その二十二
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事業で成功していながら鬱々とした顔をしている人が居ます。また何ら生活が危機に瀕している訳でもないのに何だか絶望的な表情を浮かべている人が居ます。共に自分の心が満たされていないからです。屹度、油田を掘り当てても同じような顔をしているでしょう。
自分に必要な事自分が求めている事について、満たされなければなりません。あなたのそれは何なのですか。深く思って下さい。
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何にも懸命になっていない、そういう状態が私の目には人間の一番『不自然』な姿に映ります。そして唯一自分の立場や生存を守る事だけに力を尽くす、それだけには必死になる。
私が生きて出逢った尊敬する人間、そして私が本で読んだ中に描かれていた愛すべき人間、それらは皆そんな不自然な状態にはありませんでした。何の解説も必要としないままその人達の理想を、欲するものを、私はそのまま受け取る事が出来ました。私も心からそれを理想とし、それを欲しました。それらは私の心の空白の部分にすっぽりと、正にその空白がそこに在る理由はそれがそこに納まる為だったのだと、私が完全に納得出来る様に入ってきました。そしてその後、ずっとその座を動かないのです。
自分が生き残る為それ自体が目的なのではなく、却って自分の生存がその為に存する、それが自分の生きる理由なのだと思える、そういう生きる理由。それが必要です。私ならそれ無しには幽霊になって仕舞うでしょう。
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頭を使って書いたものは後々見る度に訂正修正したくなります。はっきり言いますが、そういうものは心が定まって書いている訳ではないので後になってからまるきり違う事が言いたくなる場合だってあるからです。しかし心を吐露して書いているものにはそれがありません。修正など考える事も出来ません。そんな気持ちが起こらないのです。
これは人間のする事した事において、後になって後悔が有る無いの別と全く同じ事ではないでしょうか。心、覚悟定まらず為した事は、後になって自分にとってその意義が変わって仕舞うのです。それは永続的な力をもっていません。その場その場です。『その場に相応しいもの』しか頭は生み出す事が出来ないのに違いありません。後悔の無い道を行く為に心で判断する、心の声に聴く、そうやって生きましょう。
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つらい事ですが、自分の悲しさや苦しさを他人が理解してくれるという前提に立たないで下さい。如何に切実にそれを欲しても、それは『我慢』すべきなのです。何故ならそれは他人には決して分からないものだからです。でも自らの悲しさつらさを他人が決して理解してはくれないという徹底した自覚に立った場合、その自覚が徹底に近付くと自分の理解者として他人を求める欲求が薄れてきます。それで良いのです。自分の悲しさ苦しさを理解してくれる人間は自分自身しか居ない、この事を深く体得すればする程に人は悲しいまま、苦しいままで『落ち着いて』きます。そうなる事が出来るのです。
この落ち着きが大事なのです。それは或る種の『悟り』であると私は思います。そしてそれを何度か経験すると、その後になってやっと生まれてくるものがあります。それが他人に対する『優しさ』です。自分の悲しさ苦しさを決して理解してはくれない者に対する優しさです。不思議だと思いませんか。でも実際にはその優しさは、決して他人に頼れないという姿勢から生まれてくるのです。その悲しさを知っている事から。
出来ればこの事に就いて一度深く思ってみて下さい。他の大抵の事に時間を費やしているよりも有意義だと私は思いますから。
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