飛ばされた場所と回想
あちゃー。今度は私かー。しょうがないな。
しかし、もう夕方なのに、空が青いってどこまで飛ばされたのかなあ?
『よいしょっと。』
もそもそ起き上がると、周りは草だらけ。でも、下はレンガだ。
バタバタと車のドアの音がいくつも聞こえる。
人が居るのか!助かった。
・・・金髪のメタボ腹のおじちゃん。
赤っぽい髪のおばちゃん。
もちろん日本語は通じないだろうな。どうする?って思ったら、あれ?これドイツ語だ。
第2外国語に選んでるから、簡単な会話は分かる。
(これがあるから、今の学校を選んだんだよね。よかった。)
『あのー私、日本人です。さっきまで学校にいました。ここはどこですか?』
黙って後ろを指差すおじちゃんおばちゃん。
『あっ!ここって!』
おととし来た、大おばさんの町のお城じゃん。
頑張って勉強して、地元お嬢様学校に通い始めた4月。たった一人の家族のおじいちゃんが亡くなった。
親戚が集まると、「本当にもっちゃんはいい子だ。勉強もちゃんと頑張って、制服も良く似合うだろう?」嬉しそうに自慢して、親戚中に「過保護だなー目に入れても痛くないだろう?」と、からかわれていた。
もう、85歳で大往生だけど、一人になるとさみしい。それにこれからどうしたらいいのか・・・
お葬式の席で、何もできず呆然としていると、親族会議が始まった。
そして、お父さんの弟一家(もう10年ほど会ってない)がうちに越してくる事になった。
見たことないけど、従兄(たぶん小学生男)が3人いるはず。
お互い生活が楽になるだろうとの配慮だ。
まあ、広い田舎の家だし、さみしいよりいいか。
・・・とか、のんきに思っていた自分がいたっけなあ。
弁護士さんと親戚が立ち会い、家賃も取らないし、全部使ってくれていいし、ご飯だけもう一人分用意してもらえれば・・・という条件だったんだけど、あっという間におばさんとうまくいかなくなってしまった。
去年手術を受けたばかりの身体はまだ弱く、しょっちゅう体調を崩す。
2階の奥の部屋で目が覚めると、下から声が聞こえる。
「あの子ばっかりいい思いして!大きな家を貰って、悠々と一人部屋使って!いい学校に行って!生活にも困らない!一体何様なの?うちの子だって同じ孫なのに!」
『・・・お腹痛い・・・頭痛い・・・』
熱は下がらないけど、学校にはなんとか登校した。
そして、学校で倒れた。救急車で運ばれ、そのまま入院することに。
「どれだけ迷惑かけるの!もうこの子育てられない!」
ごめんなさい・・・。
どうしよう・・・まだ5月だけど、家には居られないかも。
寮はないし、他の親戚だと引っ越さなきゃならないし・・・学校入ったばっかりだし。
「調子はどう?」突然病室に現れた、大おばさん。
(おじいちゃんの一番下の妹。おじいちゃんとは年が離れてて、まだ62歳)
『わざわざ来てくれたの?ありがとう!嬉しいー』
「様子はどうかと思って家に行ったら、病院に運ばれたって言うし。ビックリしたわよー・・・ところで、この人、誰かしら?」
『おばさんです。お父さんの弟のお嫁さんで、今一緒に住んでるんです』
「育てられないって聞こえたけど、何の話?」
「もうイヤー!この子ばっかり可愛がられて!うちの子はどうなるの!」
「あなた、葬式にすら出てこないのに、嫁も孫もないでしょ。両親揃ってるんでしょう。何言ってるの。」
おばさんでは興奮して、らちが明かないので、大おばさんが先生の話を聞いた。
「一度にいろいろ大きな変化があったので、身体が悲鳴を上げてるね。手術の傷も治りきってないし、ちょっと、学校もお休みして、十分な休養を取るように」と言われた。
「うちに居らっしゃいよ!夏も涼しいし、いい所よー?」
「贅沢させないで!」
そういえば、先月そんな事があったなあ。
ぼんやり思い出す。
結局、退院してからも家から学校に通ってる。
家では誰とも口をきかなくなったので、前より楽だし。
ほとんど学校にいるしね。