フィナールの町にて
町に入る際には、どうやら通行料というものが必要のようである。
父さんは銀貨4枚を渡していた、高いのやら安いのやら。
ただこれが必要なのは、俺達のような「自由民」だけらしい。
全部の町でそうなっているかは知らないが、ここが特別にそうなっているというわけではない、との母さん談である。
「それじゃあ行って来るわ、渡したお金は好きに使っていいからね」
「ま、大抵のモンは買えるだろうさ、今回の報酬で釣りが来らぁ」
二人はそう言って、ギルドへ向かっていった。ここからは俺とネリーの2人で行動することになる。
ちなみに渡されたのは金貨10枚。小遣い程度で子供に渡す金額ではないということだけは判断が付いた。
記憶持ちだから分別くらい付くだろうとか判断されたのか。両親がアバウトすぎるのか。どっちだろうなあ。
町の外観からおよその人口を掴む。とまでは行かずとも、だいたいこのくらいの人口かな、という察しはついた。
およそ3万人から4万人くらいだろう、というのが俺の見方であり、妖精に調べてもらった結果でもある。
この町の存在は妖精を通じて既に知っていた。
どの程度いるのか、妖精に数えてもらうのもアレだったのだが、当時は「だいたい3万くらい」という話だ。
俺も見た感じではそのくらいに思えるが、それをやや上回るくらいは住んでいるのではないだろうか。
町の規模についてはこれが大きいのか小さいのかは判断しかねるが、そこそこに活気はある。
活気があると言っても、日本の都会に比べると比較にすらならないのだが…人口密度は低いだろうし、こんなものなのだろう。
まずは武器など取り扱いをしているところからでも、と思ったのだが。
「どこから行きましょうか?と言っても……」
「ネリーも詳しいわけじゃないんだな」
両親と別行動はしたものの、どこに何があるのかというのはさっぱりなのだ。
ネリーが知っているのかと思ったのだが、治療所という場所くらいしか知らないらしい。病院みたいなものだろうか。
何のアテもなく見て回るよりはいいかもしれないので、そこに案内してもらうことにする。
俺が産まれたところがそこになるらしいし、一度くらい見てみるのもいいだろう。
「思ったよりも治安は良さそうだな」
「そうですね、物取りもあまりいないようですし、警備も他の町に比べて充実していると思います」
「スラムとかはないのか?」
「貧民街ですか?他の町では珍しくないのですが、ここは新しい町ですし、逆に他の町でそうしていた人が集まってきていると聞いてます」
「なるほどねぇ、辺境ながらの町並みでもあるわけか」
歩きながらネリーと話す。
最近素で話すことがあまりなくなってきている。というか極力従者っぽくあろうとしているようだ。
そこまで畏まる必要はないのだが、人前ではそれっぽく振舞うようにと言ったのも俺だしなぁ。
まあネリーいじりをしていれば、そのうち出てくるので、やはり素は素であるようだ。
いじるといっても性的な意味ではない、断じて。
町の作り自体は、非常に理に適った作りをしているようで、ごちゃごちゃしている感じはしない。
治療所は町でも中央付近にあるそうで、町から入ってしばらく歩いているのだが、整然とされている。
街路にしても、舗装されているわけではないが、広めに作られているように思う、馬車の行き交いくらいは可能だろう。
おのぼりさんよろしく、町に入ってからきょろきょろと見回しているのだが、並んでいる建物は宿であったり、飲食店であったりするようで、出入りもちょくちょくある。
入り口からそういう店が続いているので、これは意図的な配置だろう。
この街並みが最初から設計していたものならば、頭のいい人物が考え出したものだろうなと思う。
母さんからフィナール領のあらましは聞いている。一度人がいなくなった土地をこうして再び立ち上げたのだから、たいしたものだ。十年二十年単位での街造りを構想したんだろうな。
さて、今回初めての町に来たわけだが、やるべきことというかやりたいことは結構ある。夕暮れには町を出ることになりそうなので、優先順位は決めておかねばなるまい。
最優先事項としては、鍛冶をはじめとした製作道具の入手である。
出来る限り性能がいいものが望ましいが、最悪一通りの種類さえ入手出来れば、あとはわらしべ的に上位の素材で作り直せばいい。
特に槌と金床は必須だろう、これがないと鉱石の加工が始まらない。
炉も必須なのだが、最悪普通の炎では溶けない鉱石で敷き詰めるという方法もあれば、原始的に石で積み上げるという方法もある。
本格的な工房を作るかどうかという点については、少なくとも屋敷の敷地内に作るのはいかがなものかと思う。
小規模なものにしろ、それなりにスペースが必要になるため、裏庭にポンと作るのは難しい。
そもそも借りている敷地なのだから、勝手にそういうことをしていいのかということもある。
家庭菜園レベルの花壇はもう作ったが、さすがにそれくらいは許容範囲だと思いたいところだ。
