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三 薬剤師

三 薬剤師

「やっぱり甘いものがいいわよね」

 何を言われるか考えると気が重い。

 すべて私が悪いのは分かっている。だから謝り倒すしかない。

熊本市内の繁華街で実家と北村家に渡す菓子折りを買った。こんなもので帳消しにしてくれるはずはないけれど、手ぶらというわけにもいかないだろう。

サダヲからは毒消し丸を持たされた。

美緒は、風呂敷を背負って、歩き始めた。村へ帰る足は重く憂鬱だった。

 どんな顔をして会えばいいのだろうか。

なんて謝ればいいのかわからなかった。

 林太郎は怒っているだろうか。

怒っていればいい。でも、優しいから、怒っていないと思う。それがわかるから、会いづらかった。

私なんか、嫌われて、捨てられればいいのだ。そうしたら気が楽になるのに。

 でも、林太郎は絶対にそういうことをしない男である。

 林太郎は決して私を憎むことはない。優しく、辛抱強く支えてくれる、本当に素晴らしい人間だ。

 美緒は分かっていた。

 お父さん、お兄ちゃんたちも、北村のおばさんも、幸太も、みんな絶対私を切り捨てることはしない。

 結婚する前によく考えればよかったのか。

 峠の道のりは、あの時必死で逃げた時よりも長く感じた。

 木々の間から海が見えた。

 太陽の光が波間を輝かせている。

「美緒ちゃん!」

 林太郎が駆けてきた。

 なぜ私が帰るとわかったのだろう。不思議だ。

 林太郎の顔に美緒に対する嫌悪感はなかった。

 涙が込み上げてきた。

「林太郎、ごめんなさい」

 涙を拭う。

「おかえり」

 林太郎は穏やかに笑った。

 家に帰る途中、村の人たちとすれ違う。

「跳ねっかえりもんが帰ってきたばい」

「たいした女ん子たい」

 村人たちは呆れていた。

「お父さんが心配しとらしたばい」

「腹ん立てとらしたばい」

 近所のおじさん、おばさんがこそっと耳打ちした。

 銀主の娘なのに……、みんなの期待に応えられなくてごめんなさい。

 美緒は会釈だけして通り過ぎた。

「ただいま」

 美緒は遠慮がちに玄関の扉を開けた。

 ほうきでぶたれるのも覚悟した。

「おじさん、美緒ちゃんば連れて帰ってきたばい」

 林太郎は明るく言葉をかける。

「旦那さま! 美緒さまが戻ってこらしたばい!」

 使用人が奥に駆けていく。

 正蔵が奥から飛び出してきた。

「美緒! このばかたれが」

 目を潤ませながら正蔵が美緒の頭を叩こうとする。

「おじさん」

林太郎はやめるように首を振った。

「林太郎くんに感謝せなんばい。結婚式の後始末ば、ぜんぶしてくれたとばい。村ん人たちに、丁寧に頭ば下げてくれたとよ」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 美緒は玄関で泣き崩れた。

 林太郎の兄である北村幸太は、いま東京に行っているので直接謝ることができなかったが、母の敏江には詫びることができた。

「やりたいことが見つかった?」

 敏江は美緒に優しく聞く。 

「私、薬剤師になろうかと思って」

「そりゃ、いいね。さすがだわ」

 敏江は大賛成だった。

「女ん子は結婚して家におったらよかとたい」

 正蔵は渋い顔をした。

「どうして? 女だから? 私、勉強が得意よ」

 むしろそれしかない。

 美緒は眉根を寄せた。

「この、西洋かぶれが。北村ん家のどこに不満のあっとや?」

「不満なんかない。林太郎のことは好きよ。でも、結婚は今じゃないの。私はもっと外の世界が見たいの。ここで一生過ごすのはいや」

 美緒は正蔵に食ってかかる。

「美緒ちゃんったら……」

 林太郎は嬉しそうに顔を赤らめた。

「林太郎君、そこじゃないから」

 正蔵は困ったように林太郎をみた。

「正蔵さん、そんなに怒らないであげて。美緒ちゃんはとっても優秀よ。こんな狭いところで収まる女子じゃないの。それくらい正蔵さんもわかっているでしょう。美緒ちゃんが薬剤師になったら、この家も安泰よ。いずれこの村に薬局をつくってもいいし」

