待つ少年と公爵令嬢と川の記憶
王都の中央を流れる川の岸に、みすぼらしい格好の一人の少年が座っていた。
少年はじっと何かを待っているようだった。
「何をしているの?」
一人の少女が少年に声をかけた。
しかし少年は答えず、黙って川を眺めていた。
「変な子」
そう言って、少女は川沿いの大きな屋敷に入って行った。それは名家のレーヴェンハイト公爵家の屋敷だった。
少女は屋敷の前の川岸に少年が来るたびに声をかけていた。少女には少年がどこか寂しげに見えて、気になって仕方がなかったのだ。
また別の日、少女が少年に声をかけた。
「何をしているの?」
少年はやはり何も答えなかった。
少女は構わず少年の横に座った。
「話してくれるまで今日は帰らないから」
※
少年は王都の小さな教会で育った。
赤ん坊の頃に両親に捨てられ、教会の前に置かれていたところを、司祭に拾われたのだった。
雪がちらつく寒い冬の日だったが、赤ん坊は不思議と冷えていなかったという。司祭が確認すると、毛布に「保温」の魔法が施されていたようで、赤ん坊は気持ちよさそうに眠っていたという。
「あなたは両親に愛されていたのですよ」と司祭は成長した少年に言った。やむにやまれぬ事情でどうしても少年を手放さなければならなかったに違いないとも。
※
少年と少女は長い時間ずっと黙って川を眺めていた。
日が暮れ始めても少女は帰らなかった。
少年が小さくため息をついた。
「お母さんにここで待つように言われたんだ」
少年はついに口を開いた。
「え?」
少女は少年が言葉を発したことに驚いて、何の話をしているのかすぐにわからなかった。
「僕がここで何をしているのか聞いただろう?」
「ああ、そうそう。お母様を待っているの? でも誰も来ないじゃない」
「僕は赤ん坊のときに両親に捨てられたんだ」
「え? でも……」
「お母さんは夢に出てきて、ここで待っていなさい、って言うんだ」
「そう……」
少女は、夢に出てきた母親の言うことを聞く少年が何だかかわいそうに思えた。
「バカだと思った? そう思ったら僕のことは構わないでよ」
「そんなこと思ってないわ。……ねえ、よかったらお友達にならない? 私はクラウディア」
「僕なんかと友達になったって何も面白くないよ」
「いいから、あなたのお名前を教えて」
「……ルカ」
「ルカね。よろしく」
「今日はもう帰るよ」
「また来るでしょう? またお話ししましょう。ここが私のおうちなの」
そう言ってクラウディアは屋敷を指差した。
「君はお金持ちの子なんだね」
ルカがポツリと言った。
「そう。公爵令嬢よ。すごいでしょう?」
「コウシャクレイジョウ?」
「そう、とっても偉い貴族なのよ」
「僕は偉そうにする人はあまり好きじゃないんだ」
クラウディアはしまった、という顔をした。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
「貧乏な平民の僕なんか相手にしちゃいけないよ」
「本当にごめんなさい。わかっているの。こんなんだから、私は友達ができないの。でも、どうしてもあなたとお友達になりたいの」
必死なクラウディアに、ルカは思わず小さく笑ってしまった。
「笑ったわね」
そう言ってクラウディアも笑った。
「じゃあ、またね」
※
ルカが過ごした教会は、王都の貧民街の小さなもので、満足に寄進を受けることもできず、ルカも貧しい生活を強いられた。
それでも司祭は懸命にルカを育て、できる限りの教育もした。
しかし、貧しい孤児のルカは、貧民街でも蔑まれ、近所の子どもから日常的にいじめを受けることも多かった。
王都の繁華街に出て貴族の目にでも止まると汚い物を見るような目をされ、鼻をつまむものすらいた。
一方のクラウディアも公爵令嬢という立場と、勝ち気な性格のため、貴族の子どもたちの中でも敬遠され、友人と呼べる者はいなかった。
ルカに対しては同情心もあったが、純粋に友人になりたかったというのも本心だった。
大きな身分差はあったが、ルカとクラウディアはお互いに唯一の友人として、川岸で逢瀬を続けることになった。
※
時は流れ、ルカは15歳になった。
ルカは、夢に出てくる母親のためではなく、クラウディアに会うために川岸に出向くようになっていた。
「僕が貧しいのは……いや、貧しい人が溢れて貧民街なんてものができたのは、王族や貴族のせいだと思うんだ」
ルカがそんなことを言った。