この件については、母さんに聞いてもらうことをお願いしてある。
許可がどのような形で下りるかは不明だが、出来るようになればいいな、程度で考えておく。
ぶっちゃけ村に畑を作るのが自由なのだから、自由人が家を持てないというのは、そりゃ町中限定の話だろうと解釈しているのだ。
村が開拓地だとすれば、そこは開拓した者に所有権があるということだろう、と考えている。
家を一から建てることは、俺にとって不可能なことではない。
材料はそれなりにあるのだから、そういう時間を無駄にしたくないだけだ。
◆◆
「こちらになります」
ネリーに連れられて来たその建物は、見た感じ決して大きくはない。
田舎の医院レベル、というのはちょっと言い過ぎにしろ、これを「病院」と呼ぶのはどうだろうか。
などと言ったものの、「治癒魔法」なんてものが存在する世界だ。介護用のベッドなどそれほど必要ないということだろうか。
「何も用なしに、入っていいもんか?」
治療所と呼ばれるくらいだ、本来健康な俺が来るような場所ではないだろう。
だが、ネリーは問題ないと言う。何でも受付とは顔見知りだとか。
そういうことならば、と入ってみると、中は結構なスペースの待合室だった。
待ち人は多くない、10人もいないだろう、しかしながらどこかしら負傷している者が多い。
緊急医療のトリアージ的に言えば、大抵緑色だろう。だが、黄色まで来ているのではないか、という人物もいるようだ。
そういう人はその場の最低限の手当てをしただけ、という感じがする。
あまり長くそういう状態でいると治癒魔術を以てしても、後に関わるし、それは治癒魔法でも多分変わらないだろう。
行使を一瞬だけ考えたが、場所が場所である、任せるべきだろう。
逆に「病人」らしき患者は、1人か2人か、その程度だ。
それだけ健康なのかとも思ったが、そういうことではないのだろう。
病気になる人間が少ないのか、あるいは病気になってもかかれない、治療不可、というケースが多かったりするのかもしれない。
アインも病気に関しては知識を持っていたし、【天上書庫】でも何がしか病の種類があることは確認済なのだが。
「あれ、ネリーさんじゃないですか。お久しぶりですね」
妙齢の女性がネリーに気づいて声をかけてきた。
医者、という感じは全くしない。事務員のようだ。
苦労人なのか、年齢なのか分からないが、紫色の髪が一部白く見える、元々そういうメッシュだったりするかもしれないが。
「お久しぶりですノスさん、ゼン様が産まれて以来になりますね」
名前が出てきたので俺も挨拶しておく。
「はじめまして、ゼンと申します」
言って、一礼。特別なことは全くしていない。
ただ、ノスと呼ばれた女性は戸惑っているようだ。
「はじめまして、ノスです……この子、ゼンちゃん、なのよね?」
ネリーは小さく「はい」と首を縦に振り、俺に促してくる。
「3歳と少々といったところです。世間知らずですが、よろしくお願いします」
周囲に聞こえたのか、「3歳……?」「獣人ってわけでもなさそうだけど……」「あんな可愛い娘が3歳なわけがない」などと声がする、最後は間違ってるぞ。
困惑しているのがはっきりと分かるのだが、もうちょっと子供らしくした方が良かっただろうか?
ノスも「うーん」と考え込みだしたが、結論は出ないらしい。
「4混血だからどんな成長をしてもおかしくはないけれど、3歳児とは思えないわね……」
「紛れもなくゼン様ご本人ですよ?」
ネリーは不満げだ。俺はノスの反応の方が正しいと思うのだが。
「結局種族としてはどうなったの?」
「エルフ族という扱いになるようですね。クォーターエルフと言われました」
そう答えたところでようやく理解はしたらしい。
どうも納得はしてない気がするけど。
「エルフなら成長が早くてもおかしくはないか。それでもちょっと早すぎる気がするけど」
「ですよねー」
俺も同感なのだ。しかもこのまま7年っておかしいだろう、やっぱ。
折角来たのだから、ということで何やら応接室のようなところに通された。
ノスは、「お茶持ってきますね、所長にも伝えてきます」と言ってどこかへ行ってしまった。
仕方ないので、下座のソファに座って待つことにする。
「ゼン様、もう少し威厳を持って頂ければ私として嬉しいのですが」
「3歳児に無茶言うな、俺は何様なんだ」
「ゼン様ですにゃ?」
素まで出しやがった、本気で思ってやがるなネリー。
初対面相手に尊大に振舞うほど俺は傲慢な性格ではない。
「そんなに丁寧に人に接する方とは思ってなかったのにゃ」
だから俺の心を読むでないわ、絶対【念話】では漏れてなかったって。
「【念話】は聞こえにゃいにょ」
「分かってて言ってるだろこの野郎」
察しが良すぎる従者を持つのもなかなか大変である、などと考えていると、ノスがお茶を持ってきた。
次いでやってきたのは、所長、という人物なのだろう。肌の色からして、黒いというより、紫?魔族なのだろうか?
