こぼれ話
ベルガウを拠点に、依頼所の討伐依頼をこなしたり護衛や探し物、力仕事をして路銀を稼ぐこと5日。次の街での買い物分が溜まったので、2人はヴァルデンメーアの王都・ハーフェンヴァルトに向かって出発した。
深い森の中の街道を歩いていると、途中から整備されていない道になった。森の爽やかな匂いを肺いっぱいに吸いながら、ライナは隣を歩くディオンに訪ねた。
「そういえば、ディオンは探し物をしてるんだよね?」
「ん?ああ、まあ、そうだな。」
やっぱりふわふわした回答のディオン。ディオンは時々、こういうことがある。何か隠しているような、困っているような...
「言いたくないならいいんだけど。せっかく一緒に旅をしてるんだから、協力させてよ。」
そう言うと、ディオンはちょっと間を置いて、嫌な顔せずに話してくれた。
「...俺の探し物は3つあってな。一つはもう見つけたから、残りの2つを探しているんだ。」
「それって物質的な物?それとも自分探しの旅、みたいな?」
うーん、と考えたディオンは何か迷っているようだった。
「俺にも詳しくはわからないんだ。とても重要なものなのは間違いないのだが...」
「なら情報も探しながらになるね。」
ディオンが空中投影式の地図上でハーフェンバルドを指しながら
「ああ。これから向かうハーフェンヴァルドは、大陸で最も魔術の研究が進んでいる都市だ。何かわかるかもしれない。」
「よし!頑張るぞー...ん?うあっ」
気合を入れ直したちょうどその時、急に雨が振り始めた。ポツリポツリと頭に当たって、ほんの数秒で雨は急激に強くなった。
「濡れるっ!とりあえず、あの岩の下に行こう!」
目についた出っぱった岩の下に駆け足で入った2人は、軽く濡れた部分の水気を拭き取って顔を見合わせた。
「降られちゃったね。」
「俺一人なら防水もできるのだが、2人はなあ。仕方ない、雨宿りしよう。」
「今夜はここで一泊かもね。」
とはいえ、岩の下はちょうど一人が立っていられるくらいの幅しかない。夜までこれはきつい。手分けして、一泊できる場所を探すことになった。
お互い、反対方向に雨が当たらない岩の下を歩いて行く。
「これ、どこまで続いてるのかな。」
結構歩いたのに、まだ岩の下の細い道は続いている。最初のスタート位置からだいぶ来てしまった。これはいちど引き返してディオンの方の状況も聞こうかな、と思ってもうちょっと進んだら、不意にぽっかりとあいた、洞窟の入口を見つけた。
「わっ!あった〜、休める場所!」
急いで来た道を引き返して、同じく戻ってきたディオンを連れて暗い洞窟に入った。洞窟の中は、長身のディオンがまっすぐ立てるくらいはあって、特に動物が住み着いているわけでもなさそうだった。
「ここなら休めるね。今日はここで一泊しようか。」
「問題なさそうだ。」
何やら壁の様子を見ていたディオンも座り込んだ。ライナはいつも通り結界の魔術具を起動して、火を起こし始めた。
「つけようか?」
湿った空気のせいでなかなかつかない火起こしを見ていたディオンは掌にぽっと火を出した。
「ううん、もうちょっと頑張る。できてたことができなくなるのは嫌なんだ。それに、冒険っぽさ大事なんだよ。」
「そう...。じゃあ、どうしてもつかなかったら言えよ。」
悪戦苦闘の末、半分は根性で火をつけた。よしっとガッツポーズをするライナをディオンが楽しそうに見つめる。ライナは、油をたっぷり染み込ませた紙を枝に巻いて、松明代わりに持って気になっていた洞窟の奥へ足を進めた。
「うわあっ?!」
火のそばで濡れたガントレットを拭いていたディオンは、奥から壁に反響して聞こえてくるライナの声を聞いて、自分も洞窟の奥へ進んだ。
ライナは、後ろからきたディオンがみえるように、前方へ松明の光を当てた。すると、そこには、地下へ続く階段があった。
「みてみてディオン。これ、ダンジョンかなあ」
松明の光は2、3歩前しか見えない。一寸先は真っ暗だ。口では楽しみな風だが、実はちょっと怖くて、横にいるディオンの服の袖を掴んだ。ちらっと見上げて、無言で松明をディオンに渡して、ディオンの後ろに隠れるように顔をのぞかせる。それをみたディオンはしょうがないというような笑みで松明を受け取って、階段を覗き込んだ。
