③
平凡な毎日がすぎていった高校三年、一学期終業式。彼がふいに言った。
「佐々木、今度の決勝見に来る?」
心臓が止まったみたいだった。
「……え?」
うれしい。かすれていた恋心が明らかに動きだすのが分かった。
「ほら、一年の時から世話になったし、やっぱ最後は、おまえに見に来てほしいなって」
当たり前みたいに言う。
そっか、最後の夏か。浅間学園はすでに決勝までコマを進め、2年ぶり7度目の甲子園出場が期待されている。
「わかった」
颯真のうれしそうな瞳の奥には、どこか安堵の表情が見えた気がした。
試合の日、グラウンドには応援の声が飛び交い、土埃が舞っていた。ブラスバンドの音、チアガールの黄色い声援で会場は盛り上がりを見せている。
彼は四番で、センター。
打席に立つと、周囲の空気が少し変わるのがわかった。
一球目、空振り。二球目、ファウル。そして三球目。
乾いた快音とともに、ボールが高く舞い上がった。
歓声。ボールはフェンスを越えた。
ホームラン。
気づいたら、私は立ち上がっていた。胸がいっぱいで、涙が出そうだった。
しかし、颯真のホームランもかなわず、結果は惨敗。甲子園出場には届かなかった。
試合終了のサイレン。歓声と、ため息と、泣き声が混ざる。
グラウンドで、颯真はうつむいたまま動かなかった。帽子のつばの影で、表情は見えない。でも、肩が小さく震えていた。夢が終わる音はこんなにも静かだ。
家に帰るとメッセージが届いていた。
「今日見てた?」
「うん、すごかった」
「佐々木が見てると思ったら、打てた」
颯真はいつもさらっと、そんなことを言う。軽い。
——え……?
きっと彼にとっての私は、『特別』なんだ。『特別』は快感だ。大切にされている証拠で、誰かにとっての一番なんだ。
「だから、これからも見ててほしい」
その文字は、告白みたいで。でも、まだ違う。
曖昧で、でも特別な距離。それが『特別』で心地よかった。
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夏が終わる頃、私たちは自然と一緒にいる時間が増えていた。
部活も引退し、学校中が受験モードになる。テスト前は図書室で並んで勉強。帰り道は駅まで一緒。空はオレンジ色に染まり、影が長く伸びる。
「俺さ」
珍しく、彼が真面目な声を出した。
「プロ、行きたいんだよね」
まっすぐ前を見たまま言う。
「絶対行く」
その横顔は、入学式の日よりも少し大人びて見えた。
「行けるよ」
自然と口から出た。
「俺、大学野球本気でやって、ドラフト狙いたい。だから、東京の大学行って4年間本気で野球やりたい」
夢を語る姿は、まぶしかった。
「佐々木は?」
急に聞かれて、少し戸惑う。
「私は……管理栄養士になりたい」
「え、なんで?」
「スポーツしてる人、支えられる仕事がいいなって。一人暮らしもしたいから、東京の大学行って、バイトも勉強も頑張りたい。」
言った瞬間、恥ずかしくなった。まるで、彼のためみたいで。彼は少し黙ってから、笑った。
「いい夢じゃん。じゃあ、俺専属の栄養士になれるな」
彼がプロ野球選手になって、私が隣で支えてあげる未来を一瞬で想像できてしまった。その言葉に、胸が熱くなる。次の瞬間、彼は立ち止まった。
「なぁ、佐々木」
夕焼けの光が、彼の横顔を赤く染める。
「俺、佐々木のこと――」