見た感じは青年風だが、何やら頭から触覚のようなものが生えている。まあ普通の人間族でないことは確かだな。
俺は立ち上がって一礼しようとすると、慌ててネリーが続いてきた。
「ああ、いいよいいよ。そういうのは偉い人にやればいいよ」
「失礼しました。ゼンと申します、私の出産に立ち会って頂いた方と聞いておりますので」
「君は本当に3歳なのかねえ。知性があるにせよ、よく出来た子のようだね」
青年は俺達に楽に楽にと声をかけて、座るように促してきた。
素直に座り、青年は対面のソファに腰掛け、「よく来たね」とまず第一声。
「僕はシャーリー、この治療所の所長をやってる治癒者さ。まあ、君のお母さんみたいに魔法が得意ってわけじゃないけど、治癒専門士とでも言えばいいかな」
シャーリーとの話は、中々有意義なものだった。
チラッとシャーリーのステータスを解析させてもらったのだが、なるほど「医者」である。
魔力や精神力は100を越えるものの、他の軒並みのパラメータはさほど高くない、レベルも20程度ではそんなものだろう。
というより、うちの両親やネリーが極めて優秀だという話だ。
戦闘要員でもないシャーリーならこんなものだろう、ちなみにノスは50前後だった。
治癒専門士というのは、【治癒魔法6】というスキル持ちなので、そんなに外していないだろう。
【医術5】というのは、医者としてはいささか低い気がするが、それでも所長なのだから、これがアクイリックの現状だろう。
「じゃあ何かい?君は7年間、ずっとそのままなのかい?」
「さて、どうですかね。なってみないことには分からない、ということもありますので」
「まあ、それもそうだね。混血種の生態には興味があるのだけど」
「それぞれ、でしょうね。シャーリーさんも色々見てこられたでしょう」
「治療所に勤めているからね。でもゼン君ほど早熟かつ変わった成長は、僕も他に知らないなあ」
「俺も他に知りませんから。そもそも自分のことすらよく分かりませんね」
などと会話しているが、俺が主に聞いたのは医術レベルの話だ。
この治療所というところには、治癒魔法の使い手が集まっているところらしい。そこで[治癒]や[大治癒]といった回復魔法を使ったり、[解毒]など状態異常を治したりするそうな。
ただそれ以外に治療を行っているかというと、病に対しては薬剤による医療法くらいしかないようだ。
まあ注射とかの概念もなさそうだし、[治癒促進]などで治すのがこの世界の普通なのだろう。
こうして話をしている所長は仕事をしないのかと言うと、そういうワケではないだろう。
魔力量がかなり減少していることから、回復待ち、ということも含めてこうして話をしているのだろうが……。
「シャーリーさんは、お仕事はよろしいので?」
「魔力切れ間近の治癒士が出来ることなんて知れてるよ」
そう言って苦笑するが、手当てくらいは出来るだろうに。
と思ったが、魔力量が減っている状態というのは結構危険なのを思い出した。
むしろ残り1割ほどまで減った状態で、正常に居られるシャーリーは、優秀な人材ということか。
魔力量が減るという経験は、肉体を持ってからはないのだが、神界ではちょくちょくあった。精神的な疲労感というのがかなりきついのだ。
【精霊魔法】の制御練習中に嫌というほど味わったから、よく分かる。
母さんも魔力を寸前まで使うことは極力避けていたし、ヴァニスも魔力切れは起こすべきではないと言っていた。
実際にどれだけ魔力を使えば魔力切れになるかというのは、「経験」でしかないのだろう。
しかしそうなると、応急措置などする人材はいないのか?