 敏江が小さく微笑んだ。

「なるこつね」

 正蔵は頷いた。

「美緒ちゃんは勉強の好いとるけん、薬剤師にはたいぎゃ向いとると思うばい。おじさん、美緒ちゃんのことば許してやってくれんね。」

 林太郎が正蔵に頭を下げた。

 美緒も慌てて頭を畳に擦り付けた。

「林太郎くんに恥ばかかせといてな……、その林太郎くんから美緒ば許してやってくれっち言われたら、しゃーなかばい。美緒、林太郎くんに感謝せなんばい。そのかわり、薬剤師になっくるまでは、この家に帰ってこんでよかけん。」

 正蔵は奥に引っ込んでしまった。

「認められてよかったね」

 林太郎は美緒の頭を撫でた。

「林太郎、ありがとう。おばさん、本当にごめんなさい」

 美緒はもう一度畳に頭を擦り付けた。

「これからは女ん子の時代ばい! 負けんごつ頑張らなんばい!」

 敏江は微笑みかけた。


 薬剤師になるには薬学校にいかないといけない。

 薬学校ってどこにあるんだろうか。

 女子も通えるんだろうか。

お金もかかるよね。授業料っていくらなんだろう。

 松花堂に戻ってきた美緒は、サダヲから漢方薬や西洋薬について教えてもらいながら、店番をしていた。

最近送られてきた『薬剤誌』という雑誌を手に取る。

真ん中あたりまで読み進めると、薬学生募集と広告頁があった。

 これだ! 

美緒は目を輝かせた。

熊本にも薬学校があるんだ! 私、ここにいきたい。

ここなら通えるもの。

「叔父さん、私、熊本薬学校に入りたい」

「東京でなくていいのかい?」

 叔父さんは美緒に確認する。

「薬剤師になりたいから」

 美緒が答えると、叔父さんは笑った。

「美緒ちゃん! 元気しとっとね?」

 店のドアが鳴った。

 ドアに視線を向けると、入口には北村林太郎がいた。

「林太郎。いらっしゃい。どこか悪いの? 薬が欲しいの? 叔父さんがいるときだからちょうどよかったわ」

「今日は薬の欲しかとじゃなかとよ。美緒ちゃんに会いに来たとたい」

「え?」

 円満に結婚は解消されたのに。林太郎は、まだ私と仲良くしてくれるの?

 美緒は驚くと同時に胸が熱くなった。。

サダヲは気を聞かせて奥の調剤室に入っていく。

「別に結婚できんかったけんっち言うて、文句ば言いに来たとじゃなかばい。なんとなく、そぎゃん気のしとったとよ。きょうは、美緒ちゃん、薬学校に入るつもりやなかっかな〜っち思うてさ。ちょっと確かめに来たとたい」

「よくわかったわねえ。熊本薬学校に入ろうかと思って、叔父さんに相談していたのよ」

「やっぱり薬剤師になっつもりなんやね。美緒ちゃんやったら、なれるばい。サダヲさんから漢方薬の手ほどきも受けとるし、学校に行きゃ西洋薬も扱えるごつなるたい。化粧品とかも開発されよるみたいやし、美緒ちゃんやったら、たいぎゃ腕のよか薬剤師になれるばい」