「なぜそんなことを言うの?」
クラウディアは何か自分が悪く言われたように感じた。
「君のことを責めているわけではないんだ……いや、君にも責任の一端はあるか。貧民街に流れてくる人はみんな言うんだ。税が重すぎて、仕事をしても生活ができなくなってしまったって。その税金は王族や貴族が自分たちの贅沢に使っているんだって」
クラウディアは反論ができなかった。そんなことを考えたこともなかった。王族や貴族が民の税で暮らすのは当たり前のことだと思っていた。
「本当は、税金は貧民街の人たちのように困っている人のために分配したり、王国を繁栄させるために使うべきだと思う」
「税は騎士たちや公共の設備みたいに、王国のためにも使われているわ」
「そんなのほんの一部だけだろう? ほとんどが王族や貴族のために使われているはずだよ。なぜ王族や貴族が贅沢する必要があるの? 貧乏で困っている人がたくさんいるのに」
クラウディアはその日、ルカに伝えなければならないことがあったのだが、言いにくくなってしまった。
※
翌日、ルカの暮らす小さな教会に、突然、数人の騎士が押しかけた。
先頭に煌びやかな服と装飾を身につけた男がおり、騎士たちを率いていた。
ルカは礼拝堂の掃除をしていた手を止めた。
「ルカという者はいるか?」
煌びやかな男が言った。
「……僕がルカです」
ルカが答えると、男は残忍な笑みを浮かべ、詰め寄った。
「おまえか……何が狙いだ。金か?」
突然の問いにルカは戸惑った。
「いったい何のお話をされているのですか?」
「とぼけるな! 俺の婚約者のクラウディアにつきまとっているだろう?」
ルカはおぼろげながら状況を理解した。
「何か誤解されているようです。クラウディアはただの友達です。僕は彼女に何も望んでいません」
「おまえのような貧乏人の平民が公爵令嬢と交流を持つこと自体がどれだけ不自然かわかって言っているのか?」
ルカは反論するのをやめた。公爵令嬢の婚約者ということは高い身分の者であることは間違いない。そうした人間は、彼らが常に正しいと信じて疑わないことを知っていた。いや、間違っていても真実として通すことを躊躇わない者すらいるのだ。
「企みを持ってクラウディアに近づいたことを認めるのだな」
男はルカに近づき、殴った。
その勢いでルカは礼拝堂の床に倒れ込んだ。男は続けざまに倒れたルカを足で蹴りつけた。
「平民が調子に乗るとこうなるんだ!」
ルカは体を丸くして、男の暴力に耐えた。
そこに異変に気づいた司祭が礼拝堂にやってきた。
「何をされているのですか?」
男が司祭を一瞥する。
「この男が俺の婚約者にまとわりついているようでな、罰を与えているのだ」
「これは……ルドルフ殿下ではないですか。もしルカが何か不手際を起こしたのであれば、育てた私の責任です。私を罰してください」
「……司祭様、何を……。やめてください」
ルカが力なく言うが、ルドルフは司祭に向かってにじり寄って行った。
「ほう、おまえが責任を取ると言うのか」
ルドルフが司祭の法衣の襟を掴む。
「ずいぶんと薄汚れた法衣だな。おまえらのようなドブネズミのようなやつらが、なぜ俺たちの王都にいつまでも住み続けているのだ」
そうしてルドルフが拳を振り上げた。
「やめて!」
礼拝堂にその叫びが響いた。
ルカが声のしたほうを向くと、クラウディアだった。
クラウディアは息を切らしていた。ここまで走って来たようだった。
「なんだ、クラウディア。俺はおまえにつきまとう貧乏平民と保護者の貧乏司祭に身分差を教え込んでいるところだ。止める必要はない」
「そんなことは止めてください。身分差なんてくだらない。それどころか、私たちはその平民たちからいただいた税で生かしていただいているのではありませんか。感謝こそすれ、害をなすなど恥です」
ルドルフが司祭から手を離し、クラウディアを睨みつける。
「王太子に向かってなんて言い草だ。クラウディア、そんな態度をしてただで済むと思うなよ」
そう言い捨て、ルドルフは騎士らを引き連れ、教会から去っていった。
クラウディアは地面にうずくまったルカに歩み寄った。
「ルカ……ごめんなさい。私のせいなの……。公爵家が王太子と私の婚約を決めて……あの人にあなたのことを話したら……あなたのところに騎士を連れて向かったって聞いて……」
「帰ってくれ」
「え?」
「帰れって言っているんだ。王族も貴族もこの世から消えていなくなればいい!」
