◆◆◆
(なるほどなぁ、両国ともにグダグダか)
(そのようです。いかがされますか?)
いかがする、っつってもなぁ。俺に出来ることはあんまねえんだよな。
行動自体はネリーに任せることになるわけだし、方針としてどうするかってことなんだけど、特にこれといって打つべき手も無い。
強いて言えば、ギースの行動を少し落ち着かせるくらいなもんかね。
(想定より帝国が落ち着いてるみたいだし、王国側の王族に援護してやろうかね。関税処置を緩めるようにユーリに言っといて)
(承知しました)
(それから色々成果が出すぎてるみたいだし、ユーリには少し休みを取らせるように。人員募集は、ネリーが候補を見て、母さんに確認してもらうように)
(私がですか?)
(ネリーの直感に任せる)
そこまで都合のいいものかどうか分からんが、ネリーの直感はまず外れない。
ネリーのチョイスにハズレなし、という点が人材にも及ぶかどうかのテストを兼ねてみる。まぁ、ここは当たり外れはどうでもいいんだけどな。鍛えれば誰だって使えるようになるだろうし。
しかしフィナール領が人口10万人超えか。まだまだ数的には余裕があるというか、人口増加がそのまま労働力に繋がってるわけだから、好循環と言えるだろうな。あくまでフィナール領にとっては、だけども。王国はどう見てるのかねぇ。
ネリーとの【思考対話】を切り、知り得る範囲での現状を確認する。
まずは俺たちの現状だが、既に数ヶ月が経つものの、3ヶ月前からこれといって変化はない。
ただ近場の探索程度ならば出来るようになってきた。指導の甲斐もあり、リリーナの銃の扱いが随分上達したこともあるが、獣からの襲撃回数が減ったということもある。
それでも遠出することはまだ避けている。俺の「損傷中」という状態異常が完治していないからだ。未だに生命力はフルに回復していない。
上限値共々ジリジリと回復は続いているのだが、回復具合はまだ8割程度。どうも治癒が進むたびに回復速度が鈍っているようで、少しばかりの焦りもあるのだが……。
実際には、なるようにしかなるまい、とも思っている点でもある。それに俺が十全に戦えないのならば、それはそれでまた別のアイデアがないこともない。
近隣の探索については、順調とは言い難いものの、ヒントとでも言うべきか、不自然なポイントを1つ見つけることが出来ている。そこを突破すれば、結界から抜けることが出来そうだが、仮に抜けたとして、次に何が来るか分からない。
万全の状態で挑むには時間がかかりすぎるにしろ、十分な準備は必要だろう。
日々の生活についてなのだが、フランは[三頭犬]と共に行動することが多いようだ。訓練したり、狩猟に出たり、といったところか。
リリーナも[大戦猫]と共に、たまに狩猟に付き合ったりしているようだが、最近は何やら家庭菜園みたいなことにハマっているようだ。この辺りは豊穣神の先祖返りらしいといえば、らしい、のかな?
