小麦の国
無事に護衛依頼を見つけたので、その日のうちにハーフェンヴァルトを出発した。途中で村に寄って、森の中を突っ切って約一週間で隣国、リュンフェルトの王都に到着した。
リュンフェルトは小麦のを始め、農業が盛んな国だ。実は王都は田舎の方で、この国で最も栄えているのは港の方。この先の内陸国への輸送船も全部この港を利用している。
「うわあ、なんか落ち着くね。」
リュンフェルトの王都は、小高い丘の上に王城があり、そこへ続く道沿いにお店や宿が並んでいる。今までの王都とは違って城壁がないためとても開放的だ。
「俺も初めて来た。ここにはあまりおもしろい魔術具がなかったからな。」
ゼルンも初めて見るリュンフェルトの街を興味津々に眺めている横で、ディオンが呟いた。
「へえ。ここが王都になったのか...。」
宿をとって、とりあえず昼食を食べに来た。街の人がここがおいしいよ、と教えてくれたお店だ。パンをはじめに見たことある普通のご飯だ。
「いただきまーす。」
「...んっ!」
パンを一口食べて驚いた。ふわっふわで、とても香り高いパンだ。ほんのり温かいから焼き立てなのだろう。
「うまっ。小麦の違いか?すっごいうまいこれ。」
「野菜も美味しいぞ。」
サラダに入っている野菜も新鮮でとても美味しい。レタスは軽くてトマトは甘い。スープも、デザートで出てきた果物も全部がとても新鮮で、自分達が今まで食べてきたものと全くの別物だった。すごすぎる。素材の違いだろうか?
「こりゃすげえ。ここを食材調達に選んで正解だったな。」
「本当に。ディオンの指輪に時間停止機能があってよかったね。」
「ずりーよな。空間拡張だけでも魔力食うのに、時間停止もやったら莫大な魔力が必要なんだぞ。」
明日はここの野菜をたくさん買い込もうと決めた。
翌日。市場へ買い出しに出かけた。小麦が名産なだけあって、パンやパスタ類が沢山あった。見たことない形のパスタがあって楽しい。
「ディオン、これもこれも!。」
いろんな種類のものを沢山買った。そしたらなんと定価より安く売ってくれた。聞くと、冒険者が珍しく、興味があるらしい。危険なんでしょう?ちゃんと食べてね、と言われた。
道を歩いていると、どこからか甘い香りがした。ん?とキョロキョロして見つけた。近くのお店から漂ってくる。
「ディオン、ゼルン、あそこに行きたい!。」
「ん?ああ、いいぞ。」
入ったお店には、見たことない食べ物?が売っていた。看板から察するに、お菓子が売っているらしいが...。
「いらっしゃい。お、珍しいね、冒険者かい?」
「はい。...ここは、何を売っているんですか?すごくいい香りがして...。」
日焼けして快活な笑顔が似合う女の人は、カウンターからそれを取り出した。
「はいこれ、食べてみな。」
渡された硬くて茶色いそれは、ものすごくいい香りがした。戸惑いながら口にすると、それは口に入れた瞬間にほろりと崩れた。同時に甘い味が口いっぱいに広がった。優しくて、胸がいっぱいになるような、幸せの味がする。
「美味しいっ...。」
「なんだ?これ。」
ゼルンと顔を見合わせていると、ディオンがぼそっと呟いた。
「クッキーか?」
「お兄さんは知ってるんだね。そうさ。クッキーって言ってね、ここでは普通のお菓子さ。」
「ゼルンは知ってる?」
「いや、初めて知った。ディオンはなんで知ってるんだ?」
ディオンを見ると、どこか遠くを見るような、懐かしむような表情をしていた。
「昔、食べたことがあるんだ。...よし、ここにある分買おう。」
「ちょーーっと待ちな?な?」
いきなりディオンがそんなぶっ飛んだことを言うのでライナもゼルンもお店の人も驚いた。ライナは衝動買いしそうなディオンを止めた。