クラウディアの頬に涙が伝った。
そして、静かに、ルカから離れ、教会から歩き去っていった。
教会には司祭とルカだけが残された。
「司祭様、すみません、僕が貴族なんかと友達になったせいで……」
司祭はルカに手を貸し、立ち上がらせた。
「おまえが悪いことをしたとは思っておらん……。こんなこともある。神の試練と思えば、この程度大したことではないだろう?」
「でも、王太子なんかに目をつけられたら、これからもひどいことをされてしまうかもしれないではないですか」
「こんな貧乏教会が、どうやってこれ以上悪くなれるんだ?」
そう言って、司祭はルカに向かって笑顔を向けた。
「それから、あの貴族の娘には謝っておかなければならんぞ」
※
ルカはあの川岸に来て、座っていた。
クラウディアが横に来て座った。
「この間はごめん。ひどいことを言ってしまった」
ルカがクラウディアの顔も見ずにポツリと言った。
「そうよ、王族や貴族が皆同じだとは思わないでほしいわ」
そう言ってクラウディアは微笑んだ。
「婚約は破棄したわ。あんなのと一緒になんてなれない」
ルカは驚いて、クラウディアの顔を見た。
「ごめん。僕のせいだ」
「謝らないでよ。私があの王太子が嫌で婚約破棄したんだから」
「でも公爵家が決めた王族との結婚だろう? 公爵家にとって大きな損害になるんじゃないのか? すごく怒られたんじゃないのか?」
「そんな大したことじゃないわよ……たぶん」
「そんなわけがないじゃないか」
ルカは立ち上がった。
「……もうここには来ないよ。僕たちが友達でい続けたら、お互い不幸になるのは目に見えている」
クラウディアも立ち上がった。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……お母様のことはどうするの?」
「お母さん? ああ……よくそんなことを覚えていたね。僕はすっかり忘れていたよ。僕がここに来ていたのは君に……」
言いかけてルカは止めた。
「いや、何でもない……。それじゃあ僕は行くよ。もう二度と君に会うことはないだろう」
ルカが歩き去ろうとした。そのとき、足元に何かが当たった。
魚だった。
魚はピクリと動いた。まだ生きているようだった。
ルカは川に戻そうと、魚を持ち上げた。
その体温の温かさに、ルカは懐かしい想いがした。
ルカは魚の口から銀色の小さな宝珠のようなものが入っているのを見つけた。
つまんで指に取ると、宝珠が淡く光った。
そのとき、ルカの脳裏に、夢を見ているかのように様々な映像が流れてきた。
「どうしたの、ルカ?」
ルカの様子がおかしいことに気づき、クラウディアが声をかけた。
ルカは魚を川に放した。
その頬には涙が流れていた。
※
宝珠にはかつての「聖女」の記憶が閉じ込められていた。
ルカからその話の内容を聞いたクラウディアはレーヴェンハイト公爵家を通し、宰相へと報告を上げた。
一部の宮廷魔術師によって宝珠が聖女によって作成されたことの真正性が確認され、内容の深刻さを認めた宰相は、一部の側近の反対を押し切り、公の場でその内容を公開することを決めた。
王城前の広場に王族、貴族、聖職者を含め、多くの王都の民が集まった。
そして、その中心には宰相ジークフリートがいた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます。今回、レーヴェンハイト公爵家からの報告により、王国の重大な秘密が明らかになり、これを公表させていただくことにいたしました」
ジークフリートが指示をすると、宮廷魔術師が前に出て、宝珠を足元に置き、詠唱を始めた。
すると宝珠が光り、宙空に映像が浮かび上がった。
※
映像は、鏡の前に立つ、かつての聖女エリシアと腕に抱えた赤ん坊の姿から始まった。
聖女は小さな教会に行き、その前に赤ん坊を置いた。「元気でね」と声をかけた後、赤ん坊の頬に涙の粒が落ちた。
教会を離れた聖女は、王都の城門へと向かい、そのまま王都から外に出て行った。その先に、当時の王太子ユリウスが待っていた。
二人が歩いてどこかに向かっていると、後方から馬蹄が激しく地面を叩く音がした。
振り返ると馬に乗った王国騎士たちが迫っていた。
二人は逃げるため走り出したが、馬の足に敵うことなく、まずユリウスが背中から槍に串刺しにされた。
間髪をおかず、聖女も倒れた。
意識が薄れていく中、聖女は騎士の一人の言葉を捉えた。