 北村林太郎が微笑んだ。

「化粧品かぁ。それもいいんだけど、私がやりたいことは違うの。病気で困っている人に早く薬を調合して治してあげたいんだ」

「医者んごつ、調剤薬局がよかっち思うとやね。美緒ちゃんらしかばい。学費はどぎゃんすっとね?」

 林太郎は懐に手をやる。

「学費は心配ないよ」

 サダヲがカウンターから顔を出した。

「え? どういうこと?」

 美緒は振り返った。

「ここで働いてくれているだろう? おまえの給料はすべて貯めておいたから」

「叔父さん……」

 美緒はサダヲに感謝した。

「美緒ちゃん、頑張らなんばい! 俺も頑張るけん!」

 林太郎は美緒の手を握った。

「うん! ありがとう」

 サダヲは、林太郎が学費を工面してあげようとしていたことに気が付いていたが、美緒には話さなかった。


 美緒は明治二三年(一八九〇年)、熊本薬学校に入学した。

「ちっさい女だな」

 周りの男子生徒は異物をみるように美緒を見下げる。

「なんか、腹の立ってたまらんばい! 絶対負けんごつ頑張らなんばい!」

 美緒はムッとして口を一文字にした。外の世界に出ると決めた時、標準語で話そうとしていたのに、思わず熊本弁で言い返した。

 むかつく。あんたらに負ける気はさらさらない。

 誰よりも勉強してやる気でいた。

 男子生徒が多いのが心配で、サダヲが毎日送り迎えしていたが、薬局の仕事に遅れが出始めた。

 かといって、見た目はウサギのように可愛らしい美緒である。

 変な虫がつきかねない。

 サダヲから事情を聞いた正蔵は、松花堂に使用人を数人送った。

美緒の世話係と薬局の受付係である。

美緒は髪を高く結い、女袴を着用し、革靴を履いた。

「ほら、海老茶式部が通るわ」

 美緒が歩くと、町の人たちがこっちを見た。

 美緒はすでにサダヲに薬の手ほどきを受けているため、薬学校での成績は断トツの一番だった。

「ありゃ、女じゃなかとや?」

 そのうち男子生徒たちは美緒のことを「みなし男子」と呼ぶようになった。

 見た目は女だが中身は男ということである。

 美緒はどうでもいいことを言っているなと思い、ほおっておくことにした。

 とにかく目指せ、薬剤師である。

「石田ん後ばついて行って、ちょっくら嫌がらせばしてやろか」

 不埒な輩もいた。しかし、正蔵が送ってきた男性使用人が美緒の周りに目を光らせていたため、未然に防がれた。

「美緒ちゃん、困っとることはなかとね? 勉強の方は進んどるね?」

 林太郎もときどき薬学校の前で美緒を待ち伏せしていた。美緒の後ろを追いかけてくる男子生徒たちを威嚇するためである。

「ありゃ、毒消し丸のところの子たい。気ぃつけんばい!」

 サダヲが美緒を迎えに来た時、松花堂に住んでいるとバレてしまった。濱田松花堂の毒消し丸は熊本では有名だったのである。

「あいつに手を出すとやばい」

「薬剤師にはなれんばい」

学校中で噂になった。

そんなバカなことはない。薬剤師になるには試験をうければいいのだ。でも美緒はあえて誤解を解かなかった。

 おかげで静かになったので喜んでいた。

 美緒は誰よりも勉強して、入学から二年後、薬学校を卒業した。そして、その年の学科試験と実地試験に合格した。

 美緒の合格にサダヲも正蔵も大喜びだった。

合格証明書を携え、内務省に免状を申請した。

一八九四年、石田美緒は正式な薬剤師として登録された。

 これで具合の悪い人の役に立てる。

これからは叔父さんの元で修行しよう。

 美緒は松花堂で本格的に薬剤師として働き始めた。

 サダヲは薬の調合の仕方のコツや、薬剤師としての接客の仕方を美緒に教えた。

「薬剤師のお姉ちゃん、おはようさんたい!」

 毎朝、店の前を掃除していると、近所の子たちが挨拶してくれる。

「俺な、お腹ん痛かとよ。」

 男の子が下腹部を押さえていた。

「完太、置いて行くばい!」

 子どもたちが薬局の前を歩いていく。

「完太君、大丈夫?」

 美緒は気になった。

「うん、毒消し丸ば飲んできたけん、きっと治ると思うばい」

 完太は顔を引きつらせながら答えた。

「ずっと痛かったら、保健室に行くのよ」

 美緒は完太に助言した。

「おい、完太、はよせんか!」

 先頭を歩く上級生が完太を呼んだ。

