攻防戦2
ライは乃愛の手首を掴んだまま、リックの方を振り返って言った。
「すぐにここを出るぞ」
「もう帰るのか?」
「あぁ、あまり長居しない方がいいだろう」
ライの言葉を聞いて、ライと乃愛の所にリックが近寄ってきた。ライは周囲を見渡しながら言った。ライたちの側には先ほど乃愛を突き飛ばした男が、腰を抜かし、あれだけ暴れまわっていたのが嘘のように顔を真っ青にしていた。他の客達は店の隅の方で、ライたち三人のことを興味深そうに見てはこそこそと話をしている。ダグラス一家は子どもたちの方は驚きすぎたのか呆然としているが、ダグラス、ジェナの二人はやはり驚いてはいるが普段の乃愛の様子からある程度予想はしていたのかそれほど衝撃を受けているようではなかった。店内を見回すと、リックはライに聞いた。
「この男どうするんだ?」
「別にどうもしない。する必要もないだろう?面倒くさい」
「いや、面倒くさいって言ってる場合じゃねぇから。何か処罰はあるべきじゃねぇか?知らなかったにしろ、神子に暴力を振るったんだから」
神子が現れるとこの国では王妃となるのが慣例で、神子への待遇は王族への待遇と同じか、それ以上と言われている。それにより、神子に対して罵ったり、暴力を振るえば、その者は極刑に問われてもおかしくないのだ。例え、相手が神子ということを知らなかったとしても神子本人から訴えがあれば確実に罪に問われてしまう。
「この男のおかげで神子を見つけることができた。だから、暴力を振るったことについては不問だ。それに、神子がこの男を罰することを望んでいない。そうだな?」
そう言ってライは乃愛に視線を落とす。男の可愛そうほどの怯えように乃愛は首振り人形のごとく、こくこくと必死に上下に首を振った。
「この人すごく反省してるみたい。私もどこもケガしてないし、隠してた私が悪いんだから、今回は何も見なかったことにして」
(それに神子に暴力を振るったために罰するっていうのは、私が神子ってこと周りに言いふらしてるみたいじゃない。本当はすぐにでも元の世界に帰りたいのに)
「…そこまで言うなら、今日だけは見逃してやってもいいが、次はねぇ」
リックは乃愛の内心など知らずに、懇願する眼差しに負けて短く息を吐き、男に向かって脅かした。そして、話は済んだと言わんばかりに、男の存在をきれいに頭から消して、リックはライに体ごと向き直り、城に帰るための話を再開させた。リックの視線から完全に外れると、男は一目散に店の外に飛び出した。ライとリックの二人以外は男の慌てように唖然として見ていた。
「さてと、馬は近くに繋いであるから俺の方は別に構わないけど、この子の方はすぐに出発しても大丈夫なのか?」
「別に持っていくものもないだろうから、平気だろう」
「いや、そういう意味じゃなくて、ちゃんと話をさせてあげなくてもいいのかっていうことだよ」
「話?」
「そう。城に入ったら、もう一生会えなくなるかもしれねぇんだ、20日も過ごしてなかった場所だろうけど、ちゃんと話させてあげた方がいいんじゃねぇの?」
リックは、ライに手首を掴まれたまま、二人の会話に大人しく耳を傾けている乃愛に目をやる。すると、二人の顔を戸惑いながら交互に見比べていた乃愛と視線が合ったが、その瞬間乃愛は勢いよく顔を背けた。そんな、乃愛の反応にリックは苦笑して、ライにどうするのかと視線で問いかけた。ライはリックの問いかけに、少し考える仕草をすると乃愛に聞いた。
「世話になっていた者たちに別れを言いたいか?」
乃愛は背けていた顔を、思ってもいなかったライの言葉で二人の方に戻していた。そして、視線を僅かに下げて言った。
「…ちゃんと、お別れを言えるのなら言いたい。もう会えなくなってしまうのかもしれないなら、色々伝えておきたい、ことが、ある、の」
ダグラスたちと別れる寂しさからか涙が出るのを堪えるように乃愛は掴まれていない左手で服の裾をギュッと握った。その様子にライは乃愛の手首を離した。突然のことに乃愛がライの方を見ると、乃愛の髪を一束とり毛先に口づけた。その艶やかな仕草に乃愛が見惚れていると、ライが言った。
「話をさせる代わりに、それ相応の対価を支払ってくれるのだろうな?」
「えっ?対価…?私、そんなお金持ってない」
乃愛は戸惑ったように、パチパチと瞬きをした。
「別に対価といっても金を払えというわけではない。お前に金銭の要求をせずとも俺は金に困ってはいないからな。だから、対価といっても俺が許可したことに対する『礼』だ。俺はお前がどう行動しようが干渉はしないし、お前がやりたいのなら好きにすればいい。ただ、俺のことより自分がしたいことを優先させるんだ、それ相応の『礼』を期待してもいいだろう?」
「優先って、そんなつもりないけど。…お礼って何をすればいいの?」
「それは自分で考えろ。それとも俺の希望が聞きたいか?ちなみに聞いてからできないというのは無しだ」
ライの物騒な言葉に乃愛は全力で首を横に振った。
「いいです。遠慮しておきます。ちゃんと自分で考えます」
「そうか、残念だ。まぁ、お前の用意した『礼』を楽しみにしておく」
乃愛はライの期待に副うような『お礼』を用意できなかったときのことを考えて、どんな目に合うのか想像したくもなかった。乃愛はライの言葉に不満そうな顔をしていたが、ずっと気になっていたことについて思い切ってライに聞いてみた。
「…あの、えっと、もしかして、持っていきたいものがあるから待ってて欲しいっていうのにもお礼がいるの?」
「なんだ?何か持って行きたいのか?」
ライの不思議そうな顔と言葉に、少し躊躇った後、乃愛はこくりと頷いて言った。
「大切なもの、なの。私が『わたし』であるために必要なものなの。だから、お願い。みんなへのお別れの挨拶と唯一持っていきたい『それ』を持っていかせて欲しいの。一番の望みは帰ることだけど、でも、今はその二つ以外は望まないから、だからお願い」
乃愛の必死な様子にライはポンと頭に手を置いた。そして、よしよしと頭を撫でるとかすかに微笑んだ。乃愛は突然のことに目を丸くして驚いていたが、次の瞬間にはライは元の不敵な笑いに戻り、尊大な態度で言った。
「それがお前の望みだな。それならば、二つとも礼をして貰う、としておきたいところだが、お前の一番の望みとやらを俺は聞いてやれそうにないからな。特別に一つは無料にしておいてやろう」
先ほどの見た笑顔が見間違いだったのかと思うような何度目かになる偉そうな態度に、乃愛はひそかに青筋を立てたがここで怒ると話が進まなくなると思い、怒りを収めて気持ちとは逆に表面上はニッコリ笑って言った。
「ありがとう」
その乃愛の可愛らしい笑顔とお礼に、乃愛が心の底では怒っていることに気づいていながら、ライは不覚にも胸が高鳴った。
なんかあまり進まなかった…。次こそは進めるぞー!!(…たぶん)