⑦
——ここに里香は連れてこれないな
グラスに注がれた赤色のワインがやけに黒くて、カフェで飲んだブラックコーヒーを思い出した。
ドリンクが運ばれ、横に神楽が座る。距離が近い。太ももが触れる。甘い香水。
「セイナ、今日可愛い」
——今日「も」ではない。ここでは彼女ではない。神楽は担当で、セイナは姫だ。
その声は、少しだけ低く、柔らかく加工されていた。そう思った瞬間、胸が痛んだ。隣の卓で、シャンパンが開く音がした。
「コールいきまーす!」
手拍子。ホストたちが集まり、大声で煽る。
「ジュリア様〜!神〜!女神〜!」
ボトルが一気に空く。隣の卓の女の子は泣きながら笑っている。カードを差し出す手が震えている。
「今日でこの子、200いく」
神楽が耳元で囁く。
——200万。
お金が、感情より大きな音を立てていた。はじめて、怖いと思った。誠也のことを。義務教育で教えてもらった道徳は、意味をなしていなかった。
吐瀉物と尿を避けながら、ひたすらにあるいた。新宿西口の朝4時半は、以外と閑散としている。
「火、持ってへんよな」
「ごめん、ない」
「だよな」
少し不機嫌そうに電子タバコに持ち替えた誠也は、どこか清々しい表情を浮かべていた。
——たばこ
誠也が吸っているところは今まで一度も見たことがなかった。でも、神楽は吸う人だった。
「そろそろ店戻んなきゃ。今日は体入扱いだから、会計こっちでつけとく。」
「わかった。ありがとう。」
手を振って振り向くころには、もう角を曲がっていた。私は、だれと付き合っているのだろう。
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彼はすぐに売れた。納得だった。
「顔がいいだけじゃ無理やねん」
そう言いながら、彼は営業を徹底していた。LINEは常に未読ゼロ。
「今何してるの?」
「寂しくない?」
「今日きてくれたらうれしいな」
一人一人、文面が違う。絵文字もハートの数も変えている。
「依存強い子は、間空けると不安になるんや」
何一つ恋じゃない。完全なマーケティング。金を増やす戦略。
ある夜、彼の部屋で売上表を見た。女の子の名前と金額。横にメモ。
「親と不仲」「自己肯定感低」「押せば200は出る」
頭が真っ白になった。
「ちょっと、何これ。この女の子たちは、物じゃない。人間だよ」
震える声で言った。彼は冷静だった。
「俺も人間や、俺は金が欲しいだけ。需要と供給なんやこれも。」
欲しいだけ。それだけで、ここまで来た。
「でもね——聖菜は特別」
——『特別』
その『特別』が戦略の一部じゃない保証はない。
数年前には大好きだった、その『特別』。快感だった。でも、今ならわる。『特別』はロマンではない。ネオンの光とともに私は学んだ。理性が焼ける瞬間、溺れる感覚。それが刺激的で、儚い愛だと錯覚してしまった。自分が壊れていく音を、わざと美しいメロディーに変換しようとした。
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彼はすぐに1位に上がった。店の前に大きく写真が出る。煌びやかなスーツ。
「今月はトップ狙う」
その目に、私は映っていなかった。一度だけ聞いた。
「もし私が、店に通ったら?」
彼は少し笑って、
「やめとけ。俺、情で負けないから」
その言葉が、すべてだった。私は勝てない。彼の中で一番なのは、お金だ。恋は花火だと思っていた。でも違う。ここで咲いているのは、値札のついた光だ。一番高く払った人が、一番美しくて煌びやかな大輪を夜空に咲かせることができる。私は、その世界のルールを知らなかった。知りたくなかった。
損得で考えたら、私はもう利益を生まない。
「別れよ」
青山一丁目のおしゃれなカフェで、静かに別れを告げたとき、彼はメロンソーダのアイスをスプーンですくっていた。




