英雄の剣
ヴェローウルフは白くて怖い顔の狼
いよいよ最深層。暗い階段を降りていくと、不意にディオンが立ち止まった。
「ディオン?」
不思議に思ってディオンを見ると、その後ろでゼルンも立ち止まった。2人とも、なんだか居心地が悪そうな顔をしている。
「2人ともどうしたの?体調悪い?」
「いや、そういうわけでは...。ライナはなんともないか?」
「うん。」
ライナは何も感じていない。強いて言うならちょっと暖かいかな、くらいだ。
「そうか...。」
「すごいな。魔力で満ちている。最深部の魔獣か?嬢ちゃん、意外と頑丈だな。」
「ありがとう?」
なんだか微妙な顔をした2人と最深部に降り立った。そこかしこに魔獣の気配がする。流石は最深層と言ったところか。
「気をつけろよ。魔獣ってのは、魔力が濃い場所に生息する奴のほうがデカいし強い。ここは最深部の魔獣の魔力が濃く満ちているからな。はあ、ボス戦前にこれはきちいな。」
「問題ない。」
ディオンはガントレット、ライナは剣、ゼルンは魔術具を構えて戦闘態勢を整えた。
「もう一度確認するけど、治癒はゼルンに任せていいんだよね?」
「安心しな嬢ちゃん。天才支援魔術士様だぜ。」
「...心配。」
とりあえず、最深部の魔獣を倒せばこの魔獣たちもちりじりになるだろうし、あまり時間をかけて体力を奪われるわけにもいかないので、寄り道せずに最深部を目指すことにした。ディオンとゼルンが魔力がより濃い方へ進んでいく。
「私にもわかればよかったんだけどな。」
「人には得手不得手がある。ライナだけの才もあるさ。」
「感が良くなる、とかね。」
「なんだそりゃ?」
眉をひそめるゼルンに、ライナが得意げに笑う。
「私の魔法だよ。体に刻まれてる、私だけの魔法陣。」
「へえ、珍しいな。じゃあ嬢ちゃんも魔法使えるんじゃないのか?気になってたんだ。火を起こすときも、明かりを付けるときも、嬢ちゃんは魔法を使わないだろ?どうしてだ?」
「私は魔法使えないんだ。自分でも刻まれた魔法陣に魔力を意図的に流してるわけじゃないし、ディオンに教えてもらってもできなかった。私は自分の魔力を自分で動かしたり、体外に出すことはできないんだって。」
「なるほど。じゃあ、嬢ちゃんは俺と同じ、変人だ。」
だんだん出くわす魔獣が多く、強くなっていく。最深部が近いのだろう。
「来たぞ。ライナ!」
「下がって!」
出てきたヴェローウルフを前に、ライナは剣を構えて踏み込んだ。以前よりずっと、反踏を使えている。正確な踏み込みと同時に剣を振り上げる。反踏はそれに応えてくれた。腕を上げても軸がブレない。
「やっ!」
ずばっと白い毛並みを引き裂いた剣の血をはらい、鞘に収める。その動作は、最初の荒っぽい動きとは比べ物にならないくらい、滑らかで様になっていた。
「おーい嬢ちゃん、あんまり遠くに行くなよ〜。」
「ゼルンが行かせたんじゃん!」
訓練と称してライナに魔獣討伐を任せるディオン。人使いの荒いゼルン。ライナは文句を言いながらもきっちり討伐をこなしていた。
「これで、最後っ!」
魔獣の群れを追って別の道へ入ったライナは最後の1体を斬り伏せ、剣を収めた。
「よし、戻ろう。」
ふっと一息ついて振り返ろうとした時、背後からふわ〜っとなにか、暖かいものを感じた。振り返ると、そこには大きな大きな扉があった。さっきまでなかったはずなのに...。
「ディ、ディオン!ゼルン〜!なんかある!」
暗いダンジョンに声が響いて、少しして向こうから2人が走ってきた。
「なになに新しい魔法陣〜?!」
「ちがーう!」
走ってきた2人に、現れた扉を指差す。2人は目を丸くして驚いた。
「なにこれすげ〜。」
「おかしいな...。ここに来るまでわからなかった...。」
「きれいだよね〜」
ドアノブがない扉の表面には複雑な魔法陣が刻まれていた。透明な青の光が淡く揺れるその様は、とても美しい。
「多分ここが最深部だよね?...どうやって開けるんだろう?」
「すごい魔力だな...。この中から漏れてるのか。」
「すげえ魔法陣だ。全く理解できねえが...。ディオンはどうだ?」
「...わからない。」
ドアをペタペタと触りながら2人が頭を悩ませる。ライナはその後ろで、悩む2人を見ていた。
「開きそう?急がないと魔獣が来ちゃうよ。」
「開け方がわからねえんだ。おいディオン、この扉、魔法でぶっ飛ばせねえか?」
「失敗したらダンジョンごと崩壊するんだぞ。ゼルンの魔術具のほうが安全だ。」
2人がもたついてる間に、大型の魔獣が集まってきてしまった。倒しても倒してもまた来る。どうしよう。このままじゃ持たない。一度引き返した方がいいんじゃないか?
