占い師村上の姓名判断
村上はのんびりとした気持ちで大通りを歩く人を眺めていた。会社帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦、部活帰りの学生。大半が悩みを抱えていそうな暗い顔をしている。しかし、誰も露店に貼られている《本日の占い料金千円》という広告に関心を抱く様子を見せない。それどころか、こんなところに露店なんて邪魔だよ、と言いたそうな顔をしながら通り過ぎていく始末だった。
時刻は午後七時。日はすっかり沈み、秋の夜風が村上の体を震わせる。いかにも占い師っぽく見せるために身に纏った防寒用の黒いローブは効果が薄いようだ。村上は大きなくしゃみを三回して、鼻水を啜った。
「あー、寒っ」
そろそろ店じまいする頃合かもしれない。今日の売り上げは夕方、茂樹幸一郎という背の高い大学生に頼まれた四柱推命で得た千円のみ。終始リラックスしていた様子から推測すると、おそらくゲーム感覚で来たのだろう。
もっとも、茂樹は村上の評判を知っているみたいであった。
村上は露店を開く場所をころころ変えてしまうため得意客などいないが、よく当たる占い師として中々の有名人である。当然の結果だろう。約一千人の手相や名前はもちろんこと、誕生日に性格など色んなデータを取ってから仕事に臨んだのだから、村上自身、占いではちょっとした矜持を持っていた。
白いシーツが被せてある机の足を折りたたもうと、椅子から立ち上がった。
すると、
「あの、占ってもらってもいいでしょうか?」
閉店間際になって二人目の客が相談にやってきた。二十代半ばの若い女性だ。最初の大学生とは違って深刻そうな顔をしている。
「もちろんいいですよ。さ、座ってください」
「ありがとうございます」女性客は椅子に座った。膝の上に水玉模様の手提げ鞄を乗せる。
村上も再び腰を下ろした。ついでに女性の格好を確認する。
やや癖のある豊かな黒髪、抜けるような白い肌、大きな目は無邪気というよりも子供っぽい印象を受ける。どこかの良いとこ育ちだろうか、上品な雰囲気が漂っていた。服装は秋らしさをイメージしているようで、フリル付きブラウスの上にベージュ色のカーディガンを羽織っており、茜色のプリーツスカートと上手く組み合わせている。首にかけてあるペンダントの中心で青白く光っているのは、サファイアによるものだ。
村上は、目の前の女性はきちんと料金を支払ってくれると判断した。占いの結果に文句をつけることもしなさそうである。占いの結果の善し悪しで料金の支払いを拒む者がいるため、この見極めはとても重要なのだ。
「さて、何の占いをしましょうか」村上は机に貼られている占いの一覧表を差した。「四種類の中から選んでください」
一覧表には上から“姓名判断”、“タロット”、“四柱推命”、“手相”と書かれてある。どれも勉強と研究を重ねてきた得意分野である。
「姓名判断でお願いします」女性は初めから決めていたかのように即答した。
村上は頷くと、水晶玉のわきに束ねてあった縦横二十センチほどの白紙の用紙を一枚、それとペン立てからボールペンを一本手に取り、女性に渡した。
「そこにあなたの名前と生年月日を記入してください。画数と誕生日から――」
「ちょっと待ってください。占ってもらいたいのは私ではなく、私の子供なんです」
「と、言いますと?」
「私は今から一週間前の検査で妊娠していることがわかったんですけど、その日から夫と子供の名前をどうするかという話し合いが始まり、未だに決着がついていないのです。子供には幸せになってもらいたいというのが親の願いでして。命名するならその子に運が向いてくるような名前にしたいんです。そこで先生の姓名判断で、最も幸福になれる名前を決めてもらいたいのです。先生の評判は口コミで知っていまして、今日見かけたのも何かのご縁だと」
村上は困ってしまった。
姓名判断には誕生日を利用しなくてはならない。出産しているならともかく、これから生まれる予定の 相手を占うのは難しいのだ。
しかし、今までに例のない依頼ではなかった。水晶玉を撫でながら人の好さそうな笑顔を女性に向ける。
「僕の姓名判断では生年月日が確定している必要があるんですけど……いいでしょう。名前だけでもある程度の運気がわかりますし、占ってみましょう」
「よろしくお願いします。あ、自己紹介まだでしたね。私は浅野麻里子と申します」
そう言って、女性――浅野はスカートのポケットから携帯電話を取り出し、ボタンをいくつか押した。
「画面に赤ちゃんの名前の候補が表示されています。ご覧になってください」
携帯を受け取り、村上は画面に目を通した。
「……え」
目を見開き、結んでいた唇が開いた。試しに携帯をひっくり返したり、裏返したりしてみたが、文字列に変化は見られない。
名前の候補。それはどれもこれも酷かった。難読漢字のせいで読めないのもあるし、常軌を逸した読み方をするものもある。さらには口に出すのも恥ずかしくなる卑猥な単語も候補として上がっていた。近年、奇天烈な名前を持つ子供が増えてきているが、その無茶苦茶な名前を選んでくれという相談は村上ですら予想外の事態だ。
「ええと……」
「どうです、いい名前だと思いませんか?」
「そ、そうかもしれませんね」
村上は取って付けた笑顔を浮かべながら、ローブの裾で額に流れる汗を拭った。やけに体が熱い。さっきまでの肌寒さはどこへ行ったのだろう。
