不穏な空気
降り立ったそこは、クロイツハーフェンの発着所だった。とても広く、圧倒的な文明の力に開いた口が塞がらない。高い天井はガラス張りで、空の色が透けて見える。開放感のあるだだっ広い空間に大勢の人が行き交っていて、他の大陸導軌も続々と発着所に入ってきた。
「なんか、違う世界に来たみたい...。」
「フェルグラントと違って、ここは他国からも人が集まる場所だからな。大陸中の技術がハルデンクライスに流れてくる。きっと街中はもっとすごいぞ。」
「信じられないな...。まさかここまで発展しているとは...。」
石畳の上に、木造の建物が大陸導軌の道を挟んで左右に建っていて、4階に架かった橋が建物を繋いでいる。1つ1つの部屋にはテラスがあって、全てが飲食店や日用品店、服飾店などの店だった。外は薄暗くなっていて、それに負けじと、発着所のいたる所に明るい魔力灯が下がっていた。
「早めに宿取らないと...。」
ライナが呟くと、ゼルンが左右に建っている建物を指さした。
「ここの発着所には、大陸導軌でやって来た人達が使いやすいようにこんなふうに店や宿があんだ。今日はここに泊まることにしようぜ。」
「なるほど。考えられているな。」
この発着所はハルデンクライス最大規模らしい。そのため毎日多くの来訪者が訪れ、この設備を利用しているそう。
「ゼルンは来たことあるの?」
「いいや。旅商人のじいさんに聞いたことがあるだけだ。ほら、さっさと宿決めるぞ。」
「はーい。」
泊まったの部屋は、最上階の6階だった。ゼルンは怖くて窓に近付けずにいる。
「うわ〜、綺麗だね〜。」
地上の魔力灯や家の灯が暗い夜を彩っている。6階からだと、その様子がよく見えた。
「見たことなかったな〜。やっぱり高い場所って素敵。」
「嬢ちゃんだって大人になれば俺の気持ちがわかるさ。」
街の中心に見える大きな時計塔は、フェルグラントの中央降索殿と同じ役割をしているようで、あちこちに鋼索が走っているのが見える。街中を小さな大陸導軌が走っているようだし、クロイツハーフェンは移動の足が多いようだ。
「ここには特に用事はないんだよね?」
「まあな。ああ、でもこの辺りで防寒具は買っといた方がいいぞ。ここから北は寒い上に、ハルデンクライス程種類が多い国はねえからな。」
ここで言うゼルンの「種類が多い」には色々な意味がある。防寒具は、厚手の服に術式が付与されているものがほとんどだ。その術式は国や地域、制作した研究者によって少しづつ異なる。高度な術式は北のアストラディア周辺が多いのだが、元となる服を生産していない。服も、各地で作り方も、デザインも違う。全てが集まるハルデンクライスがいろんな意味で「種類が多い」のだ。
そんなにこだわるならゼルンが作ればいいじゃん、と言ったが断られた。単純に興味が湧かないのと、かっこよくないから作りたくないとか。なんだそれは。
「んじゃ、明日は買い物をして、アストラディアまでの移動方法を考えよう。」
「そうだね。明日の朝はのんびりでもいいんだよね?」
「ああ。移動するだけでも結構疲れたしな。」
「やった!」
3人一緒の広い部屋で、ライナは端のベッドに丸くなった。
翌日の昼から、3人は街に出た。
「ふわあっ!好きっ!ハルデンクライス大好き!」
地面は石畳で、大きな通りには小さな大陸導軌、「商導軌」が走っている。小さくてかわいい。
通りに沿って立ち並ぶ建物はどれも美しい装飾が施されていて、塗装には主に落ち着いた深緑色が使われている。見たことない服を着た大勢の人が歩いていて、自分のすぐ隣を商導軌が走っていくのだから、ライナは大興奮だ。高い建物を見上げながら歩くから、すぐに首が痛くなった。
「いいな。美しい。」
ディオンも楽しんでいるようだ。あまり顔には出ていないが、視線があちこち走っているから間違いない。
「嬢ちゃん!あそこ!絶対おもしろいから!」
「あ、ちょっと待って、」
さっきから、ゼルンはいろんな店に次々と入って行く。主に怪しげな魔術具店とかに。
今見つけたのは大通りに面した綺麗な本屋だ。天井までぎっしりと本が詰まっていて、店内を紙とインクの匂いが満たしている。
「俺も興味がある。」
