その五
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矢の様に過ぎて行く時間。殊に順境に在って忙しく仕事をこなしているとこの感覚は強いです。逆に全然時間が経ってくれない時があります。拷問の様に間延びした時間に責められるのです。逆境の時です。でも、実はどちらも恐ろしいのです。後者だけが恐ろしいのではありません。
後悔の無い道はただ一つ。自分の価値観を意地になって守る、すなわち懸命になって生きるという事だと思います。
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生きて行く事の困難は、『突然何が降って来るか判ったものではない事』なのではなく、『突然何かが降って来たら、それで駄目になって仕舞う自分』に根拠をもっているのではありませんか。あなたの話を聴いていて、率直に言えば私はそういう事を感じました。
不合理、理不尽、想定外、常軌を逸した事態、これらは皆大なり小なり自分がそれまでに生きてきて経験的に感得した事を基準に量られています。それを元にして理不尽とか想定外とか自分が『感じる』のです。一方に絶対的な定理が在って『この世では何が起こっても不思議ではない』と主張し、鉄壁に聳え立っているのが分かりませんか。この真実も動きません。
だから動かない自分を見付け或いは創って下さい。それしかないのです。意味不明な座標軸の、今自分は何の辺りに位置しているのかを知ろうと虚しい努力を払い続けるのではなしに、逆にその意味不明な空間に、自分が、自分自身の責任に於いて納得出来る座標軸を敷くのです。即ち自分が世界を『規定する』のです。それが動かぬ自分を見出す、創るという事ではないでしょうか。その為に自分の中に在る価値観に忠実であって下さい。困難であっても忠実であって下さい。それが無いと自分が敷く座標軸に自分で信頼をもてません。従って自分が身を置き活動する事の出来る、信頼出来る活動空間を得られません。
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五歳九ヵ月の息子の手を引いて、家の近所のまだ歩いた事の無い道を歩きます。題して『知らない道シリーズ』。私も息子も結構楽しんで歩きます。
「お父ちゃん、この家、誰も住んでないのかな」
「うーん、そうだな。表札もかかってないし、窓のカーテンも開けっ放しで中丸見えで家具も無い。空き家かも知れんな」
「僕、斯んな家が良いな」
「まあそう言うな。新しい家なんぞ、直ぐには買えん」
「はーい」
かと思うと、
「おっ、畑が在るな」
「田んぼじゃなくって、畑?」
「そう。田んぼは御米を作る場所。水が張ってある。畑は野菜を作る所」
何気無い会話が続きます。でも見えない大切なものが築かれています。見るもの、聞こえる音、交わす言葉、それらが幼い息子の記憶に流れ込んでいきます。記録として、情報としてではなく、想い出として。
何とてそれを穢す事が出来ましょうか。それを無くして仕舞う事が出来ましょうや。記憶はその人を生涯に亘って支えるというのに。父母から私に無条件で与えられたあたたかなそれ微かりせば、生きてくる事が出来なかった私であるのに。
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『弱い人間』が心の病になると。違うでしょう。寧ろ人間として正常な心をもち、且つそれを裏切る事が出来ないから現代の社会に於いて心の病になるのです。私からすれば自明な事です。解説を要しません。
何処かの医者にこれは病だと『診断』されたその自分の心をもって、それでも無理矢理に、横車を押して、この世を生きるのです。自分の地上での使命が尽きるまで。何も出来なくても、それで立派な戦いです。
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