「一応、医術の心得だけでも持つ人材を用意したいのだけどね、医術を修めるなら治癒魔法を使うのが早い、という考えが普通なのだよ」
僕はそう思わないけどね、と語るシャーリー。
治癒魔法が治癒魔術とどう違うかは、今一つ俺もよく分からない点だ。
共通して言えるのは、「何でも治せる」という、そんなに万能なものかと言えば、そうではないはずだ。
治癒魔術の最上級の[再生]にしろ、アインの【再生】のような、欠損部位を一発で治療する、みたいなことは出来ない。
そして母さんやシャーリーも、使える治癒魔法は[大治癒]まで、ということらしい。
俺の知る[大治癒]とそう変わりがないのであれば、単純な切り傷や骨折、というものであれば問題はない、治せる範囲だろう。
ただし、その場で使わないのであれば、それなりに適切な処置というものをしていないと、治るものも治せなかったりするのだ。
俺が使える[再生]にしろ、欠損部位がその場に無ければかなり厳しい。あっても状態が悪いと自信は無い。
ついでに言えば、今のところ治癒魔術に関しては、俺としても経験不足な点は否めない。
使う相手がいない治癒魔術など、訓練しようにもそう出来るものではない。術式理解と知識経験はそれなりにあるが。
ふむう、経験不足か……。
「シャーリーさん、今日の患者数は治癒士で当たって治療できる人数なんですか?」
「重傷者は優先して当たるけど、軽傷者まで全員診られるかというと、今日の人数は厳しいかな」
多いようには思わなかったが、治癒士というのも少ないようだ。
「それでは、治療費については治療所に支払ってもらうとして、今いる患者に少しばかり手当てしてもよろしいでしょうか?」
何事も経験だ。治癒魔術はぶっつけ本番でやるものじゃない。
「それはこちらとしてはありがたいが、いいのかね?君のお母さんも一流の治癒魔法の使い手だったから、君にも心得があるとは思うが」
「軽傷者にかけるくらいは問題ないでしょう。俺としても、使う相手はいませんでしたから」
「それも一理あるか。では、治療室へ案内しようか」
その必要はありませんよと言いかけて、踏みとどまる。
治癒魔法はデリケートなものだと母さんも言っていた。ならば待合室で術式を行使するのは少しばかり問題かもしれない。
時間も限られているので、「5人まで」ということにしてもらった。
「それで魔力切れを起こさないのかね?」と訝しげだったが、少し多かっただろうか。
ネリーに患者を連れてきてもらうことにして、俺は与えられた個室で待つ。
一応白衣着用だ、ちゃんと白衣があることに驚きだ。
もっとも白衣を着たところで、まともな医術を施せているのかとも思うが、針と糸はあるのでちょっとした縫合くらいなら出来る人間がいるのだろう。
内臓の縫合まで出来るとは思わないが。
「ゼン様、お連れしました」
ネリーが患者を連れて入ってくる、流石にナース服は無かった、残念だ。
パッと見ると、中年の男性が腕に布を巻いている、顔の割には背丈が低いことから、ドワーフ族なのだろうと推測する。
何がしかの切り傷だろうか、血が滲んでいるのが分かる。
「では、こちらにお掛けください」
不満、と顔に書いてある、やっぱり子供だからかね。
「アンタまだ3歳なんだろ?3歳にはとても見えねぇが、ガキに治癒魔法なんて使えるんかね?」
ああ、それを聞いてたのか。全く心配いらん、とは言えないが。
「まあとりあえず傷を見せてくださいよ、出来ればすぐ、出来なくてもすぐですから」
すっごい目で睨み付けながら布を剥ぐ男。
確かに俺も病院に来て10歳くらいの子供にやられたら、微妙な気持ちになるかもしれん。見た目で判断するほど愚かでもないつもりだが。
でもこういう手合いは慣れたもんだ、結果さえ出ればいい。
傷自体はそれほど深くはない、この程度なら下級術式でも十分だろう。
俺は術式を刻むと、男の傷に人差し指と中指を当て、傷に沿ってゆっくり動かす。
「うぇっひゃ!」という男の声は無視して動かしていく、本来スッと動かすだけで十分なのだが、何かあったらいかんのでね。
まあ実にあっさりと終えたもので、傷はふさがっている、というなかったようになっている。
「はい、終わりました、痛くないですか?」
何やらもぞもぞとしているが、男は首を振る。
「い、痛くはねえが、アンタの魔法、気持ちいいんだか気持ち悪いんだか……」