「ほんなら、またね!」

 完太は手を振る。

「行ってらっしゃい」

 美緒は手を振った。

 掃除も終わった時だった。

「カランコロン」

 ドアベルが鳴った。

「こんにちは。きょうはどうなさいましたか?」

 美緒は小さく口角をあげる。

中年男性の患者だった。美緒は、患者が委縮しないように、優しく丁寧に対応した。

「なんね、女ん先生かい。俺は男ん先生がよかとばってん」

 美緒の顔を見ると、がっかりしたように言う。

 さすがの美緒も、気分が滅入ってしまった。しかし、これも仕事だ。女が嫌だと言われても、薬剤師に男も女もない。わかってもらうしかなかった。

「私は女ですが、薬剤師です。なんでも相談してください」

「そぎゃん言うてもな、俺は男しか信用せんとたい」

 渋って処方書を渡さない。

 女、女ってうるさいわ。あなただって女から生まれてきているのよ。どうして女だからって馬鹿にするの。

美緒のこめかみがピクピク動いた。

「美緒、どうかしたのか?」

 サダヲが調剤室から出てきた。

「なんね、男ん先生のおらすじゃなか!」

「仕事はこの子に任せてますからね。処方書を渡さないなら、よそに行ってください。この子は私が大事に育てた弟子なんですよ」

「……そぎゃんとね? 女ん子ばってん?」

 患者は疑わしそうに美緒を見た。

「うちの薬剤師の腕はいい。男とか女とかそういうのは超えて、信用してくれ」

 サダヲがいうと、患者は渋々処方書を渡した。

 

しばらく経つと、ここ熊本市内でも女薬剤師として美緒の存在が認められるようになってきた。

「女ん子たい、ばってん腕のよかげなたい!」

 そういいながら、街の人が濱田松花堂の前を通り過ぎる。

 美緒は苦笑いをした。

 担当の患者さんも増えてきた。サダヲが処方薬を出すときは一緒に確認してくれるので、間違えることなく薬を渡すことができた。

「カランコロン」

 呼び鈴が鳴った。

「きょうはどうなさいましたか?」

 美緒が親身になって聞く。

患者はすこし身の上話など長話をするようになっていった。地元に根差す薬局である。街の人は大事にしないといけなかった。

「美緒先生、ちょっと聞いてくれんね」

 近所のおばさんも薬を買いによく訪れるようになった。

「虫刺されの薬ば欲しかとよ」

「ガーゼはここで買えるとね?」

 気軽に女性たちからも尋ねられるようになった。

「ガーゼですか、うちで取り扱ってますよ」

 棚からガーゼを取り出した。

「あそこの女薬剤師は腕がいいって、評判になっていったよ」

 サダヲが美緒をほめた。

 一生懸命勉強して、薬剤師になった甲斐がある。

 美緒は嬉しかった。

 もっと人々の役に立てるようになりたい。

 さらに熱心にサダヲから漢方薬と洋薬について習うようになった。

すぐにお墨付きをもらい、一人で自信をもって薬を調合できるようになっていた。

美緒はたまに店を預けられるようになった。

「美緒、ちょっと隣町まで薬を届けに行ってくる。遅くならないように帰るつもりだが、店を頼めるかい?」

 サダヲがいくつかの薬を風呂敷に包んだ。

「大丈夫よ。任せて」

 美緒は笑顔で答えた。

 サダヲが出発して、店は静かだった。

 急ぎの客もいない。

 患者がいないことはよいことだ。

このまま叔父さんが帰ってきたら店を閉めよう。

「カランコロン」

本を読んで叔父さんの帰宅を待っていると、ドアベルが鳴った。

「あんた、薬屋さんね?」

「ええ、薬剤師よ」

「ほんなら、こいつがなんで具合の悪かとかわからんとや?」

 男性が少年に肩を貸していた。

「あら、完太君じゃない? どうしたの?」

「ずっと腹の痛かとたい…なんか治らんとよ」

 完太は右手で下腹部を押さえていた。

美緒は脂汗をかいている完太のために椅子を用意する。

「完太に毒消し丸ば飲ませたっばってん、効かんごたるとよ。なあ、どぎゃんしたらよかろかい? 女薬屋さん」

 男性は完太の父だった。

「この前からずっと痛かったの?」

「うん、最初は我慢できるくらいやったとばってん、今はもう痛うて痛うて、たまらんとよ……。」

 どうしよう。どうしたらいいのかわからなかった。

 毒消し丸が効かない? 洋薬だったら何を飲ませるの?

腹痛の原因は何なの? 