他にも何やら魔法の練習なんかをしてたり、銃以外の武器を扱ってみたりしているようだ。
そんな生活の中でも、家事を優先するのだから、彼女達なりの献身さに感嘆するばかり。「やりたくてやってることだもん」とリリーナは言うが、とても王族の姫様達がやることじゃないと思うんだけどなぁ。
まあ、本人たちは楽しそうだから、俺が気にかける必要はないかもしれない。食事については週に2回は俺が作ってるしな。
ちなみに俺はというと、武器や防具などの装備品、矢・弾丸・薬品などの消耗品、ついでに狩猟で獲ってきた獲物から素材や肉なんかの解体作業がメインだ。
武器は金属製がメインなので、素材を集める必要はないものの、防具については、彼女たちの体格や年齢を考えると、どうしても軽装になってしまう。
この辺りの獣は、進化を続けていただけあって、極めて良質な素材が取れるということが分かったため、それをベースに防具を考えている。
2人の意匠を踏襲した上で、機能的な防具を作るというのは、なかなか大変だ。まだ完成品には至っていない。
フランがハイレグアーマーを所望するのは何となく分かっていたが、リリーナが所謂「姫騎士」スタイルを望むのは少し意外だった。剣なんて使わんだろうに。
年齢と体格を考えると、リリーナに完全な金属鎧は少し難しいので、革をベースに局部に金属を使い、ハーフプレートを更に軽くした、胸当てや肩当てのみを金属製にしたものにしてある。
銃や魔法を使った後方支援タイプだから、母さんみたいなローブとかの装備がいいと思うのだが、お姫様らしい、憧れみたいなもんかもしれんな。
最後に両国の現状と、第三者についてだが、これはあまり芳しくないらしい。
帝国は落ち着いているとはいえ、次世代第一席候補のフランが戻るまでは不安定な状況が続くだろう。兄の死は既にフランに伝えたが、少しだけ悲しそうな目をしただけで、「最早兄上は狂っておったのだ」と割り切ってみせた。本当にフランは芯が強い。
王国については、帝国より被害は少ないとはいえ、フィナール領を巡って、王族と貴族の対立が続いているようだ。個人的には王族に勝ってくれると、面倒事が少なくなりそうだし、リリーナのためにもなるだろう。
第三者の調査は、それなりに行われているようだが、いかんせんあの戦いの生き残りがゼロでは調べようにも調べられない、といったところか。これは俺やネリーの責任でもあるから、あまり強くは言えないな。何かしらヒントだけでも見つけたいところだが、期待はしない方がいいか。
「ゼンよ、今よいか?」
「ん?フランか?」
一通り現状確認を終えたところで、ドアの外からフランの声。はて、結構な時間のはずだが、まだ起きてるとは何事かや?
中に入るように促すと、フランは何やら難しい顔で入って来た。
「どうした?帝国の様子でも気になったか?」
適当に尋ねてみたのだが、フランは首を横に振る。
「それは気にならないわけではないのだ。されど、今考えても仕方のないことなのだ」
なかなか思い切った返事なのだが、リリーナも似たようなものだったりする。
というより、フランは森に飛ばされてから帝国のことを、今まで一度も俺に尋ねたことはない。
これだけは伝えておかねばなるまいと思い、バルドの死についてだけは、折を見て俺から教えたが、それだけだ。
【思考対話】を行うことで外部との連絡が取れることは伝えたが、リリーナが兄のことを尋ねるくらいで、2人とも積極的には聞いてこない。
確かに俺が知り得る範囲は限定されるので、聞かれても答えられないことの方が多そうではあるのだが。
しかしまあ、フランがこういう表情をするのが珍しいわけではない。何事にも真剣な彼女は、リリーナより物事を深く捉えている節がある。
数ヶ月一緒に暮らして出した結論は、フランは真面目な面がやや強く、リリーナは不真面目ではないにしろ、基本的に楽天家である、という性格の持ち主で間違いあるまい。
ただ、両者に言えることではあるのだが、やはりどこかズレている。
今難しい顔をしているのも、やはりどことなくズレた考えをしているからではなかろーか、なんてことを内心で考えていると、フランがこんなことを言い出した。
「リリーナのことなのだが、魔術を教えてくれと最近せがまれているのだ」
「……なるほどねぇ。それはフランには難しいだろうな」
「そうなのだ。どう教えればいいかすら分からんのだ」
だったら俺に直接聞けばいいものを、と思ったのだが、それはそれで言いにくかったらしい。
何でも世話になっている身で、わがままを言うのはどうなのかと思ったとか何とか。今更水臭いことを言うなや。
フランにしても俺に相談しにくるのが躊躇われていたらしい。おいおい、何ヶ月一緒にいると思ってんだよ。
「そういやフランにしても、中級魔術への応用形は教えたが、ゼロから魔術というものを教えたことはなかったな」
「うむ、妾が使えるのは覚えている魔術のみなのだ」
「暗記するのは理解するのは違うもんな。よっしゃ、明日から2人にゼロから教えてやるよ」
本当か!?と目を輝かせるフラン。
そうだよなあ。むしろ今まで何故ゼロから教えようとしなかったのかと思うくらいだわ。まあ、ちょっとだけ、面倒かなと思ってはいたんだけども。
実のところ、俺は【術式理解】という汎用能力を持っているわけだが、フランはこれを持っていない。
【術式理解】の有無でどれだけ違うかは不明なところだが、魔術の本来の姿は「学問」のはずだ。これも一つのいい機会だろう。
そんなわけで、フランに退室を促すと、明日から教える魔術の内容について考え始めた。
それと同時に、これを一つの切っ掛けにすべきだろうと決断する。
◆◆
翌朝、早速とばかりに2人はリビングで俺を待っていた。
俺もどう教えたものかとかなり考えたわけだが、まず2人の認識を確認をしておこう。
ウキウキの様子で椅子に座るリリーナに、まず問いかける。
「さて、これから魔術を教えるわけだが……まずリリーナ、魔法って何だ?」
「何だって……魔法は魔法でしょ?」
まあ、そう答える以外ないだろうなあ。それでは今度はフランに尋ねよう。
「じゃあ、フラン。魔術って何だ?」
「うむぅ……詠唱の要らない魔法、という程度にしか答えられんのだ」
うんうん、リリーナよりは捻りのある答えだが、そんなもんだろう。
さて、魔術と魔法の違いとは何ぞや?