信じられん、と顔に書いてある、すっごい分かりやすい男だな。
「治ったからいいでしょ?さ、次の方が待ってますので」
説明などする気はない、多少ぞんざいな扱いでお引取り願うと、ネリーはさっさと男を連れて行く。
とりあえず治癒魔術も問題なしかな?あと4人見たら引き上げるかね。
流石に経過まで見ていたら日が暮れる、まだ応接室にいたシャーリーに声をかけて町に戻る。
「君は詠唱短縮術でも使っているのかね?」とか聞かれたので、曖昧に笑っておいた。
治癒魔法というのは、イメージが複雑な分詠唱が長くなりがちらしいが、魔法自体はまだ使えていないのだ。
そろそろ魔法の習得自体を諦めようかとも思うが、レベルのことを考えると、やはり多少は使えたほうがいい気がせんでもない。
魔術より応用が利く部分もあることはあるのだが、【天上書庫】が便利すぎるんだよ。
そんな理由もあり、魔法習得の日は遠そうだ。
◆◆
ネリーには少しばかり退屈させてしまったかもしれないが、「ゼン様のかっこいいところが見れました」と逆にご機嫌だ。
どこに琴線が触れたのかさっぱりだが、まあいいだろう。
さて町に戻った俺達は、診療所から四方を確認すると、どうやら職人街とでも言うか、工房やら何やらが並んでいる街路を発見、そちらに向かってみることにした。
当たり前だが、「工房」と言っても色々ある。
むしろ生産神の工房が異常なのだろう、鍛冶をする隣で木材加工をする、などというふざけた工房はそうあるものではない。
普通火事になるだろうから、炉がある部屋の隣で可燃物の加工などしない。
職人街も似たようなもので、鍛冶は鍛冶、木工は木工といった具合に分かれているようだ。
工房の隣には工房は置かないというルールになっているのか、住宅らしき家や商店を挟むようにして並んでいる。
残念ながら伝手がないので行き当たりばったりになりそうだが、シャーリーに鍛冶道具など売っている店を知らないかと聞いたところ、「セドン商店」という店がいいだろうという話だ。治療所もご用達のようで、調合器具やらがあるらしい。
職人街にあると聞いたので、この街路を辿れば見つかりそうな気はするが……。
「あ、見つけました。右手側の8軒先がそうみたいです」
「看板もなしによう見えるなぁ……」
「店名は書いてますよ?」
そういうことではなく、俺は立て看板の類の話をしているのだが。
まあいいか、店に辿り着いた俺は早速店内に入ることにする。
内装は小奇麗だ、どうやら本当に「器具専門店」といった感じだ。
針やら乳鉢やら革用ナイフやら槌やら……と、何でも一通り揃いそうなラインナップである。
一つ一つの完成度は高い、高いのだが。
「ほとんど鉄製か、あるいは青銅製、といったところか」
「おや嬢ちゃん、詳しいねえ。どこかの見習いかい?」
俺の呟きが店内で聞こえたらしい、店員、かと思ったが、声質からして年嵩のある感じだ。
そちらに目を向けると、どことなく優しげな顔立ちをした、初老の男性がいた。
「槌と金床ねぇ、見習いならこの辺りかね」
やはりこの男性は店主のようだ、店の中から槌を持ってきた。
銅製のそれは、確かに悪い品ではないだろう。
「金床の方は重いから、直接中で見るとよかろう」
「そうさせてもらおうかな、あと俺は男だから」
「職人だからそうなるのかねえ、特に鍛冶職人は女じゃ務まらんとか言う奴もおるからのう」
「いや実際男だからね?鍛冶職人が女に務まらんなんてこたぁ俺も言わないけど、俺は男だから」
「そういうことにしておこうかのう」
ほっほっほ、とでも続けかねんので、もうざっくり諦める。
ネリーが首を振っているので、やはりそういう風に見えてしまうのだろう。主張を続けるのは面倒だし、さっさと奥に入らせてもらう。
いくつかの金床を見たが、強度的に言えば、鋳鉄にはちょっと足りないレベルまで、という感じだ。
鋳鉄、いわゆる鋼製のものが欲しかったのだが、贅沢は言うまい。
鉄製とされている金床の中から、最も強度に優れたものをチョイスする。
「これはいくらになる?」
主人は何やら感心した様子で答える。
「目利きがいいのう、ただちっと高いぞい。槌と合わせて金貨3枚といったところかの」
金貨3枚。高いのか、安いのか。
ネリーに密かに【念話】で高いか?と聞くと、首を傾げている。
