その三
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昔のお話を聴きたいです。出来れば実話が良いです。でも実話でなくとも構いません。人の抱いた願いや憧れであれば、それは私にとってそれだけで最早実話と何も違いません。それは歴史的現実ではなかったかも知れませんが、それでも『本物』です。私にはこの『本物』である事こそが重要なのです。下らない手近な解決や誤魔化した既製の決着を寄せ付けない、崇高な影の伸びる威力あるもの。
そのお話の中に、私は直ちに現在の私を支える内容を見出してみせましょう。求めているのです。だから私には見える筈なのです。
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一途というのは、真直ぐに『狂』に続く道であると私には思えます。けれどもその一途が何から生まれた一途なのか、何に向かっての一途なのかで、不思議と『狂』に至らない、いや、狂っていながら狂っていない境地を走り続ける一途になるのではないかと思っています。人間の生み出す事の出来る最も強い力。それは愛情や慈悲の心に拠って生まれた一途が愛情や慈悲の心に向かって故郷を目指す様に其処に回帰して行く一途となった時、その時の一途であると思うのです。私はそう信じる者です。何故そう信じるのかは、そう信じないでは居られないからです。
私は人間が生み出す事の出来る最も強い力に興味があります。それを求めます。私にはそれに拠って実現したい事があるからです。何でも彼でも移ろい去って行く世の中に在って、自分一個ですら絶対の信など置けぬ中に生きていて、私はそういう力に拠って果たしたい事があります。私が死ぬまで私らしく在る事です。最後まで私らしく在って、それで見事私であるままで死ぬ事です。そうでないと、再び吾が父に会う事が出来ません。だからです。
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独り歩く時には、風一つ吹けば誰かと対話出来ます。空が青いというだけで時間を遥かに遡る事が出来ます。雲が流れるのを見ては懐かしい人の面影を思い浮かべる事が出来ます。独り歩いています。でも、これは何う考えても最早一人ではありません。自分の魂だけが虚空の空間に漂っている、そういう感覚から最も遠いものであると私は思います。理性的に考えてそうなのではなく、感覚的にもうそうなのです。思考が必要ありません。
心に大切な人をもつ、大切な人を抱くという事が如何なるものか、多少とも伝わると嬉しいです。そしてそういう人間を心に得る為に必要なもの、その為の条件、それは運などではなく自分自身に懸かっている事を知って下さい。そう思って毎日生きる事を勧めます。願いとそれに対する忠実、矢張それではありませんか。最も大切なものとは。
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「家が貧相で恥ずかしいですか。知り合いを家に呼ぶ事が出来ませんか。一遍、外は零下十度で道という道が全部凍っていて、近くの交差点で車が歩道に乗り上げて電柱を曲げてボンネット真っ二つで煙を上げているとか、或いは暴風雨で目の前を大きな金属の看板が大回転しながら水平に飛んで行く、それも不思議と自分目掛けて近付いて来るとか、そんな状況の中外に居続けてみて下さい。雨露を凌ぎ、寒暑と避ける事の出来るその粗末な家に感謝したくなりますから。その粗末な家にでも逃げ込みたいと思うでしょう? 抑々(そもそも)、家を何だと思っていますか。貧相で何が悪いのですか。雨漏りとか築八十年とか、そんな事を気にしている事が既におかしいのです。看板水平大回転が自分目掛けて迫って来るというのに、貧相も雨漏りも気にしている場合ですか」
この次元です。私が『正しい』と思うのは、この次元なのです。すなわち零下十度でも暴風雨でもないのに、零下十度の時の事も暴風雨の場合もちゃんと考えている。ありありとその様子を心に思い浮かべる事が出来、その時に自分が感じる事をその時でもないのにしっかりと感じ、その上でそういった状況下に無い現在の自分の行動の指針にその実感が取り入れられている、それを、それにしてやっと、『正しい』と感じる、納得出来る。
要するにこれは『油断』の正反対なのです。必要ではないでしょうか。後悔無きを求めるのであれば。
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