これは魔術神から一応回答を得ているのだが、俺なりに転生してからずっと考えていたことでもある。
同じ結果が出るのにも関わらず、その方法が異なる。それが魔術と魔法の違いであり、どちらが取っ付き易いか、ということに繋がる。
「まず結論から言うとだ。魔術は学問であり、魔法は芸術なんだわ。ま、芸術も一つの学問と言えなくもないんだけどな」
現在、この世界で魔法を全く使えない人類は、恐らく極僅かしかいないのだろう。あるいは俺やフランのように魔術を知る人物以外は皆使えるものなのかもしれない。
ただし魔法が上手く扱えるか扱えないか、という点においては、相当な差が出ているものと思われる。
これは魔力の高さを示すものではない。純粋な個人のセンスでしかない。第二にようやく個人の努力が来るだろうか?といったところだ。俺自身も身に染みて理解している。
「魔法は芸術って?お絵かきとか?」
「そうなるな。ぶっちゃけた話、リリーナもセンスがありそうだし、魔法の適正は高いと思う。だから魔術は使えないってわけじゃないけど、逆に難しくなる理由になってくる」
「妾が魔法を使えなかった理由と似たようなものなのか?」
「そう。まず最初に言っておくと、魔術も魔法も同じ結果が出るものだけど、全く別物という認識をはっきりしないといけない。特にリリーナはね」
フランは元々魔術しか使えないのだから問題はない。だがリリーナは魔法が使える中で魔術を覚えたいのだという。
ならば魔法と魔術は分けて考えてもらうしかない。
一応結構な魔法書を読んだ甲斐もあり、魔法についても理解度は多少なりとも高まった。
その上で、まず魔法について俺なりの見解を述べる。
大前提として、魔法は魔術よりも取っ付き易いものである。
色々と考えたが、この世界ではこれが正しいのだ。
ただし、これは優劣を付けるものではない。
どちらが優れているか、というのは俺もまだ良く分からないところになる。
「まず魔法なんだがな。これは「詠唱」という補助を得て、自分の「想像」を形にする、というものだ。さて、詠唱の出だしとして多いのは何だ?」
そんな問いをリリーナに振ってみる。
「えっと、魔の化身シェラハーの名において告げる、かな?」
「正解だ。多分フランもそう詠唱するように言われてたんじゃないか?」
「そうなのだ。妾も疑問であったのだが」
うん、魔術には詠唱という概念はないもんな。
さてこの詠唱について、もう少し掘り下げよう。
「それじゃあ、リリーナ。[火球]の詠唱を「教わった通り」に言ってみ?」
「えーと……魔の化身シェラハーの名において告げる。この世に生きるかの名を紡ぐ、理に沿い、我にかの名における知を授けたまえ。我ここに宣言する、舞い散る火種よここに集え、ここに我が意を示す、飛べ、[火球]……だったかな?」
「うん、そんな感じだろうな。まあ実際撃つときはもっと短いだろうけど」
「そうだね。実際には「魔の化身シェラハーの名において告げる。舞い散る火種よここに集え、ここに我が意を示す、[火球]!」ってとこかな?」
この無駄に長い詠唱。これが魔法の短所であり、そして長所でもある。
まずこの詠唱に意味があるのか。色々本を読んで、自分でも試行錯誤した結果なのだが、「ある」と結論付けた。しかもかなり大きな意味がある。
「魔の化身シェラハーの名において告げる」というフレーズは、大抵の魔法使いは確実に冒頭に付けるものだ。どうもこの部分を詠唱することにより、周囲の魔素を取り込み、魔力を高めるブーストの一つになっているようだ。
「この世に生きるかの名を紡ぐ、理に沿い、我にかの名における知を授けたまえ」というフレーズは、基本的に前述とセットで使われる。ここを詠唱することで更に魔力を増幅させ、使う魔法の出力をより高める効果がある。