「全部はだめ!お金はそんなにないでしょ?」
そしてお店の人に向き直った。
「これとこれと、これを100枚づつお願いします。」
一口サイズのクッキーを3種類、100枚づつ買った。お店の人はそれでも驚いていたが、ディオンは嬉しそうだ。
お店を出て、ライナはディオンに聞いてみた。
「ねえ、いつクッキー食べたの?」
「...昔、リュンフェルトに来たことがあるんだ。その当時はここはただの村だった。お世話になった人が、このクッキーを作ろうとしててな。...随分味が変わったが、変わらず美味しいな。」
その話を聞いたゼルンはへえ、と面白そうな声を上げた。
「じゃあディオンはクッキーの最初期にいたわけだ。」
「まあ。本当に、食べていただけだけどな。」
「ディオンにとってクッキーは思い出のお菓子なんだね。」
また、ディオンの「嬉しいこと」を見つけられた。
買い出しも終えて、休息のために1日自由時間を過ごしてから、3人はリュンフェルトの東にあるフェルグラントを目指して出発した。
歩きながら、ディオンが地図を投影して言う。
「この湖を越えていく。船が出ているから、そこまで行こう。」
「その情報はいつのものだ?」
「昨日、人に聞いた。大丈夫だ。」
「良かったよ。」
金色の麦畑の小道を歩いていく。時々クッキーを食べながらいくのだが、やはり甘味は素晴らしい。心が満たされると言うか、雰囲気が良くなる。
2日歩いて、小麦畑にポツンと村があるのを発見した。
「泊まれるか聞いてみようか。水も補給しないとな。」
今のリュンフェルトは暖かいを通り越して暑い。自然と水分補給が多くなったし、我慢できなくなったディオンが水を頭からかけて無駄遣いしたので水が減っていた。
「お、なんだなんだ?祭りか?」
立ち寄った村には様々な色の旗がかけられ、広場には大きな机がでている。村の大人も総出で忙しそうに動き回っていた。明るい笑顔で子供が走り回っているのを見ると、楽しい行事でもあるのだろうか?
「あの、なにかあるんですか?」
広場の端で休憩をしているような男性に話しかけた。
「おや、冒険者か。珍しい。今は収穫祭の期間なんだ。明日が最終日だから、いよいよ大詰めさ。」
この国には収穫祭と言う、大規模な祭りがある。地域によって差はあるが、だいたい2週間。最初の1週間は総出で麦の収穫。残りの1週間でパン、パスタ、クッキーなど、採れた小麦で料理を作ってみんなで食べるんだそう。
「せっかくだから、冒険者さん達も参加していきなよ。手伝いならいっぱいあるぞ。」
「へえ、面白そうじゃないか。どうせ一泊するんだ。参加させてもらうか。」
「いいね。楽しそう!」
無事に泊まれる宿があった。水も井戸から汲めたので一安心だ。
「冒険者の方。」
ひとまず村を見て回ろうか、と言っていたら、背後から話しかけられた。腰が曲がって、杖をついた白髪のおばあさんだ。
「はい。なんですか?」
「1つ、依頼があるのだが...いいかい?」
聞けば、この近くに石像があるらしい。収穫祭の時期に綺麗に清掃していたが、ここ最近は村人が減ってできていなかったんだそう。依頼というのは、その石像の掃除だ。
「わかりました。喜んで!」
「いい魔術具あったっけな〜。」
ゼルンがそうぼやく横で、ディオンは静かにおばあさんを見ていた。
おばあさんに案内されて、村の中心から少し離れた場所に向かった。小麦畑のすぐ近くに、畑を背に、その石像があった。
「これか。へえ、随分古いな。いつのだ?」
「名前も入ってないね。」
1人の男性の石像だ。剣を地面に突き刺し、柄の上に手を乗せて立っている。まっすぐに遥か遠くの何処かを見ている彼。この村の守り神だろうか?