「...よし、いってみるか。これも冒険だ。」
「も、もちろん!」
ぐっと拳を握って、ディオンの後ろに続いた。
階段の横幅は狭くて、あまり深くない地下に降りると結構空気がひんやりしていた。ディオンが持つ松明の先にじっと目を凝らしながら、右手で壁があること確認しながら進む。
「...何かある?」
「いや...今のところは。」
少し歩くと、行き止まりだった。石の壁に細工は見受けられない。正真正銘、行き止まりのようだ。ワクワクしていた分、ちょっとがっかりした。
「なんにもなかったね。」
「ああ。魔力も感じられないし、すでに盗賊なんかに入られたのかもな...。」
「うわぁ〜。ショック。」
そう言って振り返って引き返そうとした時、不意に、壁から離した右手に何かついている事がわかった。松明のオレンジの光で、何色かはわからないが、何か色がついていることがわかった。歩き出そうとしたディオンを引き止める。
「ディオン、待って。これ見て。」
振り返ったディオンに色がついた指をみせる。指先に、しっかり色がついていた。それを見たディオンは一瞬眉を寄せて、はっと息をのんだ。
「これは...絵の具じゃないか?じゃあ、ここは...。」
そう言って、ライナが手をついていた壁へ松明を近付ける。それをみて、2人は目を見開いた。
「うわあ!」
松明の明かりで見えたのは、緻密に丁寧に描かれた壁画だ。驚くのはその規模で、松明を持ってもう一周してわかったのは、この地下室の両サイドの壁に絵が描かれていると言うこと。反対に手をつけて歩いていたディオンの指先にも、色がついていた。
「すっご...こんな規模初めてみた...」
「ライトつけてもいいか?」
「え、あ、うん。」
するとディオンは掌からふわっと白い光を放ってふわふわと浮かび上がった。3つも出せば地下室全体が明るくなる。白い光だから、とても色がわかりやすくなった。
「こんな綺麗にみえるならはじめから出してよ。」
「冒険っぽさは大事なんだろう?」
壁画は色褪せていて、ところどころ石が欠けているせいで分かりづらかった。けれどなんとなく、真ん中に立っている人を、讃える絵のように見えた。無数の人の中に、まるでその人の周りに結界があるかのような描かれ方をしていて、色の残りも比較的綺麗だった。両腕が赤いその人の上には星っぽい模様があり、壁画の下の方には何やら小さく文字が書いてある。
「ディオン、この文字、なんて書いてあるのかな?」
見上げたディオンは、その壁画をじっと見つめていた。そっと壁に触れた手がほんの少しだけ、震えていた。くんっと服を引っ張ると、ディオンは何度か瞬きをして我に返ったようにはっとした。
「なんだ?」
「だから、この文字。ディオンも知らない文字?」
しゃがんだディオンは、何故か小さく笑って読み上げる。
「我らを守りし戦士。だってさ。」
戦士とは、真ん中のあの両腕が赤い人だろうか。描かれ方的に男だとは思うが、戦士だったのか。へえ、と感心してライナは立ち上がる。
「それにしてもなんで両腕が赤いんだろうね。肌が赤かったら顔も赤いはずでしょ?返り血とか?ちょっと不謹慎じゃない?それこそディオンみたいに赤いガントレットでもつけてなきゃ......」
そこまで言って、頭の中でガッチリとパズルのピースがはまった音がした。よく見ると塗り分けされた髪は明るい色で、顔も暗めの色で塗られている。そして何よりも、長い耳があった。ディオンを見て、壁画を指さして。
「これ、ディオン?!」
そう言うと、ディオンは立ち上がって、少し照れたように頬を赤らめて苦笑いをした。
「こんな大袈裟に描かなくてもいいと思うんだけどな...。」
「やっぱり?!」
うわあ!と一瞬でテンションが上った。と同時に、彼の年齢が気になる。こんなに古そうな壁画に描かれているなんて、恐ろしいものだ。
「え?!なんでなんで?なんでここにディオンがいるの?!」
うわあ、と声を上げながら壁画を見ていると、ディオンが懐かしそうに絵を見つめながら話し始めた。
「気付かなかったが...ここは、以前に俺が世話になった集落だったらしい。」