「我ここに宣言する、舞い散る火種よここに集え」という部分は、基本的に使う魔法の系統や難易度に関わってくるようだ。魔力の低い人物でもここをより精確に詠唱することにより、上級と呼ばれる魔法を使うことが出来るようだ。
「ここに我が意を示す、飛べ、[火球]」ここが最後の部分。詠唱において、魔法発動のトリガーとなっている部分ということになる。特に[火球]の部分については、どれほど短縮してもそこだけは詠唱しなければならない部分になる。
魔法の短所というのは、この詠唱という行為にある。
これほど長い口上を述べながら、自分の魔力を高めるように精神を保ちつつ、発動時にイメージを伴わなければならない。
これがそのまま長所になってくる。この点を正確に行えれば、自分が出力可能な魔力以上の魔法を使うことが可能、ということでもある。
詠唱することにより周囲の魔素を取り込み、自分の魔力を上積みすることが出来る、というわけだ。
周囲の魔素を吸収し、自分の魔力に変換。それを魔法として自分の魔力を撃ち出す。それが魔法というものだ。
長所や短所については、魔術との比較でしかない。
とまあ、そんな感じで説明してみたわけだが、リリーナもフランもあまりピンと来ないようだ。
「俺が魔法は芸術だって言ったけど、その理由は、常に「経緯」と「結果」をイメージし続ける必要があるという点。リリーナはこれを自然にやれてるから、今の説明にピンと来ないんだよ」
「自然に出来ちゃおかしいの?」
「おかしくはない。治癒魔法は特に顕著なんだけど、魔法で大事なのは想像力。リリーナにはそういう才能があったってことだね」
物事について「才能」というのは、大なり小なりあるものだし、逆に「ない」なんてこともないと思う。
誰かさんも言っていたが、向き不向きというのは確かにあるもので、母さんも水魔法や風魔法を得意とするせいか、火魔法や土魔法を使ったところを見たことが無い。
そういう汎用能力は持っていたが、レベルは低かった。実用性の問題なのだろう。俺とて無駄にほぼ全ての魔術を修めたが、実際使う魔術は結構限定されているのだ。
【精霊魔法】と【召喚魔法】を取得してからは、一番使っているのは間違いなく空間魔術であり、原始魔術については基本的に【精霊魔法】で足りる部分が多く、さほど使う機会はない。<厄災級>討伐戦では使ったが、多分ああいう使い方がメインになるだろう。
「それでは魔法の仕組みを知ったところで、魔術とはどういうものか。魔法との決定的な違いは、詠唱の代わりに「術式」というものを使う点にある。これが魔法使いが魔術をなかなか使えない理由になっているわけだ」
魔術とは、術式という公式で作られた陣を行使して、結果を残すものである。
魔法と違って精確なイメージは必要ないが、正確な術式を理解していないと使えないものでもある。
それを理解せず暗記して使っているフランが例外……と言いたいところなんだが、魔術がこの時代に無い理由がここにあるんだろうと思う。
断言してもいい。文明レベルに対して、魔術神の残した術式があまりにも高度すぎたのだ。
物事を理解するのと、覚えるということは、別物だと思う。
数学や物理学、化学といった、複雑な知識をベースに作られたヴァニスの魔術学は、非常に完成度が高いものだ。それは現代地球で生きていた俺が保障する。
それに「魔素」や「魔力」といった要素を取り込んでいるわけだから、理解度を高めようと思ったら、魔術を学ぶ前に知らなければならないことがあまりにも多すぎる。
これはヴァニスが悪かったとは思わない。魔術が失われたのは時代を先取りしすぎた結果であり、そもそも未完成のままこの世を去ったのではないだろうか。
要するに、俺が理解している魔術は、ロストテクノロジーであり、オーバーテクノロジーでもあるわけだ。
「難しそう……」
「実際難しい。俺も初歩を教えるだけで、1年くらいかかるんじゃないかと思うわ。というわけで、だ」