金貨3枚自体はやはり大金であるようだが、この金床の価値自体はネリーには分からない、ということか。
実際のところ、貨幣の価値というのはどうなっているか、というと、金貨1枚は銀貨100枚分であり、銀貨1枚は銅貨100枚分であるという。
安宿1泊で銀貨1枚ということだから、感覚としては銀貨1枚2~3000円くらいなのだろう、自信はない。
となると金貨3枚で、銀貨300枚、70~90万くらいの買い物だったりするのだろうか。
金床と槌を買うなら、高くはない、のか?そもそも鉄1キロがいくらか、という話であるが。
少しばかり考えたが、今回は器具を一通り揃えるのが目的だ。ここからグレードを上げていくにしても、最初に使う品は高い方がいいだろう。
「金貨3枚払う、けど他にも欲しいものがあるから、そこのところ考えてくれると嬉しいかな」
「ほほう、職人は金勘定に疎いもんだがのう。わざわざうちで買うってことは、商人の見習いってわけでもあるまいに」
職人は金勘定に疎い、というのは偏見だろう。
いい職人ほど、安売りはしないものだ、自分の作ったものの価値が分かっているから。
そういうところまできっちりしていないと、いい職人とは言えないのだ。自分より劣る職人のことまで考えてこそ、一流というものだ。
そういうわけで、針を始めとした裁縫道具、乳鉢や瓶などの錬金術用の調合具を始め、思ったよりも器具が一通り揃った。
あとは鍬などの農具もあったので、それも買った。
ほとんどが鉄製か青銅製、他の店の品揃えは知らないが、シャーリーはこの町で一番いいだろうと言っていた。
性能はさておき、とりあえず一通り無いことには加工が出来ないわけだ。
「そんじゃまあ、金貨7枚ってところでどうかね」
「届ける必要はないから、もうちょい。ああ、あとレンガの在庫ないかな」
「3トンほどあるのう、まさか炉から作る気かい?」
「んじゃそれ全部買う、そしたらいくら?」
「うむう……そこまで言われると、のう。鉄が1トンがあるのじゃが、これまで買わんか?」
「それでなんぼになる?」「金貨9枚でどうじゃ」
「いいね、それで行こう。魔法で持っていくから、あとはこっちでやるよ。置き場だけ案内してね」
「そりゃまた便利な魔法じゃのう、しかし嬢ちゃんはやっぱりどっかの商人の娘さんかね?」
「俺の親は商人でもなければ、俺は男なんだけど、それがどうしたのさ」
「いや、大金を使うのに手馴れておるようじゃしなぁ、ポンとこれほど買える娘がどれだけいるやら」
「まあその辺りはいいでしょ、んじゃ金貨9枚、確かめてね」
まず、いい落とし所だったようだ。隣でネリーが微笑みながら音を立てずに拍手してる。
確かに普通のこれくらいの娘ならこんな大金そもそも持ち歩かないだろうし、それを一気に使ったりしないかもしれん。
でも俺は男だし、親は大金使いだし、「加納善一」でもある。
こっちの金銭感覚はまだよく分からないが、金貨10枚で900万だとすれば大金だ。
世の中を回す意味合いでも、金は使うべきところでは使うべきなのだ。
ここでケチる必要は全くないし、好きに使っていいと言われている以上問題はあるまい。
ネリーの金銭感覚が一番頼りになると思っていたが、ここで金貨9枚払うことに何も疑問を持ってないのであれば、それでいいだろう。
魔術を魔法と詐称したが、それほど疑問に思わなかったようで、店主は俺の[空間箱]に対しては何も言わなかった。
大量のレンガと鉄をあっさり持ち上げる俺とネリーには引き攣っていたようだが。
◆◆
目的は果たしたわけだが、まだ日暮れには少しばかり時間がありそうだ。
「もう少し時間はあるが、何かしたいこととか、欲しい物とかないか?」
先ほどの店主に、金貨は銀貨に交換してもらった、その方が使いやすいだろう。俺の金、というわけではないにせよ、小遣いみたいなものだ、ネリーに何かしてあげたいのもある。
「そうですねぇ……私が欲しいものと言えば、やっぱり装備品になるので、そうなるとゼン様に作って頂いた方が私も嬉しいですし、性能もいい気がします」
何とも色気の無い話だが、それが欲しいものであれば、確かにネリーの言うとおりだろう。
そうなると、冷やかしくらいしかないわけだ。
子供二人連れで色々回れるものか少しばかり考えたが、何、ケチ付けてくる店主が居れば、【威圧】でもぶつけてやろう。
