その七
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謎を追い駆けてその解決を求める、それだけなら、一度その解決あればその後自分の心に遺されるものは無いでしょう。謎が解決された爽快な気分があって、それも直ぐに風に吹かれて霧消すると思います。しかしその謎というのが人間の誠実、願いから成り立っていたとしたら何うでしょう。その時は寧ろその謎が解決されるのを私は恐ろしいと感じると思います。そこに何が在るのか、それが何故生み出されたのか、その素性に就いて知る事を怖いと思う筈です。その誠実、私の達し得るものなのか。その願い、私はそこまで深い願いに拠って生きているのか。私にそれらが問われるからです。しかも人間でない者にではなく私と同じ人間に拠って問われるのです。これが恐ろしくない筈がありません。
人間の誠実や願いは非常に深いところにまで届きます。人間が作り出す事の出来る人間の域を超えたもの。それこそが本当に真剣な人間の為し得るものです。そういうものを前にして私は自分を『許容』出来るでしょうか。それを知った後でも私は自らに生きる事を許せるでしょうか。そんなものを前にしたら、私はこの根源的な問いから絶対に逃げられません。だから怖いのです。人間の誠実は願いは、それが本物であるならば実に恐るべきものではありませんか。そして人がまともに生きる為に絶対に無くてはならぬものではありませんか。
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平和、平穏。結構ですね。でも何も無い事は平和ではありません。それに抑々(そもそも)何も無いなどという事は普通にまともに暮らしていてあり得る事ではありません。若しも本当に何も無いなら、それは感受性が麻痺しているだけの事です。指先に炎がかかっているのに『全然熱くないです』、これは平和ではありません。異常事態にして実に至急に手当てされるべき状態、紛う方なき病気です。
本当の平和というものは何かの問題に対処しながらも心が平穏であるという意味でなければなりません。我々が実感すべき平和なるものは、実は結構心を騒がせて当然の悩み有るにも拘わらず現実にはそれに騒がせられる事無く結果心静かであるという、そういう意味に解されなければならぬ筈です。だから私は、
「今日は何も無く、平和でしたー」
という言葉を目にして耳にして直ちに十全に、
「それは良かったですねー」
とは言えません。気持ちは分かりますが、この会話だけでも私には不消化なものが心に残されます。
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自分が感謝出来る相手が必要なのです。自分に感謝してくれる人間ではなくて。自分の使命は自分が感謝出来る相手から相手の意志に関係無く与えられるものですから。
新しく人に逢って下さい。家の中にばかり居てはいけません。新しい人に出逢い、これぞと思った人とは新しい関係を結びましょう。探すのです。『探したいな』ではなく、本当に、具体的に探すのです。探しているならば見付かるものですよ。時間はかかりますが。
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知性を売り物、と謂うか看板に掲げたものは世の中に多く見ますが、私は昔からあまり好きではありませんでした。私は人間の知的活動に拠って『便利』にはなっていると思いますが、それで私が救われたなどという事を一度として経験していないからです。私を救ってくれたのはいつだって知的なものではなく情的なものでした。また私が疲れ果てて明日を生きる力を失っていた時に毎日私を慰めてくれたものも、矢張情的なものでした。私は人間の至純の情に触れて生き返るのです。私は哲学の本を読むのが好きです。しかしそれは既に『全く別のものに拠って』落ち着く事が出来ていて心の平衡を失っていない時に読むのが好きなだけであり、哲学の本を読む事で心の平安を獲得しているのではありません。私の心が先の危険な状態を感知する時、私を安心させ私の心を休ませてくれるのは恒に人間の涙や祈りといった情の発露発現です。それに拠らずに私は自身を回復する事が出来ません。
自分を支えるものが何なのか、それを知って下さい。他のものではなく、その自分を支えてくれるものを直接に求める為です。真直ぐに手を伸ばさないと掴めないものがある、私はそう思っています。
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