「遥か昔の英雄さ。この村には英雄の話がいくつか残っていてね。村を守ってくれたそうなんだ。」
「名前もないんですか?」
「そう。名前を知っていた者はもう、この世にはいないからねえ。忘れられた英雄。でも、その存在くらいは、覚えておかなきゃ。天国に行った時に、文句言われたら嫌だからね。」
おばあさんが頼んだよ、と言って去っていった。ライナは苔と土で汚れた石像を見上げた。
「英雄かあ...。ディオンはこの人のこと知ってる?」
ディオンの方を振り返ると、ディオンはじっと石像を見つめていた。風化して、顔立ちもはっきりしないその石像を、ディオンは懐かしむような表情で見ている。
「...ディオン?」
名前を呼ぶと、ディオンは小さく頷いた。そして風に吹かれて消えてしまいそうな声で呟いた。
「アレン...。」
少しの間、ディオンは見つめていたがすぐに石像の掃除を始めた。
「あら、綺麗になったわね。ありがとう。英雄も、喜んでいらっしゃると思うわ。」
綺麗になった英雄の像。白い石像が背後の小麦畑によく映えている。
ライナはおばあさんが渡してきた報酬の入った袋をそのまま返した。石像を見ていたディオンの目。腰に下げた英雄の剣。きっと、この石像は、ライナが憧れたおとぎ話の英雄だ。だから。
「いいえ。...あの、報酬はいいです。代わりに、英雄の話を聞かせてもらえませんか?」
「ライナ...。」
「いいの。私は、英雄のことを知りたい。この村に残る英雄の話、聞いてみようよ。」
「ディオン。きっと楽しいぞ。」
「だけど、路銀が...。」
食い下がるディオンに、ライアは笑って言った。
「大丈夫。収穫祭に参加させてもらうんだし、路銀はまた稼ぎながら行けばいいんだよ。」
そう言うと、諦めたのか、ディオンは小さく笑って言った。
「ありがとう。」
「いいってことよ。」
翌日の朝から村中に香ばしいパンの香りが漂っていた。宿の下のお店も今日はクッキーを作っているらしい。せっかくなのでお手伝いに行った。
ディオンが楽しそうでこちらも嬉しい。こねた生地をオーブンに入れたら、あとは昼からの食事の場に完成品を持ってきてくれるらしい。
広場に出て、ライナは子どもたちから英雄の話を聞いた。
「ぼく知ってるよ!村にクッキーの作り方を伝えてくれたんだ!」
「おじいちゃんがね、井戸のおばけを対峙してくれたっていってた!」
「違うよ!屋根裏のおばけだよ!」
他にも沢山、昔話のような噂話のようなものが出てきた。どれもこれも、くだらない小さなことばかり。ライナの知っている英雄のお話とはまるで違う。中には手紙の配達を手伝ってくれた、なんてのもあった。
「あそこのお家の壁には魔獣と闘ったときの傷があるんだって!」
「向こうのお山を真っ二つに割っちゃったんだって!」
明らかに嘘っぽいものもあったが、ライナにとって遠い存在の英雄がこの村ではすぐ隣にいる存在のようだ。おとぎ話ではなく、確かにいた人間だった。
「ねえ、みんなはその英雄、好き?」
そう聞くと、子どもたちは素直に大きく頷いた。
「うん!大好き!!」
その笑顔が、なんだか嬉しかった。きっと、子供達にとって彼は魔王を倒した英雄ではなく、困った時に手を貸してくれる、当たり前のようにそこにいた人だったんだ。
あの英雄を、少し、知れた気がした。
温かい気持ちのまま、村の収穫祭の盛り上がりが上がってきた。広場には沢山の料理が並び始めた。ライ内に昔話をしてくれていた子ども達はわらわらと広場の椅子に座った。
「ライナちゃん、こっちこっち!」
「おじちゃんも!」
「え、俺、おじちゃん...?」
ゼルンがポカンとしていたが、ディオンと一緒に座った。大人も作業を切り上げて広場へやってきた。
「ねえねえ、これから何するの?」
そう言うと、子ども達はコソコソと耳打ちして教えてくれた。
「これからみんなでお歌を歌うんだよ。」
「歌?」
すると、広場の真ん中に楽器を持った男の人が出てきた。男性が弓みたいな楽器の弦を弾くと、ポロンと軽い音がした。
「今年も、我々に多くの恵みをもたらしてくださったことに感謝して、天にこの歌を捧げます。」
可愛らしい音が響くと、周囲の子ども達も、大人も声を揃えて歌い始めた。
「名もなき手が 種をまき
名もなき足が 土を踏む
広く青い空の下
我らは今日を生きている
金色の野を満たすのは
渡る風と巡る太陽
天に捧げる この歌と
明日へ続く この命を」
天へと昇っていく歌が、心にじんわりとしみた。
「名もなき...手...。」
英雄の名前は、どこにも出ていなかった。魔王のことも、剣のことも、何ひとつ。
歌われたいたのは、種をまき、土を踏み、今日を生きる民。それだけ。それだけだった。
その人が守ってくれたから、今がある。でもその人はもう、名前もない。だけどそれでいいのだと、言われている気がした。こんなふうに明日が続いてゆくのだから。
もし、自分が剣を振るう日が来た時。その先に残るものが、誰かの「今日」や「明日」なら。こんなふうに、子供たちが笑っていられる日々なら。
それでいい。それがいい。
ライナはそう思って、そっと息をついた。
男性が持っている楽器は小さなハープみたいなもの。