渋い顔をするリリーナに、ある提案をしてみる。
「フランもだけど、基礎能力を引き上げるところから始めてみようか」
ステータスにあるパラメータで、俺が見える項目は9項目あるわけだが、この世界では5項目ということになっている。
まだ産まれたばかりの頃にネリーから聞いた話に、「精神力が高い子供は伸びがいい」とされている、という話がある。
これはあながち外れたことでもなくて、精神力というのはどうやら一つの「センス」でもあるように思う。精神力が高ければ汎用能力の取得も早いのではなかろーか。
自分を持ち上げる感じになってしまうけど、いわゆる「頭の良さ」を示すものでもあるんじゃないかと。
「そんなことできるの?適正の話になると、私あんまり自信ないんだけど」
リリーナの成長値は決して悪くはないが、フランほど良いわけでもない。
だが問題ない。俺には【変化之理】がある。
実際のところ、もっと早い段階で【変化之理】を使った、リリーナの強化については考えていた。
一番知られるとマズいスキルではあるのだが、危険度を下げるためには、自分で強くなってもらうのが、一番早いっちゃあ早いのだ。
ここ数ヶ月の共同生活で、多少なりとも信頼関係は築けたと思うし、森を出た後に成長値だけ元に戻せばいいだろう。
俺自身のステータスはもう【擬態】で隠そうとも思わないし、フランはオールSに自力でいつか辿り着くだろう。それが早まるだけのことだ、うん。
あとはリリーナに、スキルのことを黙っててもらえればいいだけだ。
「これから2人に、俺が普段隠しているスキルを使う。このことは俺以外にはネリーしか知らない。秘密に、できるよな?」
「もちろんなのだ!」
「ゼン様隠し事多すぎー」
「仕方ないだろ。今から使うのは、俺の秘密の力の中でも、やばいやつなんだから」
そんなわけで、2人に【変化之理】を使う。
設定した成長値は暫定なので、また別の機会に2人のステータスを紹介することになるだろう。まぁ2人には全て(S)としか分からんだろうけども。
リリーナについては全体的なレベルアップが急務なのだが、特に上げたいのは精神力と、魔力だ。
何しろ魔術というのは、魔法と同じクラスのものを使うとすれば、それに3割増しくらいの魔力出力が必要になる。俺が神界で大半の魔術が発動に至らなかった理由がそれだ。
術式を行使することは、知っていれば誰でも出来る。だが、実際に魔術を発動させるには、自力で魔力を確保しなければならない。
魔法が周囲の魔素を取り込み自分の魔力とするのに対し、魔術は周囲の魔素をそのまま魔術として利用する。これが魔法と魔術の決定的な違いになる。
詠唱と魔力量の消費を考えれば、魔術の方が効率は圧倒的にいい。
ただし、あくまで「効率の問題」でしかない。同じ魔力の持ち主であれば、魔法の方が高位のものを使えるのだ。
初級クラスの原始魔術にしろ、この森で「使える」レベルの魔術を発動させようと思ったら、最低でも「A」。すなわち200以上の魔力は欲しいところ。
単純に教えるだけなら問題はないが、折角ならば実用出来る範囲で教えたい。
「というわけで、使った。まだ実感はないだろうけどね」
頭にハテナマークを浮かべつつ2人が目を合わせる。まあそうだよね、いきなりこんなこと言われても困るよね。
「別に何か変わった感じはしないけど……」
「……」
「フラン?どうしたの?」
「あ、いや……確信はないのだが……」
何やらフランは体の変調に気付いたようだ。
ネリーでも気付かなかったというのに、天才はやはり違うということか。
「今俺がやったことは、君たちを[全適正に変えた。そんだけのこと]
「「…はぁ?」」
「だから、これから凄く能力の伸びが良くなる。訓練は必要だけどね。色々訓練や討伐をしてみて、時間を置いてから自分のステータスを確認してみるといい」
