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伯爵令嬢の逃走劇

作者: 白居青




「後宮でローザの侍女として支えろ」


自宅の執務室に私を呼び出したかと思うと、お父様はそう告げました。

ローザとは私の二歳下の妹で、数日前に王子であるノイン殿下との婚約が決まったばかりです。

王子に側室などはいませんが、後宮は陰謀渦巻く所ですし、ローザが不安でも零したのでしょう。


「はい、承知しましたわ」


なんて、言うとでも思いましたか?

何故私が、妹に仕えなければなりませんの?

意味が分かりません。

最近おかしいと思っていましたが、まさかここまでなんて。

元より前妻の娘である私より、後妻の娘で派手な顔つきの妹を優先させる人ではありました。

けれど流石にこれは。


私がいなくなったら、誰がこの家を継ぐのです?

貴方がしなければいけない書類の半数を、一体誰が処理していると思っていらっしゃるの?


そもそもノイン殿下は王子であり国王陛下の嫡男ですが、次期王ではないのです。

なのでローザが入るのは王宮内ですが、後宮ではありません。

後宮は陛下の為にあり、その後は次の王である王弟殿下に継がれるのですから。


元々、現王である陛下は先王陛下とそのメイドさんの間に生まれた方で、王位継承権はありませんでした。

けれど先王陛下が崩御なさった際、時の王太子であった王弟殿下がまだ幼く、政務を行える状態ではありませんでしたので、臨時の王として現王陛下が即位なさったのです。

弟の準備が出来たら必ず、王位を還すと約束して。


それを、何を勘違いしているのかノイン殿下…いえ、もうノインでいいですわね。

ノインは、王子だからとやりたい放題。

学園でも良い噂は聞きませんでした。

しかもそれにローザも関係していたようで、何度私がしなくていいフォローをしてあげた事か。

彼女等は知らないでしょうけど。

まあ私も数ヶ月前に学園を卒業してしまったので、それもなくなりました。

既に歪みは出始めているようで、校内の雰囲気が例年よりも何処か重苦しいと、一つ下の子が言っていました。


ローザが…妹がどんなダメ男と結婚しようが私は構いません。

けれど、私がその被害を被るのはごめんですし、ましてやその渦中に飛び込めだなんて!

私には妹に仕える気も、妹の為に命を捨てる気もないのです。


それにしても、お父様は自分が口にした事の意味を、分かっていらっしゃるのでしょうか?

ローザが後宮に入る──それはつまり、ノインが王位を継ぐと言っているのだという事を。

下手すると反逆罪と取られてもおかしくありません。

人の揚げ足を取って回るのが、貴族というものですから。

お父様が何を考えているのか、私には分かりませんが、間違った事をなさらないよう祈るばかりです。

例え親子であっても、一蓮托生、比翼連理という訳にはいきませんし。



そんな事を、私は荷物をまとめながら考えていました。

何をしているか?