「思いつくのにさぞ苦労したでしょう」
「はい。ああでもない、こうでもないと試行錯誤の毎日。大変でした」
大変なのはお前の頭だ。村上は心の中でツッコミを入れた。初見で”道夜騎士”や”瑠璃石”と読んでくれる人間がどれだけいるのだろうか。仮にも人の親になるのだから、もう少し常識を持ってもらいたいものである。
もっとも、「子供の名前をペット感覚で付けるな」と怒るつもりは毛頭なかった。村上は占い師であって、浅野の恋人でも血縁者でもないのだ。
しかし、ここで何も手を打たないのは論外である。村上には何とかしてやりたいという思いがあった。
頭を悩ませている様子をどう捉えたのだろう。しばらくしてから浅野が窺うような口調で尋ねてきた。
「どれが子供の名前に相応しいか決めてくれましたか?」
「……それを教える前に、一つお尋ねしたいことがあります」
「何でしょう」
「子供の名前保護団体という組織はご存じですよね。もし彼らがお子様の改名を要求してきた場合どうするつもりです?」
子供の名前保護団体とはNPO法人の一つだ。活動内容をざっくばらんに言ってしまうと、生まれた子供の名前を調べて、その名前が将来の生活に支障をきたすかどうかを話し合うのである。問題ありと判断された場合、市役所が出生届を受理してしまう前に、親に対して子供の改名を訴える。
村上は言葉の裏に隠された真意――お前が考えた名前はどれもおかしいという主張が伝わることを願った。
浅野は上品な笑みを浮かべ、
「心配いりませんよ。どれも素敵な名前ですから」
と答えた。迷いのなさそうな澄んだ瞳が返って恐ろしい。
これは手に負えないかもしれない。村上は呆れるとともに、浅野が産むであろう子供の将来を悲観した。周囲からのいじめ、人間不信による引きこもり、落ち続ける会社の面接。もはや姓名判断などするまでもなく、新たな生命の運勢は”大凶”である。
姓名判断?
突如、村上の頭に電流が走った。
「浅野さん」
「はい」
「子供の名前を決めるにおいて、なぜ占い師の意見を聞こうと思ったのですか」
「先程申し上げた通り縁起担ぎですよ。私も主人も占いの結果をわりと気にする方なので」
村上は内心でにやりとした。なぜもっと早くに気づかなかったのだろう。目の前の問題を解決する簡単な方法があるではないか。
「なるほど」努めて冷静な口調で、村上は言葉を発した。「縁起担ぎ。とてもいい心がけだと思います。しかし、残念ながらこの中に幸運をもたらす名前は何一つありませんね。どれもこれも画数や漢字の関係性から判断すると、非常に都合が悪い。最悪ですよ」
「そんな」
浅野の顔がどんどん蒼白になっていくのが見て取れた。今のところ訝る様子は見られない。
もう一押しであった。
「いいですか、肝に銘じておいてください。この一覧表に載っている名前を子供に付けてしまうと、その子に災難が降りかかり、人生を棒に振るでしょう。子供の名前保護団体のようなところで相談し、新しい候補を決めなさい。その名前でまた占って差し上げますよ」
村上は厳かな表情を崩さないまま、正方形の用紙に自分の電話番号とメールアドレスを書いて浅野に寄越した。
流れる沈黙。浅野は瞬きもせずに村上の連絡先を見つめ、やがて小さく頷いた。
「そうですか。私と夫が考えた名前がどれも駄目なのは残念ですけど、子供のためですもんね。おっしゃられた通りにしてからまた来ます」
「いつでもどうぞ。特別サービスしておきますよ」
「ありがとうございました」
椅子から立ち上がり、浅野は笑顔で頭を下げた。
「お疲れ様でした」
浅野が店から立ち去り、村上が今度こそ店じまいの準備をしていると、長身の若者が声をかけてきた。
今日占った一人目の客――茂樹幸一郎である。知的な顔は全く寒さを気にしていないかのようだ。
「どうしました。何か忘れ物でも?」
「違いますよ。作戦が成功した今の気持ちを聞きたいんです」
「作戦?」
「惚けなくていいですよ。こっそり全部聞いていましたから」
いけしゃあしゃあと茂樹は言い放ったが、立派な盗み聞きである。
「どうしてそんなことを」
「たまたま通りかかった時に見かけまして。面白そうだったからつい」
村上は溜息をつくのと同時に、次からは誰にも聞かれないよう注意を払わなければいけないと反省した。
「で、感想は?」
「やれやれ……」
口の軽い人間は信用されない。しかし、今日はいつもより精神的に疲れているのだ。愚痴っぽく口を滑らせてもいいだろうと勝手に決めた。
「……ま、相手が占いの結果を気にするなら、占い師の言葉だって気にするはずでしょうからね。うまくいって良かったというのが正直なところです」
「僕も妊婦さんが考え直してくれてほっとしましたよ」茂樹は微笑を浮かべた。「でも、子供の名前保護団体でしたっけ。インターネットで見たことありますが、信用のおける組織なんですか」
「もちろん」村上は断言した。「みんな良い奴ですよ。僕が占いをやってみたいって言ったら、数多くのデータを取らせてくれたんですから」
「もしかして、あなた」
「ご察しの通り、僕は団体のメンバーです。ちなみにホームページでは被害者の一人として掲載されていますよ」
「被害者……あ」
どうやら事情を察したらしく、茂樹はお腹を抱えて笑いだした。
「笑わないでください。名前のおかげで大変な目に遭ってきたんですから」
村上は赤面しながら片付けの作業に戻った。