私じゃ判断できない。

お手上げだった。

 完太はずっと腹が痛いのを我慢していたという。呼吸が粗いし、顔も赤い。体温計で測ると熱もあった。

「処方書はある?」

「医者には見せとらんとよ。なあ、治るっちゃろ? あんた、俺の息子ば治してくれんね。病院には行かれんとたい。うちは金のなかとよ。それに、西洋の医者ば信用できんとばい」

 父親は完太の汗をぬぐう。

 顔色がどす黒くなっていた。

 まずい気がした。

 叔父さん、どうしよう。こんな患者さん、初めて。

 早く帰ってきて!

 西洋薬は処方書がないと出せない。

 病院は嫌って言っているし、私じゃ役に立たない。

 やっぱり医者に見せたほうがいい。

 完太の粗い呼吸音だけが店の中に響いている。

 父親と美緒は立ち尽くすばかりだ。

「カランコロン」

 ドアが開いた。

「ただいま!」

 サダヲが明るく入ってきた。

「叔父さん! どうしよう。完太君なんだけど毒消し丸が効かないって。ずっとお腹痛いっていうの」

「熱は?」

「八度」

「お腹の上の方が痛い? 下の方が痛い? いつから?」

 叔父さんは優しく丁寧に聞く。

 完太を不安にさせないようにだろう。

「なあ、治るっちゃろか?」

 父親が聞く。

「この病気は、病院に行かないとだめだね」

「病院になんか行かんばい」

 父親が拒絶する。

「痛いよ、痛いよ」

 完太がお腹を押さえた。

「完太君を死なせたいのか?」

 サダヲが父親の胸ぐらをつかんだ。」

「そぎゃんひどかとね?」

「いつ死ぬかわからないくらいだ」

 サダヲは神妙な顔で伝える。

「どぎゃんしたらよかとや……?」

 父親がサダヲにすがる。

「お父さん……俺、死にたくなかとよ」

 完太が涙目になった。

「美緒、電話で熊本衛戌えいじゅ病院に電話しておいてくれ」

 サダヲは厳しい顔をしていた。

「わかった」

 美緒は大きく頷いた。

 サダヲは二階にあった担架を出してきた。

「おい、そっちを持て。揺らさないように、急ぐぞ」

 サダヲと父親は完太を乗せて担架を担いだ。

 完太は痛みで気を失いかけていた。

 病院に電話をし終えた美緒は肩の力が抜けた。

 大きい病院に行けばきっと何とかなる。

 完太、大丈夫かな。

 目の前の患者さんが苦しんでいるのに、私にはどうすることもできなかった。

 お母さんのことを思い出す。

 私がもし医学の知識を持っていたら、お母さんを助けられたかもしれなかった。完太君のことも大きい病院に連れていかないといけないって判断ができたはずだ。

 私に医学の知識があったら……。

完太君はあんなに苦しむこともなく、病院に行ったはずだ。

もっと勉強しないといけない。

どうしたらいいんだろう。

美緒が考えていると、サダヲが帰ってきた。

「完太は病院につく前に死んでしまったよ。残念だったけれど……。もっと早く病院に行っていれば……。それを言っても仕方がないことだが」

もし私が医者だったら、完太君のことを救えたかもしれない。

西洋医学は大丈夫だって説明して、完太がもっと早く病院に行っていれば、生きていたかもしれない。

それとも、私が医者なら、完太君が朝お腹が痛いって言っていた時に病院に行くよう勧めることができたかもしれなかった。

 そういえば、雑誌の薬学校の生徒募集の頁ちかくに医学校の宣伝があった。

 医学校に行けば、医学を勉強できるのだろう。

 どうやったら医学校に入ることができるのだろうか。

 女子生徒も受け入れているところがあるのだろうか。

 調べないといけないことがたくさんあった。

 完太君のような子をもう出したくなかった。

 美緒は夜遅くまで薬の雑誌だけでなく、教科書を開いて勉強し始めた。

 サダヲは美緒が心配していた。

「叔父さん、私、しばらく東京行ってきてもいいかな?」

 美緒は思いつめた顔でサダヲを見た。

「最近遅くまで勉強していたのはそのためか」

 サダヲは深いため息をついた。

「すぐに帰ってくるわ」

「話は帰ってからにしよう」

「ありがとう! 叔父さん」

「俺は美緒にはつい甘くなっちまうんだよ。ああ、正蔵に怒られる」

 サダヲは頭を抱えた。

「叔父さん、ごめんなさい」

 美緒は小さく笑った。



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