勿論家出の準備です。

何時何があってもいいように、数年前から少しずつ用意しておいたのです。


幸いな事に、家の者───お父様とお義母様、妹以外ですが───は私の味方ですから、色々と手助けをしてくれました。

メイドの子が市井に紛れられるような服を買ってきてくれたり、護衛の人達が避難経路を教えてくれたり。

その所為で彼等がお父様に咎められると困りますから、手紙を用意しておりますし、容易に転職出来るように私の名前で紹介状も渡してあります。


「ではよろしくね」


私が育てている伝書鳩のアイビーに、手紙を持たせて飛ばしました。

宛先は私が学園でお世話になった先生の所。

就職先として、当てにしている人でもあります。

何かあったらすぐに連絡しなさいと言われていたので、有り難く利用させて頂きます。


本当は国外に逃げる事も考えていたのですけれど、私は所詮貴族として育てられた小娘でしかないのです。

国を渡るまでにどこか脚がついてしまうでしょうし、その後もまともに暮らしていけるとは思いませんから。


その点先生の所なら安心です。

望まれているのは、先生のスケジュール管理と少々の雑務ですから、執事兼侍女のようなものです。

それに似たような事は、学園でもやっていましたし。


先生は私が一年の途中に、歴史学の特別講師として学園にいらっしゃったのですが、薬草学の学者としても優秀で、そちらの研究に熱中し始めると食事すら摂られないのです。

歴史の講義も欠席する事数回。

それを迎えに行き、かつ私が薬学に興味があったというのが切欠で話すようになり、色々とお世話して差し上げていました。

生徒である私が、先生をお世話というのも可笑しな話ですが。

そんな訳で、仕事というより数ヶ月前までやっていた事を再開するだけなのです。



先生からは、直ぐ様了承の返答が送られてきました。

お父様達を油断させる為にも数日は大人しくしておかなければならないので、三日後の夜伺う事を記し、もう一度アイビーに頑張ってもらいます。

そのままアイビーを預かって下さるよう言付けも添えていますので、後はゆっくり休んでくれるでしょう。


「本当に、行ってしまわれるのですか…?」

「ええ。…貴女達には迷惑を掛けるわね」


私の侍女であるルリ。

十歳の頃に行儀見習いとして我が家に来て、そのまま私に仕えてくれている子。

彼女には明後日から暇を出す予定です。

どちらにせよ、侍女になる私には必要なくなりますから。


「…私も…っ」

「それは駄目よ。……落ち着いたら、貴女も雇ってもらえるようお願いするから」

「でも…それではルエラ様をお守り出来ません…!」

「私なら大丈夫。先生がいらっしゃるもの。それに、貴女に何かあったら、その方が困るわ」


ね?と念押しすると、ルリは渋々ですが納得したようでした。

私の一番の友人で、かつ姉のような、母のような存在でいてくれたルリ。

ルリには私など忘れてしまって幸せになって欲しいものですが、生真面目な彼女のこと、ずっと待っていてくれるのでしょう。

私が無事だと確信出来るまで。

ルリの為にも、私は頑張らねばなりません。

まずは、屋敷内の整理から始めましょう。




約束の日がやってきました。

その間に私は向こう数週間分の書類を片付け、私物の処分を行っておりました。

先生の所へ持っていくのは、最小限の服と日用品、それからお母様の形見であるネックレスだけ。

本当ならお母様の遺したものはたくさんあったのですが、お父様が再婚した際にお義母様が全て燃やしてしまいました。

なのでこのネックレスが、唯一の形見なのです。

他の私が持っていたドレスや宝石は全てこっそり換金し、執事のクリスに渡しておきました。

これで我が家の財政が破綻しても、使用人が逃げられるだけの余裕は出来たでしょう。

ところで私が持っていたはずの、ピンクダイヤのイヤリングが見当たらなかったのですが、どこへいってしまったのでしょうか。

もしかして、ローザがまた悪い癖を出したのかしら?


