⑥
「普通に働きなよ。チェーン店の飲食とか。」
私の言葉は空虚な空に溶けていく。返ってきた言葉は一番彼らしかった。
「夜、夜や。ずっとやりたかったし、ホスト」
冗談だと思った。でも彼は本気だった。
「え」
「やるなら歌舞伎町っしょ。金が一番動く」
彼はもう、調べ尽くしていた。売上の相場。ナンバー争い。バック率。初回荒らしの客層。
「トップは月2000とかいく」
目が光る。
「俺、数字強いからさ」
彼は、数字にとらわれて生きている。ものでうまくいかないのなら今度は、人の気持ちを、数字で。
「そっか、応援するよ」
「ありがとう。俺が稼いで、聖菜のこと幸せにするよ。好きなもん、何でも買うたる」
なぜだろう。もっと派手で、もっと壊れそうな世界を私はなぜか、知りたくなった。見に行きたくなった。だから、彼がホストになっても、別れようと思わなかった。
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その重いドアは、まるで外の世界との境界線だった。暗い、でも、光が多すぎてまぶしい。
LEDの青と紫。鏡張りの壁。シャンパンボトルが並ぶ棚。
「いらっしゃいませー!」
一斉の声。
その揃い方が怖かった。黒のソファは柔らかく、深く沈む。テーブルに置かれたメニューは分厚い。席に着くと見慣れた顔が隣に座る。
「今日は、月見神楽だからね。」
——月見神楽
そこにいたのは、誠也とは全くの別人だった。
一番安いボトルで数万円。高いものは、軽く三十万を超える。
「これ、普通に出るの?」
小声で聞くと、
「余裕で」
と神楽は笑った。
売り上げが伸びてきたから見に来てほしいといわれ、体験入店として招待された。恐怖も、罪悪感も、夜の世界に対する後ろめたさもない。だって、彼氏のバイト先に遊びに来ただけだから。
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里香の彼氏が働くカフェに遊びに行ったのは、2か月前のことだ。
「ねえ、聞いちゃったんだけどさ、聖菜の彼氏ってホストやってるの?サークルで噂になってるよ」
里香がカフェオレを飲みながら言う。
「うん、最近調子いいらしい」
里香は、吹奏楽のインカレサークル仲間だ。長期休みには二人で韓国旅行に行くほど仲がいい。
「それさ、普通にやばいよ。私だったら、彼氏がホストなんて嫌だよ。」
何百回と聞いた。里香もそっち側の人間だ。さすがに自分でも自覚している。私が、『じゃない方』の人間であるということを。
「でもね、なんか期待しちゃうんだよね。手段は卑怯かもしれないけど、彼は何でも買ってくれるし、この前だって記念日にハワイ旅行連れてってくれたし。ちゃんと私が一番って言葉にしてくれるし。」
怖かった。誰かに気づいて欲しかった。彼の口から放たれる「大好き」はきっと口だけだとわかっていた。誰かに自分の恋愛を打ち明けるということは、共感してほしいのではない。自分を正当化して、見たくない部分をきれいに塗りつぶしているだけだ。まだ希望があると、思い込ませたいだけだ。
「聖菜がいいならいいんじゃない。でも、聖菜が悲しむ姿は見たくないからさ。」
まだ、私を見捨てていない。いや、呆れているのだろう。でもその事実だけでも私は救われた気がした。女が一番恐れているのは、自分以外の女に見捨てられることだ。
一瞬その風がよぎった気がして、胸が締め付けられた。
里香の彼氏は中堅私立大学に通い、サッカーサークルの友達も多いようだ。カフェと塾講師のバイトを掛け持ちし、コツコツ貯金をし、デート代に使っている。休日にはドライブ、全休の日にはよく映画デートをしている。そんな里香を見ていると、いかに自分が危ない橋を渡っているのかが分かる。
「嫌いにならないでほしいな。」
里香は笑いながら腕を組んだ。
「逆にうらやましいよ。聖菜はほんとに人生してて。私には足りない、おもいきりがあるというか。聖菜らしくていいと思うよ。」
私は里香がうらやましかった。世間的な『普通』の恋愛がしたかった。
少し背伸びをして表参道のモーニングに行ったり、下北沢でおそろいのスウェットを買ったり、みなとみらいで誕生日を祝いたかった。家で映画デートをして、次の日の1限を飛ばして、バイトも飛んじゃえーって親戚死んだことにして店長に電話を掛ける。そういう『普通』が欲しかった。
1年記念日をハワイで過ごしたって、定期テストのご褒美にmiumiuのカバンをもらったって、昼間は会えない。クリスマスもバレンタインも会えない。それでも、使い古した「大好き」を聞くために私は誠也を手放さなかった。
なぜなら、彼にとっての『特別』だから。歌舞伎町の有名ホストクラブの人気メンバー。そんな彼の『特別』に私は、溺れていた。
「そっか」
そう言って私は、冷めたブラックコーヒーにミルクを注いだ。
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——ここに里香は連れてこれないな