じりじりとライナも扉の方へ追いやられた。
「ディオン、ゼルン、引き返そう!一度引き上げて、対策を考えてから...。」
トン、と背中が扉に当たった。すると不思議なことに、同時に扉の輝きも強くなった。
「なんだ?!」
ゼルンの声がする、と思ったら、ゴ...と音がした。
「動いた!」
ゴゴゴゴゴゴ......!と、音とも呼べない低い振動が床に響く。何百年もの沈黙を引き剥がすように、扉は少しづつ、だが確実に動いていた。
「遅いっ!嘘でしょう?!」
「ライナ、押せ!!」
ディオンに言われて、ライナは体全体で扉を押した。反踏の力も総動員だ。
「レギス・フェムナ!」
キィンと金属質な音がして、ディオンのガントレットに5重の魔法陣が現れる。するとディオンの力がドンと一気に上がって、扉が開いていった。
「ゼルンも、早く!」
「俺は魔物を散らす。2人とも、目瞑れ!!」
「え?!」
ゼルンはそう言うと、小さな魔術具を取り出し、魔獣に投げつけた。それはカッと強く光り、一瞬視界が真っ白になった。やばい!と思ってライナを目を閉じながら力いっぱい扉を押した。
「ゼルン!通れるぞ!ライナも早く中へ!」
「嬢ちゃん早く!」
ぎゅっと目を瞑っていたのでわからなかったが、どうやら通れるくらいに開いたらしい。乱暴な手に腕を引かれ、扉の中へ転がり込んだ。
巨大な光る扉を越えた途端、音が消えた。外の魔獣の鳴き声も、風が唸る音も。まるで異世界に来てしまったような感覚にライナは戸惑った。そして、広いこの空間には自分達だけ。
「魔獣が、いない?」
そして静かなこの場所で唯一、光りを放っている物がある。部屋の真ん中にあるそれは、青い光りをまとった剣だった。
「なあ、嬢ちゃん。魔獣はどこだ?ここは魔力で満ちているのに、なにもねえなんておかしい...。ん?何見てんだ?」
「...ゼルンは、見えてないの?」
「?...なんにもねえよ。強いて言えば。真ん中あたりにどデカい魔力を感じるくらいだ。」
ゼルンには見えないらしい。ライナは反射的にディオンを探した。
「ディオンは?」
「ディオンなら、そこに。」
自分の斜め後ろに立っていたディオンの視線は、はっきりと部屋の中央へ向けられていた。ディオンは確かに剣を見ている。けれど、近付こうとはしなかった。
「ディオンには、見える?」
「......見えない。だが...わかる。」
ライナは立ち上がって、まっすぐその剣に近付いた。
剣は、中央の床に突き立てられていた。黒く幅広の大剣。刃には金の文字。剣からは青い光が炎のように音もなく漏れている。
「......英雄の剣...。」
どうしてそう思ったのかは知らない。ライナは英雄の剣の話なんて知らないし、この剣に見覚えがあるわけでもない。けれど、直感した。この最深層に来てから感じていた暖かな気配の正体はこの剣だと。
最深部に入ったと同時に、ディオンの目にその剣が飛び込んできた。同時に聞こえる、懐かしい声。頭に直接響く、思考の奥を、直接なぞるようなものがあった。
<<この少女が、運命の子だ。1000年の時を経て、私は彼女を選んだ。剣を抜け。>>
息が止まりそうだった。
...1000年前と同じだ。あの時も、あいつはこうして、未来を言い切った。
エルディオンは剣を見ることができなかった。代わりに、隣に立つライナを見る。
何も知らない少女。剣に選ばれたことも、縛られたことも、呪われたことも...知らない。
「すまない。」
こちらに視線を向けたライナ。ディオンは拳を強く握りしめた。
1000年分の後悔で、胸の奥が軋む。自分が代われたら、どれだけ良かったか。
「俺が代われるなら、代わりたい。だが......あいつに頼まれた。」
そう言ったディオンは苦しそうに一瞬目を閉じて、そしてまっすぐライナを見つめて言った。
「...抜いてやってくれ。」
ライナは剣を見た。美しいこの剣に、どんな物語があるのだろうか。
ディオンの声はいつもより低い。
英雄になりたい。ずっと、そう思ってきたはずなのに。今は役に立たなかった。
ただ、ここにあるものを、このままにしておけない。それだけだった。
「うん。」
ライナはそう返事をしてから、初めて剣に手を伸ばした。