今日は朝から殊更大人しく、家族には体調が悪いといって部屋に引きこもっています。

この三日間で、お父様は何度かクリスに私の様子を訊ねたようですけれど、いつも通りと報告されているので、疑問にも思われません。

残念ながら、クリスは私の味方なのでそれは真実ではないのですが。


夕方からお義母様とローザは、夜会へと行ってしまいました。

ゲルン侯爵家で催されているそうで、楽しそうに出て行きました。

私と侯爵子息のミハエルは学園の同じクラスで、それなりに懇意にしていた事もあり招待して頂いたのですが、私には一言もありませんでした。

体調が悪いとは言っていますし、その方が都合も良いのですが残念です。

ただ、ミハエルには悪い事をしてしまいました。

彼はローザを少々苦手にしているようですので。


お父様はお義母様達が出てすぐに、辻馬車でどこかへ出掛けたようでした。

恐らくどこか裏の賭博場である、怪しげな密会に出るのだと思います。

私の調べでは不定期に、それなりの立場の方々が集まっていらっしゃるようです。

くれぐれも妙な気を起こさないように、と祈るばかりですが、私が言っても聞きはしないでしょう。

彼らが王子派と呼ばれているというのは、私としては愚かだとしか思えませんが。


そんな訳で、屋敷には私と使用人だけ。

これは出ていく絶好の機会と言えます。

こうも都合がよく事態が動いているとなると、どこかで痛い目に合うような気がしますが、今は考えないでおきましょう。

地味な茶色と白のワンピースに着替えて、ちょうど帰るという下女と一緒に裏口から出ていく事にします。


未練はありません。

後はクリスがなんとかしてくれるでしょう。

父はクリスに全幅の信頼を寄せていますので、容易に騙されてくれるはずです。

この家に何が起ころうと、もう私には関係のない事です。

薄情と思われるかもしれませんが、親子で殺し合う事も珍しくない世界ですし、私が直接どうこうする気はありません。

それに、親子であっても義理や情は廻るのです。

私には返すべき義理や情も、ないのですから。





「…そこのお嬢さん」


突然背後から聞こえた低音に、私が震えかけた肩を抑え振り返りました。

そこには、褐色の外套に身を包み、くすんだ金髪で顔の半分程を覆った冴えない容姿の男性が立っていました。


「先生……驚かせないで下さい」

「悪い。でもこんな時間に一人で出歩くな。…約束までまだあるだろう?」

「父も母も出掛けたので…。まさか、迎えに?」


先生は肩を竦めると、私の先を歩き始めました。


「…先生、」

「俺はもうお前の先生じゃない」

「……では、殿下」

「人に聞かれたらどうするんだ」

「………ウィリアム様」


殿下──ウィリアム様は満足げに一つ頷くと、夜会でエスコートするように私の腕を取りました。

日の暮れた王都に人影は少なく、家庭からのざわめきと温かな匂いが漏れてくるばかりです。


学園で歴史を教える冴えない教師ウィリアム・オウラが、王太子ウィリアムだと知る者は殆どいません。

学園でいうと、学園長様と一部の教師、それから私だけでした。

甥である筈のノインさえ知りません。

私が知っているのは、先生のお世話をしていた内に、素顔を見せて下さるようになったからです。

それほど頻繁に…というより、私の知る限り一度も、私以外の学生が先生の元を訪れた事はありませんでしたから、いつの間にかご自身の研究室では素顔を出されるようになっていました。