「うまくいった……。これでレオンハルト殿下の天下だ。褒賞もたっぷりもらえるし、俺たちも安泰だ」
聖女は最後の力を振り絞り、記憶を未来に届けるために小さく詠唱を行った。
※
「この『聖女の記憶』の真正性は確認できております。15年前に失踪した当時の王太子ユリウス殿下と聖女エリシアの夫婦は、第二王子レオンハルト殿下、つまり現国王レオンハルト陛下により殺害されていたのです。陛下、何か仰ることはございますか?」
ジークフリートが淡々と述べた。
観衆がどよめき、視線が国王レオンハルトに集中する。
国王は立ち上がり、前に進み出た。その顔はどこか疲れているようにも見えた。
「もはや言い逃れもできまい。私は確かに15年前、国王になるため、兄ユリウスを王家から追いやり、殺害した。政治に興味を持たない兄より、自分のほうが国王に相応しいと信じて疑わなかった。思惑どおり国王になり、善政を敷こうと思ったが、様々なしがらみに勝てず、王国が少しずつ衰退していくのを目の当たりにすると、後悔の念が日に日に強まっていった。
変な言い方だが、今日こうして私の悪事を公にしてくれてありがとう。やっとこの呪われた国王の座から降りられる。
もちろん、どのような罰でも甘んじて受けよう」
観衆たちが大きな罵声を上げた。
※
国王レオンハルトは処刑となり、その直系の血筋の者も王族から追放され、王都に住み続けることも許されなかった。
次期国王となるはずだった元王太子ルドルフは抵抗したため、投獄されることになった。
「なぜ俺がこんな目にあって、あの貧乏人の平民が国王になるのだ! 父王の罪が俺と何の関係があるのだ!」
獄に連行されるルドルフは、そう叫んだと言う。
そして、かつての王太子ユリウスの直系の子と判明し、次期国王の第一候補となったルカは王城に招聘され、宰相ジークフリートに相対していた。
「聖女エリシア様は、レオンハルト陛下を糾弾することよりも、あなたの未来のためにこの記憶を残したのだと思います。あなたの王族としての、あるいは聖女の子孫としての権利を守るためです。国王になっていただけますか?」
ルカはそのジークフリートの言葉を十分に理解した上で、口を開いた。
「僕は前王太子のルドルフについ先日お会いして、ひどい目に合わされました。彼は貧乏人の平民をひどく軽蔑しているようでもありました。僕は決してそのことを忘れないでしょう」
「ほう、では国王としてルドルフに仕返しでもしますか?」
ジークフリートの問いに、ルカは首を振った。
「僕はあんな人間になりたくないのです。母も……聖女様も僕がそんな人間になることは望んでいないと思います。僕は王族などというものになどなりたくないのです」
その言葉を聞いて、ジークフリートは落胆したような表情をした。
「ただ、税は困っている人のために使ってほしいです。それから王族や貴族も平民に敬意を払ってほしい。もし僕に何か指示できる権利があるなら、それだけお願いします」
ジークフリートは諦めたように微笑んだ。
「承知いたしました。私も王政府の一員として、そのことを肝に銘じます。次期国王にも確かに伝えましょう」
ルカは王城から去り、貧民街の教会に帰って行った。
※
「まさかあなたが、あなたの大嫌いな王族の方だったなんてね」
いつものように、クラウディアとルカは川岸に並んでいた。
「王族にはならないよ」
ルカがつまらなそうに言った。
「でも王族の血が流れていることには間違いないわ」
ルカは黙り込む。
「あなたがそのことを良く思っていないのはわかっているけれど、良い側面もあると思うの」
「そんなのないよ」
ルカがそう言うと、クラウディアは不機嫌になる。
「バカ」
「そうやって貴族は平民をバカにするんだ」
「そうじゃない!」
二人の間に気まずい空気が流れた。
「あっ」
突然、ルカが声を上げた。
「何?」
クラウディアがルカを見る。
「いや、変な話なんだけど……僕が王族の血筋なら、クラウディアと僕は結婚できるのかな。今まで想像もできないことだったけれど……」
平然とそんなことを口にするクラウディアは驚き、顔を赤くした。
「……そうね。私、あの教会も、司祭様も、良いと思うわ」
二人は見つめ合って笑った。
きっと母が本当に望んでいたのはこういうことだったのだ、とルカは思った。
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