ディオンはその当時、一人で気ままに世界を旅していた。ある時、魔術の研究でヴァルデンメーアを訪れたディオンは毎日、研究。研究。研究と、食べることもしないで暮らしていた。そんな時、珍しい魔術の術式があると聞いて訪れたのが、アルカナ族の集落。当時はフォーラートと呼ばれていた森の中にあるなかなかに大きな集落で、そこでディオンは彼らと一緒に生活していた。
たった10年いただけだったが、人間にとっては長い時間だ。彼らと魔術の術式について議論している間に、生まれたばかりだった赤ん坊は元気いっぱいにフォーラートを走りまわり、狩りの最前線にいた男は引退を迎え、仲良くしていた男の子は嫁をもらった。
そろそろ次の村へ行こうと思った時、隣の村が大規模な争いを仕掛けてきた。人同士の争いに、手を貸すつもりはなかったが、馴染みの者が死んでいくのを、黙って見ていることはできなかった。結果、ディオンは隣村の者を撃退。アルカナ族は狩り場を広げ、ディオンを一族の救世主だと讃えた。
「エルディオン様。助けて頂いて、ありがとうございました。あなたの功績は、この先もずっと、一族に伝えていきます。」
「そこまで感謝することではない。...100年も経てば、覚えている人間も、いなくなるだろう。」
そう言うと、族長はにっこりと笑って言った。
「楽しみにしていてください。きっと、驚かせてみせましょう。」
「...そうか。」
「...ふっ、驚いた。やってくれたなぁ...」
「そんなことがあったんだ...。......嬉しい?」
そう言うと、ディオンはなんともいえない、ちょっと困ったような笑みを浮かべて。
「...さあ。だけど、伝えようとしてくれたことは...嬉しい、と思う。多分。」
そんなディオンの頭に手を伸ばして銀色の髪を乱暴に撫でた。困ったような、照れているような曖昧なその表情をなんだか可愛く思う。
「素直に嬉しいっていいなよ。自分を覚えていてくれて、嬉しいんでしょ?」
「......そうだな。...嬉しい。嬉しいんだ。」
そう言うと、ディオンの頬が、淡く色づいた。幸せを噛みしめるような小さな笑みを見て、ライナも安心した。長く生きているディオンのことを、全部は理解できない。でも、ディオンが嬉しいと、自分も嬉しいと思う。
「そういえば〜なんだけど。この絵、いつのなの?」
「たしか、500年くらい前だったか...」
「500年?!」
改めてエルフの寿命はとんでもないと思った。想像もできないし、実感もすごさもわからないが、ずっと一人だと思っていたから、こうやってディオンを覚えていてくれた人がいたことが、嬉しい。
「長いな〜。...ディオンは、いつから生きているの?」
「正確な歳は覚えていないけど、2000年くらい...か?」
「2000っ...。」
もう、何も言うまい。
壁画の地下室を出ると、ディオンはその地下室に魔法をかけた。保護魔法だそう。それでも100年も経てばゆっくりと崩れていって、また500年後にはなくなっているらしい。
「じゃあ、また500年後に、ディオンはここに来ないとね。」
人間であるライナには、この絵の最後を確かめることができない。でもディオンは違う。これからもずっと、生きていくんだ。自分も、ディオンが未来で嬉しいと思えるようなことをしようと思った。
「雨上がってるよ!これで出発できるね。」
「よし、行こうか。ここに来るのは、また500年後だ。」
洞窟から出て振り返ると、不思議なことに、そこに洞窟は見当たらなかった。
「あれ?今、そこから出てきたよね?え、見当たらないよ?」
「ああ、アルカナ族の魔術だ。この一族に伝わる珍しい魔術で、外から見えなくなるんだ。透明になるんじゃなくて、周りの景色に溶け込む魔術なんだよ。」
どこからどう見ても岩で、魔術ってすごいなと思った。もしかして、ディオンは500年前、この魔術を目指してここに来ただろうか。
「じゃあなんで私は見つけられたの?」
「この魔術は珍しく効果範囲があって、魔術の内側に入ると効かないんだ。俺達は乾いた道を岩に沿って歩いて来ただろう?そこが偶然、魔術の内側だった。そんなところだろうな。」
そう言うと、ディオンは歩き出した。その歩みはどこかふわふわしていて、いつもよりほんの少し、頬が緩んでいた。