剣に触れて、柄を握って地面から引き抜く。すると剣から溢れていた青い炎のような光りは、するすると剣に吸い込まれていった。
その瞬間、何かが決まった気がした。
「魔力が...。」
光りとともに、最深層に満ちていた魔力も剣に収まった。光っていた金色の文字も、ずっと光りを失って、ただの模様のように剣に刻まれた。
「おい、なんだ今の。魔力が集まっていったかと思ったら、嬢ちゃんの手に剣が現れたぞ?」
ゼルンが眉間にシワを寄せて近付いてきた。ライナは、隣で剣を見つめているディオンを見上げる。
「これで、よかったんだよね。」
「ああ。...ありがとう。」
彼女には聞こえていない声。自分達が、彼女に選ばせた。
...だから俺は、ライナの「知らないままの選択」を大切にしなければならないんだ。
その日は、扉の中で火を起こした。焚き火を囲んだ3人は、すぐには口を開かなかった。
剣は少し離れた場所に置いてある。鞘がなかったので布を巻いてあって、ゼルンはその剣が気になって仕方ない様子だった。
少しして、沈黙に耐えられなかったゼルンが口を開く。
「なあ。あの剣はなんだ?」
それに答えたのはディオンだった。顔を上げて、そっと指輪を撫でて話し始めた。
「......あれは、英雄の剣だ。ライナが1番よくわかっていると思う。...俺は、1000年前、後に英雄と言われる男とともに魔王討伐の旅をしていたんだ。」
「えっ......。」
ライナは思わず顔を上げた。
「あの剣は、あいつが残した剣だ。......あいつの魔力が、そう言ったんだ。」
英雄の剣。確かに、ライナはそれをひと目見てそう思った。しかしまさか、ディオンがあの英雄を知っているだなんて...
「...おとぎ話じゃ、なかった......。」
「ああ。あいつは確かに、いたんだ。」
今では子供の童話でしか語られない、名もなき英雄。本当に実在したんだと知って、ライナは心の底から嬉しかった。
「で。どうしてその英雄の剣は、嬢ちゃんにしか見えなかったんだ?」
「...俺にもわからない。あいつは、秘密主義だったからな。」
「そりゃいいご趣味だな。」
ゼルンはディオンから自然を外して、ライナを見た。
「で。英雄の剣を拾っちまった嬢ちゃんは、これからどうすんだ?」
「私は...。」
少しの沈黙の後、ライナは置いてある剣を見て言う。
「...正直、わからない。でも。これを放っておくのは違う気がするの。」
剣を引き寄せて、柄をギュッと握った。
「だから、逃げない。ちゃんとこれが何なのか知るまで、私は逃げない。」
それを聞いたディオンは黙ってライナを見つめるばかりだった。
ゼルンは2人をみて、自嘲気味に笑って小さく呟いた。
「...俺も話さなきゃ、フェアじゃねえよな。...ちょっと、聞いてくれるか?」
「......うん。」
ゼルンは、火に薪をくべながら話し始めた。
「俺の故郷の村は、小さくて、何もない村だったんだ。畑があって、民家があって。村に一つしかない酒場は、夜になると無駄に騒がしかった。」
焚き火を見ながら、淡々と話す。薪を放ると火がパチンと弾けて一瞬、3人の影が揺れた。
「...ある日、魔獣が来た。6つの頃だ。両親が、俺を村の外へ逃がしてくれた。...村には年寄りが多くてな。馬鹿な両親は、そいつらを助けに村へ戻ったっきり、帰ってこなかったよ。......その時、1人になった俺を拾ってくれたのが、ばあちゃんだ。」
驚き2つ目。まさかの2人に血縁関係がないことにライナは驚いた。
ゼルンは肩をすくめる。
「俺は、英雄とか正義とか、正直どうでもいい。」
少し声が低くなった。
「俺は、取り返したいわけじゃねえ。...取り返せねえって、わかってる。ただ......。」
そこで一度、息を吐き出したゼルンは顔を上げてしっかりと言い切った。
「俺は、今後、俺と同じ目に遭うやつを増やしたくない。...だから、俺も、お前らと一緒に行くよ。」
どこかスッキリとしたゼルン。ライナは、話してくれたことが、嬉しかった。
「...うん。一緒に行こう。」
「まあ、俺がいなきゃあの剣がかわいそうだ。鞘を作ってやらなきゃな。」
にっと笑ったゼルン。一緒に笑うライナ。2人を見つめるディオン。
「楽しくなりそうだ。」




