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「別れよ」


青山一丁目のおしゃれなカフェで、静かに別れを告げたとき、彼はメロンソーダのアイスをスプーンですくっていた。


「そっか」



つぶやくようにうなずいた彼は、静かに泣き始めた。その涙の意味を理解することはできなかった。メロンソーダの緑色が鬱陶しくてなぜか涙があふれた。千円札を机において逃げるように店を出る。



幸せな夜を思い出した。誠也の指先は、甘くて、言葉は柔らかかった。視線は計算されていて、笑うたびに、何かを隠しているような目をしていた。シーツの上絡まるときの囁きには、なぜか『特別』を感じた。



「愛してるよ」



軽い。だれにでも言っている声だと知りながら、抱かれていた。馬鹿なふりをして、自分をだましていた。




「信じてほしい」


そういいながら、彼は誰のものでもなかった。私は学んだ。愛は信じたほうが負ける。

青山の街を歩きながら、なぜか涙は止まっていた。

ただ、寒かった。

恋は美しいが、お金に執着した瞬間、愛は簡単に軽くなる。そして一番残酷なのは、彼が最初から悪人だったわけじゃないこと。ただ、数字を信じすぎていただけ。




外苑前駅のホームに降りる階段で、ふとスマホを開いた。

癖みたいなものだった。友達のLINEを確認するためじゃない。ただ、通知が来ていないか確かめるだけの、空虚な動作。


マッチングアプリのアイコンが赤く光っていた。



——「いいねが届きました」



どうでもよかった。

誰でもいいと思った。いや、正確には、もう誰も特別じゃなくていいと思った。でも、投げやりなんかじゃない。もっといろんな人に出会って、いろんな種類の価値観を学びたかった。どんな愛し方が、どんな愛され方が、自分にとっての幸せなのかを探してみたかった。




《東京/慶応3年/180cm》



——慶応か



むかしの私なら、高学歴とマッチングしたことに、喜びを感じるのだろう。でも、今の私に純粋な気持ちなどない。大学生というだけで、かわいいものだ。


自由、意識高い、バンド、起業、サークル、飲み。慶応生の勝手なイメージが一瞬で並ぶ。

写真は、サークル仲間といったのであろうBBQの風景だった。



——絶対遊んでる。



ちょうどよかった。



誠也みたいな男でこの世界は成り立っているのなら、いっそ『大学生っぽい男』に雑に扱われたほうが諦められる。私はほとんど投げやりに、でも少しの期待をこめて「いいね」を返した。

少なくとも、多少の勉学に勤しんだ経験がある男なら、私と、表参道のモーニングに行ったり、下北沢でおそろいのスウェットを買ったり、みなとみらいで誕生日を祝えると思った。



最初に会ったのは、横浜駅前の雑居ビル二階の居酒屋だった。


——ああ、そういう感じなんだ


高級店でもなく、雰囲気のあるバーでもない。大学生の匂いがする場所。



「ここでも大丈夫?」



彼はメニューを私より先に開いて、

「好きなの頼んでいいからね」という。

夜のシャンパンコールを知ってしまった私に、二百円台の焼き鳥はもう何の意味も持たない。でも、そんなことを考える必要もなかった。グレープフルーツサワーで乾杯をした。


彼はよく笑った。相槌も上手で、目を見て話す。ちゃんと、優しかった。でも、心の底ではわかっていた。




——これ、きっと誰にでも同じだ。




そう思った瞬間、胸の奥が冷える。私は、彼の本名も知らない。でもこれだけはわかる。きっと全員に優しい。言葉も、目線も、チェイサーを注文するタイミングも完璧だった。

私は、優しさは技術だと知っている。



「それ、似合うね」



miumiuのヘアクリップ。六万円。誠也が、いつかのプレゼントでくれた。ものに罪はない。

髪に指がかかりそうになった瞬間、身体がわずかに止まる。

触れられること自体は、もう驚くほど慣れている。けれど、値段も目的も見えない優しさは、逆に不気味だった。この人は何を求めているのだろう。

身体。

恋人。

承認欲求。

夜の世界で学んだ目的は、いつも明確だった。



——金。



商売じゃない人間の欲は、もっと曖昧で、だから怖い。夜の世界は、逆に潔いのかもしれない。金という、この世界で最強の武器を手に入れれば満足できるから。


店を出たとき、少し酔っていた。風が冷たくて、酔いが回る。そのとき、何の前触れもなく、手を取られた。自然だった。あまりにも自然で、抵抗する隙がなかった。指が絡む。


——ああ、来た。



ここから距離を詰めるんだろうな。怖い、というより、確認作業みたいだった。


——ああ、この人も同じだ。



悔しい。心が、動かない。手を繋がれただけで心臓がうるさかった昔の自分は、もうここにはいない。

夜のネオンの下で、「特別」と囁かれたあの日から、触れるという行為は、特別じゃなくなった。だから手を振り払わなかった。怖いのに。


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