呆然とする2人。
まあそりゃあそうだろう、資質を変えられるなんて思わないだろうし。そもそも今すぐ実感出来るものでもない。
ステータスボードがあれば分かったかもしれないけど、【完全解析】までこの場で使う気はない。
一番厄介なスキルを2人に教えたとはいえ、更に知られたくない札を慌てて使う必要はない。
ぶっちゃけ自分の持ってるスキルを確認出来た時点で、俺は自分が人類だとはあんま思ってない。
や、一応エルフ族なんですけどね。
人間というカテゴリからはまだ外してないと思うんですけども、他人の才能を書き換えられるってのは正直どうなのかと。
そんなスキルを使う俺も俺だけども、使えるものは使いましょ、ということで。
それに一応【擬態】はしてあるけど、これ多分他人が知る方法が無いんじゃないかな。
「ひとまず今日のところはこれで終わり。明日から一週間くらい、[三頭犬]と[大戦猫]を連れて、狩猟に出てみるといい、それから……」
一つ間を置いて、真剣に告げる。
「今俺がやったことは、絶対に他人に話しちゃいけない。理由はすぐ分かるはずだ。
◆◆◆
【変化之理】を受けた2人は、精霊獣のサポートを受けながら、ある程度戦闘訓練を行っていた。
その中で異変に気付いたのは、リリーナの方が少し早かった。元々の資質は悪くはないが突出してもいない持ち主であったが故に、自分の能力が異常な速度で成長しているのがよく分かる。
無論フランもそれほど時間がかからずに気付いた。ただし、こちらは元々パラメータが高めであっただけに、気付くのが遅れただけだ。
ここに至っては、ゼンが何かしら異常なスキルを自分達に使用したことを認めざるをえなかった。そして、ゼンの言う通り、他人には絶対漏らしてはならないものだと納得出来た。
このようなスキルを、普通の人間が使えるわけがないのだ。
「やっぱりさー、ゼン様って神様の使いか何かなんじゃないかなあ?」
2人の寝室で、リリーナはフランに問いかける。
【変化之理】もそうだが、ゼンから教わる知識は聞いたこともないことばかりであり、未知すぎてなかなか理解が追いつかない。
それでも「おかしなことは言っていない」ということが理解出来る分、彼女たちは相当優秀である。
ヴァニスから教わり、ゼンなりに整理した魔術理論は、完全に学ぶとなると、学問というより、もはや暗号解読の域。
流石にそこまでは理解しきれまいと思ったゼンは、かなり簡易に教えているつもりだが、これでも正直どうかと思っている。
何しろ「最低限」の術式を組むために必要な知識となると、高校レベルの数学・物理学・化学に加え、2つの古代言語の習得をしなければならない。
今まで教えなかった理由がここにもある。本来1年や2年で教えられるものではないのだ。
相当簡略化しているとはいえ、よく付いてこれるものだと、ゼンは2人を評価している。
「神の使いか……どうなのだろうな。むしろ神そのものかもしれんのだ」
何気に呟いたフランの一言は、真実そのものなのだが、この場にゼンは不在。いたとしてもゼンは否定しただろうが。
「神様だとしたら、カノーって神様が昔いたのかもしれないね。でも、多分違うよねー」
「そうなのだ。昔からいたというよりもむしろ……」
「先祖返りっていうか、来世返りって感じ?」
リリーナの軽口もまた、真理の一つを突いている。
仮にゼンがこの場で肯定したところで、さほど驚きもしなかったかもしれない。2人とも既に「ゼンなら何でもアリだろう」という、ネリーを筆頭としたゼンに近い人間の思考に染まりつつある。
「未来から来た先祖返りか。矛盾しておるが、古代神話でもそのような人物がいたと聞いたことがあるのだ。ありえない話ではないのだな」
「御伽噺って案外合ってたりするのかもねー」
「少なくとも、ゼンの前世については、妾の理解が及ぶ範囲ではないのだろうな」