ディオンも、ゼルンと一緒に本屋の奥まで入っていった。きっと掘り出し物の魔導書探しだろう。
ライナは店主のおじさんの所に行った。
「大陸、またはハルデンクライスを歴史書はありますか?あ、大陸導軌に関する本も欲しいです。」
「少しお待ち下さいね。」
自分で本を探すゼルンとディオンは変人で、普通は店側に探してもらう。防犯上、店側はどの本がどこにあるかを公表していないし、一目見ただけでは分からないことが多いので、こうやって目的の本を言って持ってきてもらうのだ。ゼルンとディオンは熱量と知識への愛故に許されている。
ライナは自分の本を買って、奥にいる2人を回収した。
「行くよ!今日中に発着所で進路を決めるんでしょ?」
「ん?ああ。わかった。」
ディオンは聞いてくれるが、ゼルンは本当に耳に入っていない。ディオンと一緒に本ごと外に連れ出すのはよくあることだ。
昨日の発着所とは違う場所の、北方へ向かう大陸導軌の発着所へ向かった。
発着所は、周囲の建物から明らかに浮いていた。直線と金属で構成されたハルデンクライスの街並みの中で、そこだけが柔らかな曲線と淡い色彩をまとっている。外壁には細やかな装飾。窓は全て角のない可愛らしい形。植物や星を模した意匠が描かれている。商業国特有の忙しさがふっと薄れ、穏やかな空気が流れていた。
アストラディア方面行き大陸導軌発着所。名を知らなくても、誰もがそうと分かる造りだった。
「へえ、かわいい!アストラディアの建築様式かな。」
「ああ。...懐かしいな。」
「ディオンはそっちに行ったことあんだっけか?」
「長くいた。」
優しい表情のディオンの横で、ライナとゼルンが顔を寄せてコソコソと話す。
「長くいたって。ディオンが長くって言うんだから、相当だよね。」
「年齢不詳のエルフって怖すぎ。」
「聞こえてるぞ。」
中に入ると、明るい空間にいくつか受付カウンターがあった。大陸導軌協会の水色の制服を着た女性が受付してくれる。
「アストラディア行きの便はありますか?」
「アストラディアへの直通はございません。カルディアで乗り換えになります。」
そう言って、地図と時刻表を広げた。
「本日の暮の鐘でカルディアへ行き、向こうの第2時鐘で乗り換えです。」
「第2時鐘っていつ?」
「朝の鐘と正午の鐘の間だ。」
なるほど。北の方では呼び方が変化するようだ。確認しておかねば。
「3席よろしくお願いします。」
「かしこまりました。クロイツハーフェンから、カルディアのグラーディス行き、3席。承りました。アストラディアへは現地で改めて乗軌証をお買い求め下さい。」
「ありがとうございます。」
発着所から帰り道。3人はざわめく大通りを歩いていた。どこもかしこも美しい街が見ているだけで笑顔になる。
「これからどうする?かわいいコートでも買おうかな〜?」
「かわいいかは置いといて、俺も嬢ちゃんと一緒に防寒具を買いに行くよ。」
「俺は持ってるからいい。物資を買い足して、宿に戻るよ。」
「ありがとう!じゃあ、後でね。早めに戻るから。」
ライナとゼルンは服飾店に向かった。店の表には美しく、見たことのない形の服飾品が飾られている。キラキラした飾りと、薄い布を何層にも重ねて立体的に作られた裾の長い服に目を引かれた。
「かわいい〜。」
「そうか?枝に引っ掛けそうだからやめとけ。」
「旅では着ないってば。」
昼下がり、お互いに満足いく買い物をして、にこにこ笑顔のライナとゼルンは軽やかな足取りで通りを歩く。
何でもない軽口を叩いていた、その時。ライナの中でパッと魔法陣が作動した。
「っ?!」
不意に、人混みから異様な気配を感じ、はっとして振り返った。目の前は人、人、人。人とそれ意外の間違い探しをしているような感覚に陥る。何かが違う。何かが混じっている。そんな違和感。
「嬢ちゃん?」
「何か、いる。」
その言葉でゼルンの表情にも緊張が走る。ゼルンも、ライナの「感がよくなる魔法」の事を知っている。だからその言葉が嘘だとは思わなかった。
「嬢ちゃん、ディオンと合流しよう。トト!」
ゼルンが口笛を吹いてトトを呼び寄せ、ディオンに向けて合流の意を飛ばした。その間も、ライナは周囲の間違い探しをしていた。
...違う。違う。何が違う?この違和感は何?