そんな物騒なことを考えつつ、色々見て回ることにした。
一種のデートみたいなもんだな、うん。
それからはなんというか、飲食店を回ったり、武器屋に行ったり、服屋を覗いたりしたのだが、特にこれといった物を買ったわけではない。
まあ買い食いをしたりはしたのだが、「美味い」というものには出会えなかった。珍しい料理自体はあったのだが、美味いかと聞かれると微妙なところだった。
ネリーにも食べさせてみたが、苦笑いだった。俺の味覚がおかしいというわけではないようだ。
服屋を覗いた時に、店員から女の子の服を勧められて軽く泣けた。
ネリーが必死に隣で笑いを堪えてたのは知ってる。
そうこうしてる間に日が暮れてきた、そろそろ帰り時だろうと思い、ネリーに告げたのだが、何やらネリーの目に留まった店があったらしい。
「ゼン様、最後にあの店に寄りませんか?」
その店は「骨董屋」とでも言うべきか、大変雑多な品揃えの店だった。
一つ一つを解析していたらキリがないが、材質に見覚えがないものも多くあり、なるほどネリーの目に留まった理由はこれか、と思ったのだが……。
それは、まるでワーゴンセールの中にある玩具の一つのように乱雑に混じっていた。
俺にとって、見覚えがありすぎるそのフォルム。
これが「何」なのか、この世界で知る者は、恐らくごく少数。
そして今、地上に居るのは俺だけであろう。
震える声で、店主に金額を尋ねる、銀貨2枚、それがこれの値段。
これがネリーの直感だと言うのであれば、ネリーのそれは、もはや「予告」レベルではなかろうか。
神がかっているというか、ネリーの勘は予言なんてものではない、それは起こるものだと考えた方がいいのではなかろうか。
あるいは、俺と「これ」の結びつきの強さなのか、もう分からない。
分からないが、目の前にたった一つ、現実がある。
俺は店主に銀貨2枚を払うと、【完全解析】が間違っていないか確かめる。
触れた時に、既に本物だと本能が告げていたのだが、やはり誤りではない。
「ネリー、俺はお前の勘を、これから全面的に信用する」
「いきなりどうしたにゃ?すごい怖い顔してるにゃ」
「ちょっと、な。本当は店主に入手経緯を尋ねるべきだったんだけど」
俺は逃げるようにして店を離れた。
ネリーが慌ててついてきて、町を出たところでようやく落ち着いてきた。
あってはならないものがあったのだ、俺とて動揺する。
手に持つそれをしっかりと確かめる。
経年によるものか不明だが、おそらく本来の機能は失われている、破損していることから、何かしらの原因があったのだろう。
だが、形はしっかり残っている。修復は、可能だ。
そして手に取った瞬間、これは俺の物だと、それは告げてきた。
「ネリーには、これが何か分からないんだな?」
「見たことにゃいにゃ、何にゃのにゃ?」
「こいつはな……俺の、武器だったもの、だ」
その名はブロックガン、所有者はゼンイチ・カノー。
俺の愛用していた、神具の拳銃である。
◆◆◆
「そうですか、それはぎょうk(ラッピュゥタァァァァァァァッ!)きゃう!」
「ど、どうしたの?」
「カ、カノー様から【念話】が……」
(お前ら神具を地上に落としてどうすんだぁぁぁぁぁ!)
「は、はあっ!?神具が地上に!?」
「いいなー、ラピュータさん善一さんの声が聞けて、あ、今はゼンさんって言うんだっけ、その方が呼びやすくていいよね!」
「アズリンド様、今はそういう場合d(神具ってのは地上にあったらアカンのやろがぁッ!)ええ、ええ、その通りです!」
「だよねー、ゼンさん、って呼びやすいね」
「そうではないのです!そこではないのですよ!」
(「ブロックガン」だったからまだいいけど!これが「コアブレイク」だったらどうすんだ!「ブロックガン」は壊れてたから使えなかったけど、他のモンは「ウィークリーダー」以外壊れてたら使いそうじゃねえかよ!)
「何ということ……何故カノー様の武器が地上に……」
「あ、もしかしてゼンさん見つけたの?さすがゼンさんだね!」
「貴女ですか犯人は!?」
「うん、ホウセンさんがね、これはカノーの物だからどうせ使えないし、落とせるなら落としてやれって。だから穴に入れてみたんだ」
「ホウセン殿ぉっ!?」
(他にあったりしねえだろうなぁっ!?どうなっても知らねえかんな!)