「私も無理っぽーい。あんまし話したくもなさそうだし、突っ込む気にもなんないけどね」
ゼンの前世は「加納善一」ということになるのだが、これは正しいにしろ、正確かと言われるとゼンも悩ましい。
記憶が鮮明なのは加納善一の人生だが、その頃に持っていた知識は、善一以前の誰かが持っていたものである。
創造神の半身として、転生を繰り返し続けてきたゼンの前世となると、果たしてどう答えればいいものか。
これについては、ゼンも詳しく誰かに説明することはないだろうと思っているし、自身もあまり深く考えることはない。
どう考えても結論が出そうにない、という一つの思考放棄だったりする。
「しかしゼンの知識は複雑なのだ……覚えるだけでも大変なのだ」
「覚えるだけじゃなくて、これを使わなきゃいけないんだもんね。フランは魔術が使える分楽じゃないの?」
「確かに術式自体は覚えておるがな、丸暗記とはまた別物なのだ。リリーナの方がよく覚えておる気がするのだ」
「頑張ってるもん!」
ゼンから見て、やはりフランの方が、教えていることについて理解は早い。
しかし、リリーナが劣っているということにはならない。一つずつ理解を進めるリリーナは、基礎学習能力が高いといえる。
飛び級で理解してみせるフランと、コツコツと知識を積み上げるリリーナ。学問を学ぶ姿勢として、どちらが正しいということはないだろう。
ゼンの「勉強するなら、書いて覚えるのが一番いいと思う」という持論に基づき、ゼンから渡されたノートに、2人が書いている内容にも差が出ている。
フランが纏めてある内容に比べ、リリーナが纏めてある内容は、フランより詳細に書かれている。どちらにせよ、他人が見て理解出来る内容でもないのだが。
2人が今日の復習をしていると、ふとフランが呟く。
「リリーナよ。妾は今の生活が気に入っておるのだ」
「私もそうだよ?」
「だが、いずれ終わりが来るのだろうな」
そう言うフランの声は寂しげだった。
ゼンに帝国について尋ねない理由は、ゼンに無駄なことをさせないというだけでなく、彼女なりに予想していることがあったからだ。
長兄バルドの死は既に聞いた。そうなると自分はどうなるか。
その結論に行き着いたのはつい最近のこと。
「この森から出られぬ、ということでもない限り、妾が帝国の第一席になる可能性は高いのだ」
帝国の第一席、次世代の帝王。
そうなれば、フランにかかる重責は今までにないものになる。
彼女とて帝王ヴィーの娘。それに押し潰されるような器ではないが、単純にゼンを慕うだけではいられなくなるだろう。
その現実から逃れたいというわけではないが、森にいる間は考えたくなかった。
「……そっか。でも、私もどうなるか、わかんないよ?」
リリーナもまた、森を出てから自分がどんな立場になるか、かなり微妙なところになる。
ゼンとの婚約話がどうなるかということもあるが、長兄イアンの負傷もある。子供という点を差し置いても、王族として人気のある彼女であれば、王国内部を固めるために、もっと有力な嫁ぎ先に出される可能性もある。
この時点でリリーナがそこまで考えついたわけではないが、フランの気持ちが理解出来ないわけでもない。
ただし、リリーナには、一つの予感があった。
「でもね、先のことなんてわかんないけど、ゼン様がまとめて何とかしちゃう気がするんだよね」
「ゼンとて出来ることと出来ないことがあると思うのだが……」
「難しいことはわかんないけどね。ゼン様なら、みんな幸せになれる方法を探すと思うんだ」
「みんな、か。その中に妾やリリーナも入っておるのだろうか?」
不安げなフランに、リリーナは軽く笑い、悪戯っぽく答えた。
「当ったり前じゃない。ゼン様は欲張りだもん」
それを聞いたフランは、僅かにきょとんとして見せると、次の瞬間には口を開いて笑い出した。