なんとも言えない、モヤモヤした気持ち悪い感覚。少しの間、じっと辺りを睨んで、ついに違和感の正体を見つけた。
「あれは...。」
こちらに向かって歩いてくる、周囲の人と何ら変わらない格好をした白髪の成人男性。丁寧にまとめられた髪と、白を基調とした上等な服。ゆっくりと歩く歩調は一定で、纏う空気は静かでひどく穏やかだ。
しかし、目があった瞬間、その認識を改めることになる。
穏やかなんて生温いものではない。その目は、赤く、生を感じない目だった。
「魔族!」
「なっ?!」
ライナが向こうに気付いたと同時に、魔族もこちらに気付いたようだ。ピタリとその動きを止めた。互いの間には数歩分の距離しかない。こちらの呼吸がやけに大きく聞こえる。ひりついた空気に気付いた人々が、3人から少しずつ距離を置いていった。
「嬢ちゃん、ほんとに魔族か?人間にしか見えねえぞ。」
「魔族だ。前に見た時と、同じ感じがする。」
そう言うと、魔族は薄く笑いながら小さく頷いて言った。
「なるほど。本物というわけだ。」
低く、こちらを嘲笑うかのような声。白い手袋をはめた右手の指がするりと左胸を撫でると、背後から青い布が広がるようにのびて、引きずる程長いローブを形成した。それを見た周囲の人間が、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「ふん。当たりのようだな。嬢ちゃん、魔族のやばさは知ってるか?」
「知ってる。」
以前遭遇した魔族には、何もできなかった。自分の弱さを突きつけられて、始めて、自分が進もうとしている道がどれだけ険しいかを思い知らされた。あれから、魔族のことを知って、勉強して、ディオンに剣を習った。
...あの時とは、違う。
「魔族の使う魔法は、人類の魔法とはまるで違う。奴らの使う魔法は体の一部で、その多くは人類にとって未知の魔法。」
「ここ50年で魔王の勢力が広がっている。旅をしていくなかで遭遇することもあると思っていたが...よりによってハルデンクライスか。」
ここはハルデンクライスの王都、クロイツハーフェンだ。この魔族の魔法が広範囲に被害が及ぶものだった場合、ハルデンクライスだけでなく、大陸中に被害が拡大するだろう。
「くそっ、いきなり対峙しちゃあ、できることが少なすぎる。せめてディオンがいりゃあな...。」
「今は一般人に被害が出なければいい。避難させるには人が多すぎるし、時間がかかる。なんとかして魔族をここから遠ざけたい。」
「そうだな。大陸導軌が破壊されんのが最悪の結末だ。」
すると、今まで動かなかった魔族が、すっと右腕を胸の下まで上げた。
「作戦会議は、終わったか?」
手の下に、白い光で淡く発光する薄い板がパッと出現する。それが何なのか、ライナには全く検討がつかない。
「何?あれ...。」
「ライナ!!ゼルン!!」
眉を顰めた、その瞬間。後ろからディオンの大声がして、振り返る前にディオンが2人の前に立った。
「星環防御魔法!」
ディオンの前に透明で虹色に輝く魔法陣が展開され、3人の周りに同色の硬質な壁が出現した。
同時に、炎天下の地面のように世界の縁が歪んで見えた。空気が揺れている。そう思った時、それが錯覚でないと悟った。瞬きをして目を開けた時。さっきまですぐそこにあった建物が、商導軌が、人が、消えていた。
「え......。」
虹色に輝く壁の向こうに見える魔族が、歪んだ微笑みを浮かべたのが見えた。