「ゼンさんのものは全部穴に入れてみたんだけど、どうなったか不安だったんだよねー。まあきっとゼンさんなら見つけられるよね」
「カノー様……手遅れでございました……」
「手遅れ?なんのこと?とりあえず何だか知らないけど、ほんのちょっとだけ世界が安定してきてるから、ゼンさんが何かしてるんだね!」
◆◆◆
ラピュータに抗議の【念話】は入れてみたものの、ブロックガンがここにあることは確かなわけで。
経年で古びてはいるものの、致命的な破損はしていない、細々とした部分が破損しているだけだ。
ミニッツ鋼が無くても修理は可能だが、今ある素材では不可能だろう。
あくまで今ある素材では、だ。
直そうと思えば、直せる、直す方法はある。
そう、【鉱石変成】を使えばいい。
ただし、いずれにしても炉が必要だ。
レンガは買ってきたが、まだ炉の設置はしていない。
一度炉を設置してしまって、【鉱石変成】を使いまくれば、ガンガン作業器具の質を上げられる。
生産神の使っていたそれと同等、あるいはそれを超える作業器具を作り上げられるだろう。
しかしそれは地上にあってはならないものを更に作り出すことになりそうなのだ。
それに炉については、ここに残していく前提で考える必要もある。
回収しようと思えば出来るのだが、痕跡まで全て消すとはいかないだろう。
熱源というか、火力をどう維持するかという問題もあるっちゃあ、あるのだが、そこは魔法とかということで誤魔化せる範囲だろう。
事実魔法を使うわけだしね。まあ魔法だよ、うん。
とりあえず母さん達が戻ってこないことには、生産面で出来ることは炉を使わないもの。
何から始めようかと思ったのだが、炉を使わないという前提で、かつ手軽なところから始めた。
ビガーシープの毛を使った、裁縫である。
神具が他に落ちてきている可能性?それはもう知らん。
「履き心地はどうだ?寒い時期はいいと思うんだけど」
「あったかいにゃぁ……我慢してたけど寒さはこたえるのにゃ」
「あー、一応寒い時期ってあるもんな、暑さについてはそうでもないんだけど」
ネリーは俺の作った靴下を大変お気に召したようだ。
俺はあまり気にしたことがないのだが、この世界、「暖かい服」とでも言うべきか、ウール製のような毛皮系の服がほとんど見当たらない。
そもそも季節といえるほど、暑くもなりにくいし、寒くもなりにくいのだ。
今居る緯度がそうなっているのか、世界がそうなっているのかは断定しにくいのだが、寒い場所というものがあるらしいので、緯度的にそういうもの、という考えでいいのだろう。
ちなみに今は「ちょっと寒いかも」と思えるくらいだが、服装を改めるほどではない。
しかしネリーは基本的に寒がりだったようだ、猫っぽい。
「しっかし母さん達は帰ってこねえなあ。何かあった、と考えるべきだろうな」
俺は編み物をしながら母さん達のことを想う。
二人の強さは、少なくともこの近辺では隔絶したもの、と考える。
俺とネリーが異常なだけだ、特に俺。
「そうにゃねぇ……ゾーク様達はしぶといから、死ぬようにゃことはにゃいと思うにゃ」
ネリーはカラカラと織機を回している。
こないだ買ったものだ、毛糸量産中である。
皮についていた糸は大抵刈り取り済みで、今は俺が糸を編んで、ネリーに糸にしてもらっているところだ。
俺としても心配ではあるのだが、生死、という意味では死ぬようなことはあるまい、と思っている。
何かしらの面倒事に巻き込まれているという可能性については、もう確信しているくらい高いのだが。
今のところ作っているのは靴下とセーターとマフラー。
手袋なんかもいいが、ネリーは手袋はピンと来ないようだ。
なんでも「弱そう」とかいう理由で、がっくりしたものだ。
装備品じゃねえんだから、と思ったが、ネリーからしてみれば外に付けて行くものとしては、ピンと来ないのだろう。
ネリーの最大の武器は、己の肉体であり、己の拳である。
確かに羊毛で作った手袋は、与える衝撃が「弱くなりそう」である。実際には自身を保護するという意味ではそんなに悪いものでもないと思うのだが。
だが、家事をまるごと引き受けている存在なのだから、「邪魔」と言われれば、ぐうの音も出ない。
使いそうなのは母さんくらいかなぁと思ったが、そも戦いを生業にする者がふかふかの手袋など付けはしないだろう。
俺自身もそんなに欲しいとは思わないので、却下とする。
◆◆
およそ一ヶ月も経ったある日、二人が帰って来た。
「おう、帰ったぞー」
「参ったわホント、でもこれで終わりかしらね」
そう言いながら帰って来た二人の姿に、俺は言葉を発することが出来なかった。
「冒険者稼業は引退ってことになりそうだな、まあしゃーねえな」
「ゼンは炉を作っていいわよ。でもまあ、蓄えはあんまし多くないから、ここに長くはいられないかもしれないけど」
簡単に言ってくれる両親のその宣言は、正しく状況を語っている。
続いて入って来た狐っぽい獣人の男性が、恐らくはこの二人を助けてこの家に送ってきたのだろう。
男性の顔色は悪く、沈痛した表情を隠さない。
引退する。すなわち、収入がなくなるということだ。
この世界で右足を失った母さんと、左腕を失った父さんは、もう冒険者としては、やっていけないのだろう。
出来るところまでは毎日、あるいは隔日で1話投稿を続けるつもりです。
次回は3/30 12:oo予定