最初は国一の美男と呼ばれる容貌を見る度緊張していましたが、暫くするとそれも見慣れてしまいました。

それよりも、先生の生活能力の無さに気力を必要としましたから。


「夕食は?」

「まだです」

「食べて帰ろう。歓迎会とでも思ってくれ」

「…ありがとうございます」


一方的に迷惑を掛けてしまうのに、歓迎と言って下さる優しい人。

ウィリアム様が案内して下さった食堂は賑やかで、大衆向けの食事も、貴族の豪勢なだけの冷めた料理よりも余程美味しく、幸せに感じました。




ウィリアム様が教師としての隠れ蓑用にしている小さめのお屋敷に来て十日。

私は忙しい日々を送っていました。

ウィリアム様は使用人も雇わず、屋敷には護衛騎士のカールに、乳母でもある侍女ヴィオラ、料理人で侍女の夫エドガーしかいないので、人手はいくらあっても足りません。


私の事については、どうやら誰かに攫われたと世間ではなっているようです。

街中にも捜索の手が伸びているようですが、この家までは来ません。

ただ、私はその所為で一歩も外に出られないのですけれど。




「 ──半年、だそうだ」

「……え?」

「俺の戴冠式までだ」


朝早くに呼び出しのあった王宮から戻ると、ウィリアム様は至極嫌そうに私に告げました。


本来なら、王位の交代は数年前に済んでいる筈でした。

ウィリアム様は現在27歳。

王になるに若過ぎるという事もありませんから。

それなのにウィリアム様は薬草学の研究を理由に王位継承を先延ばしにし、今まで逃げ回っていたのです。

それも、限界が来たという事なのでしょう。

既に、馬鹿な事を考える人が出始めているのですから。


「ノインが…」

「え?」

「ノインとその周辺がきな臭い動きをしているようだ。……反逆罪は王家であってもヴェネノ刑と決まっている」

「…大丈夫です。家を出た時に如何なる覚悟も致しましたから」


ヴェネノ刑というのは、ヴェネノ草という致死率100%の毒草で作られた劇薬による死刑です。

ちなみに反逆を起こしたのが普通の貴族であった場合、爵位に関わらず打ち首となっています。


ウィリアム様は目を細めると、緩く結っていた私の髪に手を滑らせました。

その仕草は今まで、学園にいた頃にはなかったもので、私はウィリアム様の指先が触れる度に、心臓が大きく震えるのを感じていました。


「アルチェの葉が色付いたら、暫く出掛ける。お前はここで大人しくしていろ」

「……はい」


アルチェとは秋になると紅く葉の色を変える木です。

という事は、あと一月もすれば全てが終わるにでしょう。

大人しくしていろと言われたからには、私にすべき事はありません。

この屋敷で、見守っていようと思います。


「……ルエラ」

「何ですか、ウィリアム様」

「……いや、温室の世話を頼む」

「勿論です」


ウィリアム様の温室には、貴重な薬草や花がたくさんありますから、世話を怠る訳にはいきません。

他にも何か、言いたそうな顔でしたが、私は見ないフリをしました。




ウィリアム様の言った通り、アルチェの葉が紅くなる頃に、事態は収束しました。

ウィリアム様とカールが出掛けた次の日、ノインや王子派と呼ばれる貴族達が、全て捕縛されたのです。

ノインとその一派は、王弟殿下暗殺の計画を企てていたという事でした。

その中には勿論、お父様とお義母様、ローザもいます。


そして私は何故か、この騒動の功労者として名前が上げられていました。

家でじっとしていただけなのに、どういう事でしょうか。

ウィリアム様が気にするな、と仰ったのであまり深くは追及しませんでしたが、よく分かりません。

取り敢えず、お父様の責任をとって私まで処刑、という事にはならないようなので、良しとしておきます。




「ルエラ」

「………はい」

「緊張してるのか?」


揶揄うような声色に、私は強ばっていた顔を少し和らげました。


「当然です」

「そうか」

「はい」


あれから五ヶ月。

どういう訳か、私は純白のドレスを来て教会にいます。

胸にはお母様のネックレスを下げ、隣にはウィリアム様が立っています。

本当に、どうしてこうなったんでしょうか。


「あー、ルエラ」

「はい?」

「本当に、いいのか」

「…今更でしょう」

「……それも、そうだな」


今から式が始まるというのに、何を言ってらっしゃるのでしょう。

それよりも、愛の言葉でも囁いてくれたらいいのに。

口下手で、不器用で、無愛想なので、期待はしていませんけれど。


「後宮を壊そうと思うのだが」

「………え?」

「王宮の温室は狭すぎる。誰も住まないなら、必要もないだろう」

「………そう、ですか」

「ああ」


それは、何よりも甘美な睦言でした。

明日、正式な国王となる方が、私以外いらないと言って下さったのですから。

私には、それだけで十分でした。

いつから、というのは分かりませんけれど、私の中には確かな感情が実を結んでいました。



「…ウィリアム様、」

「…何だ」

「ずっと、隣にいて下さいね」

「……ああ」







end.







ルエラ…シルエラ(西語で李)

他女性名は全て花の名前から引用しています。

アルチェやオウラなども西語ですが、舞台がスペインという訳ではなく、語感が合うように合わせただけです。

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― 新着の感想 ―
[一言] こういう王道なお話大好きです♪ ただ勿体無いのは短編という事でしょうか かなり端折った感があり ウィリアムと主人公の出会いや恋愛や結婚への移行、 義母や妹との絡みもなく、ほとんどが主人公の独…
[気になる点] 短編だからこう言うのもどうかと思うけど、逃走劇と題をうったわりに主人公に劇的な動きがあるわけでもなく、単純に地位のある人にかくまって貰っただけで逃走する行為じたい実質存在しないのが残念…
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